
06:00、目覚ましの時計の電子音で目を覚ます。スタンドの橙色の明かりだけの薄暗い部屋。横の彼(警部補)はまだ寝ている。ベッドから体を起こし、やや乱れた髪を撫で付けながら、ガウンを羽織る。まさか「このまま」身支度をする訳にもいかない。
エアコンによりすで暖まっているリビングに来ると、まずテレビのスイッチを入れ、コーヒーメーカーにフィルターと豆と水を、トースターに食パンを放り込む。ここまで、まだ眠気眼のほとんど無意識だ。ポストまで朝刊を取りに行き、ブラインドを開けると、まだ暗い東京湾が見える。景色だけはいい家だ。

朝食と洗顔やら着替えやらを済ませ、またコーヒーを啜る。ゆっくりやっているつもりだが、早飯早支度。警察官の染み付いたクセだ。すると、ようやく警部補が起き出してきた。
「おはよ」
声をかけると、彼は唸るように答える。サングラスをかけていない彼を見れるのは私の特権かな?建前上、彼とは家を出るのは別々だ。私はバッジ(手帳)と手錠、そして腰のホルスターと予備マガジンの具合を確認した。警部補のマグナム44を使う骨董品の様な大型リボルバーに比べ、私の銃は遥かに小型で軽量のオートマチックだが、所持し使用できるその身分の責任はどちらも遥かに重い。
「パン焼いといたから。それじゃ、また署で」
新聞を眺める彼にそう言い、ついでにその頬に軽くキスをする。
「んー」
彼はにこりともせず、また唸った。
彼の家はまるでバブル期の機能性よりもデザインを優先した様な家だ。ガレージには車が2台。彼のスカイラインと、私の赤いスープラだ。エンジンをかけ、少し暖気運転をする。周囲は、そろそろ買い換えたどうだなどと言うが、私はコレが好きだ。頃合いを見て、私はシフトをドライブに入れた。
08:01
「おはようございます!」
分署につくと、玄関には、警杖を片手に立番の制服がやたら元気にしかし少し上ずった声で敬礼してきた。34君よりも少し若いだろうか?最近異動してきた顔だ。
「おはよ」
私も笑顔で返す。モテるのは辛いなあ。
地域課は既に電話が鳴り響き、係員が右往左往している。階段を上り、刑事部屋に入ると、地域課程ではないが、それでも私服制服が仕事を始めている。強行犯係は、一番乗りしていた34君が私たちのデスクを拭き、お茶やコーヒーの準備をしていた。「お茶汲み3年」、今時古い仕来たりだが、警察は未だにそういった世界だ。
09:00、パトロール。今日のこの時間は、私と34君のペア。彼に分署11、インスパイアのハンドルを握らせる。ホンダ好きの彼は、きまってホンダ車を使いたがる。
10:39
「最近、やたらと危なっかしい事件多くないですか?」
「あら、じゃあ危なくない事件ってなあに?」
「そりゃまそうですけど。ここ二週間、一日一回は銃抜いて、動くな!って言ってる気がするんですけど…」
「まあ今は、無事にお昼食べられることを願いましょ」
そんな話をしていた直後だった。無線が、隣の管轄で起きた銀行強盗の緊急配備を知らせる。よりによって、二人組の犯人は拳銃を使い、国産のありきたりな車で逃走し、更に私たちがいる方向へと逃げてきている。そしてここは管轄の境界線だった。信号が赤になり、交差点で停車する。うまい具合に先頭で停車した。気のせいか、サイレンの音が聞こえる。私が無線で本部へ返答、回転灯を取り出した瞬間だった。左手から情報にぴったりの車両が景気よく飛び出してきた。
「行って!」
私は34君に怒鳴ると、サイレンのスイッチを入れ、回転灯をルーフに放った。

アクセルを底まで踏まれたインスパイアは弾かれた様に発進する。遅れて、パトカーが二台ついてきた。
「車が少ないわ。いつもの奴で行くわよ?」
「了解!」
タイミング良く、道路状況が良くなった。私はシートベルトを外し、ホルスターから銃を取り出す。34君はシフトをマニュアルモードに変えセカンドにシフトを落とし、2.5リッターを唸らせ一気に逃走車の前に躍り出る。それと同時にハンドルを切りサイドブレーキを入れインスパイアを滑らせ、運転席側の腹を向けて逃走車の進路を塞ぐ。停車と同時に私は車から飛び下りる。逃走車も慌ててフルブレーキで停車する。私はインスパイアを盾にしつつ、逃走車のタイヤを撃ち抜く。相手は銃を所持し、既に銀行内で発砲しているのだ。容赦はしない。34君もやや苦労しながら助手席側から下りて、インスパイアのリアに回り、銃を抜く。パトカーの制服達も銃を抜き構えている。
「観念して出てきなさい!」
私や制服が怒鳴る。犯人は二人組で、典型的な目だし帽を被っていた。運転手が喚きながら勢い良くドアを開けて出てきた。振り回す手には間違いなく拳銃を持っていた。それが私に向いた。その瞬間、息を飲んだ。恐怖に体が硬直しそうになった。殺意を持って拳銃を向けられたのだ。当たり前だ。何度この様な場面を経験しても、何度訓練しても、この恐怖を感じないことはなかった。これも当たり前。しかしその経験や訓練が、私の警察官としての意思が、その恐怖を押さえ込み、私に引き金を引かせる。私が放った弾丸は犯人の肩に当たり、犯人はひっくり返った。助手席に残っているもう一人は、車内から腕だけを出し銃を撃ってきた。慌てて身を隠したが、しかしそのめくら撃ちの弾丸は私でなく34君を襲った。
「っ!?」
彼が盾にしているインスパイアのリア部分に被弾し火花が上がる。声を詰まらせ、瞬時に身を沈める34君。逃走車後方の制服組が応射し、犯人の気が反れる。そのタイミングを逃さず、私は再び身を上げ、逃走車のフロント、犯人に向かって連射した。私の弾丸は「幸い」にも犯人に当たることはなかったが、抵抗する意思を失わさせるのは十分だった様だ。
「ううっ、撃つなー!撃つなー!撃つなー!撃つなー!」
犯人は、窓から自分の銃を捨てると、両手と顔を出し、大声を上げた。パトカーの制服組がそれらに殺到した。私は息を吐き、引き金から指を外し、銃を下ろした。犯人達を引っ立てている制服組から私に声がかけられた。
「大丈夫かーっ?」
中年で、見知った顔だった。
「ええ、ご心配なくーっ!」
私は銃をホルスターに戻した。34君はまだ緊張し伏せたままだ。ふと辺りを見回した。野次馬はどうでもいい。ここは隣の管轄だった。
自販機近くの路肩。
「でも、車は傷ついたけど、君が怪我しなくて良かったわ」
「………女さん…やっぱり凄いですね」
「んー?」
34君は私に缶ジュースを渡しながら言った。
「俺……、あんな簡単に撃てないです」
「ああ~ら、わざわざ申請したそのグロックは水鉄砲なのかしら?」
「茶化さないでくださいよ~」
「フフ、ごめんごめん」
「俺……実は今日初めて撃たれたんです。いやあの、撃たれたんじゃないですけど、つまりその、「自分に向かって撃たれた」のが、初めてってことで……」
彼は、ハンドルを握りしめ、言葉を続けた。
「……凄く怖かったです。見たでしょう?俺、体が動けなくなった…。あの時、もし俺一人だけだったらと考えると………。犯人が銃を向けてきたら、その犯人に向かって発砲できたかどうか……」
酷く落ち込んだ様にそう言う34君に、私はジュースを一口含んでから言った。
「私だって簡単に撃ててるワケじゃないわ」
「そりゃ、そうでしょうけど…」
「それに、君の感想が普通よ。警察官だってやっぱり人間だもの。教官は神様、恐怖の警察学校で散々叩き込まれても、実際の現場はそう思った様にはいかない」

「はい………」
「内緒の話したげよっか?」
「はい?」
「私が現場で初めて拳銃撃ったのは、交番にいた時なんだけど、泣いちゃったの」
「えぇ!?」
「巡査部長になって、翌年だったかな?夜、男が喚いて暴れてるって通報があって。酔っぱらいかな~ぐらいの気持ちで、私と男の後輩で現場行って。でも現場行ったら、その男はいなくて。だから、手分けして探そうって話にして後輩と別れたの。自信あったのね~。ちなみに、アタシ合気道五段だからね?そしたら、途端に出会い頭」
「そいつと一対一になったんですか?」
「そう。ただそいつ、酔っぱらいのおじさんとかじゃなくて、包丁を持ったヤクザだったのよ」
「包丁!?」
「そっ。出刃包丁。「使い方」知ってたから、本物だったのよ。勿論、私は防刃チョッキは着てたけど、相手はかなり興奮してて、出鼻挫かれた私はもう頭の中は「ヤバイヤバイヤバイ!!」って意識しかなくて、それで、警棒抜かずに拳銃抜いて、警告して」
「…………」
「今から思えば、警告したかも怪しいわね~。とにかく、男は拳銃向けても私に向かって来たから、発砲したわ。今から思えば、何処に狙いつけてたのかな?弾は、奴の足に当たって、奴は倒れたわ。銃声を聞いて駆けつけた後輩が犯人取り押さえて」
34君は黙って、私の方を見て話を聞いていた。私は続けた。
「私は拳銃構えたまま、固まっちゃったみたいに動けなかった。そしたらうちの交番から応援が来て、その中に班長がいてね、穏やかな人でね、その班長の顔見たら急に涙出てきちゃって、そりゃもう大変だったわよ~。そこで気持ちが溢れてきてね。あ、私凄く怖かったんだなって」
「………」
「お笑い話でしょ?……大丈夫よ。残念だけど、君もそうやって慣れていくから。辞めなければね?でも慣れて恐怖心を忘れたら、その時は警察官を辞めるべきね」
「そりゃまた、どうして……?」
「そうなったら死ぬわ。悪ければ他人を巻き込んで」
「はい……?」
「まあもっと刑事、いえ、警察官の仕事を経験すれば分かってくるわ。さっ、そろそろ戻りましょ。ご飯食べられない上に報告書が待ってるわ」
「はいっ」

17:57、とりあえずやっと今日の業務を終える。他の係も、朝に比べ落ち着いていた。しかし夜は夜で、また忙しくなる。今は嵐の前の静けさと言ったところだろう。今日の当直は権兵衛だ。警部補のデスクは、窓を背中にしている。その窓のブラインドに指で隙間を作ると、夜のベイエリアが見える。
デスクの方に顔を戻すと、ゆうたろうと34君が残った書類を片付けていた。留守にしていた警部補が戻ってきて、ゆうたろうと34君に言った。
「書類は明日でいいぞ、もう上がれ」
「はいよ」
「はい」
そう言われた彼らは、直ぐ様書類を片付け始めた。34君は調子が戻っている様だった。警部補は自分のデスクまで戻り腰を下ろす。その傍らに立つ私は、いつも通りの言葉をかける。
「今日はもう上がれるの?」
「そのつもり」
「晩御飯、何食べる?」
「ん~、じゃあ~……五目ラーメン」
「家にあったっけ?」
「分からん」
「じゃあ買って帰るわ」
「頼む」
「あ、それと~…」
「何だ?」
私は顔を近づけると、彼の耳元で囁いた。
「あんまり髪に触らないで?朝、ぐちゃぐちゃになってるから」
「…オーキードーキィ」
彼の口元が微かに笑っていた。
「それ以外は?」
「どこでもいいわよ」
ゆうたろうさんが、係長と女さんを見ながら言った。
「今夜もあいつは「只野仁」かな?」
「なんですそれ?」
俺の問いに、横から権兵衛さんが割り込む。
「34は「特命係長」、知らない?」
「とくめーかかりちょー?」
二人は俺の反応を見ると、ニヤニヤと笑っていた。
To next time