午後八時きっかり。この季節には珍しく、からりとした涼しい夜だ。警部補は、ある店先に一人の女を見つけた。顔見知りだ。女の方も警部補の姿を見つける。警部補がその女に近づくと、女は微笑み、口を開いた。
「…久しぶり。………来てくれたのね」
「……まあね」
そう言って昔の女は、警部補を店内へと引き入れた。過去に何度かデートした店だった。この二人が出会うのは数年ぶりだった。昔の女が警部補を呼び出したのだった。二人は店の奥の席に、向かい合う様に座った。いつも座っていた席だ。
「…本当、来てくれてありがとう」
昔の女は、また微笑みながらそう言った。
「用件はなんだ」
警部補は、言いたいことは山程あったが、昔の女と同じ様に顔が微笑みそうになるのと、声と体が震えそうになるのを押さえ、無理に低く答えた。
「っ…」
警部補の険しい声に、昔の女は微笑みを消すと視線を下に反らした。店員が注文を取りに来た。警部補が、コーヒーを2つ頼んだ。警部補はサングラスを取り、自分の大人げなさに自嘲気味のため息をついた。
「…それで、用は、なんだ?」
今度は警部補から口を開いた。先ほどよりは柔らかく言っていた。昔の女は、その特徴的な厚い唇を一瞬噛むと、伏し目がちに始めた。
「……私の、…その、夫のことなんだけれど」
警部補は頷いた。一番聞きたくない単語だった。
「最近、ギャンブルでお金を使ってて、それで、その、それで………」
そこで昔の女は口を止めた。
「それで?」
昔の女は、顔を上げ下げした。その先を中々言い出せない様だ。注文が届き、テーブルの上にコーヒーが2つ置かれた。それでも話を進められなそうな昔の女に、話の内容の見当をつけた警部補が助け船を出した。
「…金がいるのか?それとも、旦那の借りてる先が問題か?」
警部補の言葉に、昔の女は小刻みに頷いた。
「お金は…それは、大丈夫。ギャンブルは、止めてくれたんだけど…。借りた先が、その、闇金みたいなところからも借りてたみたいで、それで、最近、…暴力団みたいなのが、家まで……」
「そうか…」
昔の女はまた唇を噛んだ。
「それを、俺にどうにかして欲しいと?」
警部補の言葉に、昔の女は間をおき、また小刻みに頷いた。そして言った。
「最近はあの人との仲も冷めた感じで、なのにこんな問題起こして、お酒で悪酔いして大声出したり、叩かれる時も………。でも、子供もまだ――」
「都合がいいな。俺がデカじゃなけりゃ呼ばなかったろうにな」
警部補がそう遮った。その声は落ち着いていたが、先ほどの様に険しかった。
「……ごめん、なさい」
昔の女は謝罪し、下を向いた。
「…いや、すまん。すまない」
警部補も、思わず出た言葉に居心地悪そうにした。
「……まず、君の家の場所を教えてくれ」
昔の女は家の住所を告げた。17分署の管轄外だった。
「そうか…。よく聞いてくれ。俺の署は管轄外で、俺は手助けできない」
「えっ………」
「だが、君の家がある地域を管轄してる署に知り合いがいる。頼りになる奴だ。力になってくれるはずだ。俺から連絡しておくから、明日にでもその闇金連中について分かっていることを全てそいつに話すんだ」
警部補は手帳に知り合いの刑事の名前と所属を書き、それを破り取ると昔の女に渡した。
「…………分かった」
昔の女は頷き、メモを受け取った。警部補が言った。
「……それでも助けが欲しい時は、…また連絡してくれ」
その台詞に、昔の女はメモから警部補に視線を移した。警部補は続けた。
「サイレン鳴らして派手に登場する」
警部補が初めて微笑んだ。
「…はい」
落ち込んだ表情だった昔の女も、先程の様な微笑みを浮かべ頷いた。警部補は思わず、テーブルの上にある昔の女の手を握りそうになった。しかし出しかけた自分の手を握りしめると、
「…それじゃ、俺はこれで」
微笑みを消し、一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべ、領収書を引ったくると席から立ち上がった。
「あっ……!ま、待っ――」
昔の女が何か言いかけたが、警部補はサングラスをかけ、そのまま振り向くこともなく支払いに向かっていった。テーブルには昔の女と、手付かずのコーヒーが残った。
警部補は、店から少し離れた場所に路上駐車していたスカイラインに戻った。
「用事は終わったのか?」
助手席には、ゆうたろうがいた。
「ああ、待たせた。早いとこ飯にしよう」
警部補は途中で自販機から買ってきた冷たい缶コーヒーを渡すと、エンジンをかけた。直列6気筒が静かに唸った。缶コーヒーのプルタブを開けながら、ゆうたろうがぽつりと言った。
「……女には黙っといてやる」
「…なんの話だ?」
警部補はウインカーを点灯させ、スカイラインを発進させた。ゆうたろうが言った。
「とぼけんな。俺はデカだぞ?」
「俺もデカだ」
警部補が微笑みながら言った。ゆうたろうも、かぶりを振ると苦笑いした。車外から入り込む街の明かりに、コンソールボックスに置かれた回転灯が鈍く光った。
To next time
Posted at 2013/07/26 23:03:43 | |
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