
13:00
「あ~あ」
「あ~あ」
二人の男は同時にあくびを出した。分署19ギャランの車内は、昼食後の眠気覚ましのコーヒーの匂いで一杯だったか、まったく効かない様だ。
「なあ、書類仕事思い出した。署に戻らないか巡査部長殿?」
ハンドルを握るゆうたろうが言った。
「そりゃ良い考えだ。けど係長にどやされるんでないの巡査部長殿?」
権兵衛がコーヒーを啜りながら言った。
「巡回も立派な仕事だもんねえ」
この二人で巡回するのは珍しかった。最近は特に忙しかったが、この二人を組ませた途端、17分署移動局の無線が静かになった。
「なあ、シノダって結構良い女だと思わないか」
権兵衛が唐突に言った。ゆうたろうは答えた。
「確かに。なんだ、あの娘に気があるのか?」
「いやそういうワケじゃないがさ」
「そういえば、この前の彼女どうしたんだよ?」
「彼女?」
権兵衛がコーヒーを一口含んだ。
「この前、レモンハートでお前が声かけたあの女だよ」
信号が赤になり、ゆうたろうはブレーキを踏む。権兵衛はもう一口コーヒーを含むと言った。
「ああ、あの女か。別れた」
「なんでえ?いい女だったじゃないかあ」
ゆうたろうが苦笑いしながら言った。
「だって今の生活変えてくれだなんて言うからさあ」
「なんかどっかで聞いた話だな」
「刑事なんて仕事してるからな」
権兵衛が身を捩る。腰のホルスターが痛むのだ。信号が青になり、ゆうたろうは車を発進させた。権兵衛が言った。
「ところで、最近どうよer34はよ」
「どうって、何が?」
「警部補や女とだけじゃなく、俺やゆうたろう、シノダとも組む様になった」
「警部補が奴を認めた。成長したってことだろ?」
ゆうたろうは交差点を右折した。権兵衛はドアに肘をつきながら言った。
「しかしさ、この前の事件」
「34が狙われた、アレか?」
「そう。俺とシノダが踏み込むのが遅かったら、果たしてどうなってたか」
「まあ、状況判断や頭に血が上りやすいのは、若さかねぇ」
「年くっても変わんないのもいるけどな」
権兵衛が笑った。ゆうたろうも笑った。また権兵衛が言った。
「ところで受けないの?」
「何を?」
「とぼけちゃって。昇任試験だよ」
ゆうたろうはまたその話かとばかりに、苦虫を噛み潰した顔をした。
「警部補だって言ってたじゃないか、良い機会だから受けろって。給料が増えれば退職金も増える」
「いいよめんどくさい。階級があがれば、それだけ仕事も増える。また警察学校に行かなきゃならん」
「アンタなら良い係長になれるよ」
「係長なんてデスクワークだ。現場仕事してる方が楽しい」
「うちの係長様は一番に現場やってるけど?」
「アイツは特別だ」
「まあねえ」
「そういうお前はどうなんだよ?自分は試験受けないのか?」
ゆうたろうに返され、権兵衛はにやにやしながら即答した。
「めんどくさい。仕事が増える」
「ほれ見ろ」
また二人は笑った。
「しかし、静かだな」
「ああ」
信号が変わり、また車を止める。ゆうたろうがふと対向車線側の歩道を見ると、Tシャツ姿で筋肉質、よく日焼けした若い男が全力疾走をしている。手にはやや大きめのカバンを持っている。
「この暑い中元気だねぇ」
「ちょっと元気良すぎじゃない?」
気がついた権兵衛も、首を回して男を追う。声かけてみようか?二人がそう思ったその時だった。
「「17分署管内、緊急通報」」
無線が喚いた。二人の目と鼻の先の銀行で拳銃を使った強盗が発生、犯人の人着は、先ほどカール・ルイスだった。権兵衛が無線を引ったくる。
「分署19から本部っ」
ゆうたろうは真後ろに一般車がいないことを確認すると、サイレンのスイッチを入れギアをバックに入れると後退しだした。権兵衛が無線通報しつつ、空いた片手で回転灯をルーフに放った。進んで来た他の一般車は、ギャランを避けようと右往左往する。カール・ルイスも気づいた。交差点に出たところで、ゆうたろうはギャランをスピンターンさせた。

「良い子は真似すんなよ~!」
権兵衛が誰ともなしに言った。ギャランがカール・ルイスに追い付き、並走した。権兵衛がマイクで言った。
「「よっ、お兄さん。そろそろ止まってくんないかな?」」
カール・ルイスは一瞬権兵衛を睨んだが、走り続けた。
「止まる気ないみたい」
「お前走りたいか?」
「やだよこんな暑い中」
「だよなあ」
目の前がまた交差点になった。ゆうたろうはギャランを加速させると、歩道の切れ目に鼻先を押し込み、カール・ルイスの道を塞いだ。権兵衛が得意の「ドア殴り」をしようとした。すると、なんとカール・ルイスは、ギャランを飛び越えた。ボンネットを転がるワケでもなく、文字通り飛び越えた。ゆうたろうと権兵衛は、それがスローモーションに見えた。
「わーあお!」
ゆうたろうが感嘆とも言える声をあげた。
「あいつオリンピックかなにかに出てたんじゃないの?」
権兵衛が言った。我に返ったゆうたろうは悪態をつくと、バックギア特有の音を唸らせ、再びギャランをスピンターンさせ追跡した。ここでカール・ルイスの運命がつきた。奴が進んだ道は、サンフランシスコ並みの強烈な登り坂だった。ゆうたろうが楽しそうに言った。
「おっとー、ドジりましたね」
「この先ずーっと登り坂だよ」
権兵衛も笑った。カール・ルイスはスタミナが切れたか、もはやはや歩きが良い所だった。ギャランが横に並び、権兵衛がカール・ルイスにグロックを突きだしながら言った。
「ね、ほんとにそろそろ止まらないと危ないよ?この車ん中涼しいから乗せてやるよ」
「どうせ行き先一緒だし」
ゆうたろうも言った。カール・ルイスはようやく止まった。

「しかしまあ、書類仕事ってのはどこの部署行っても変わらないわなあ」
ゆうたろうがコーヒーカップを持ち上げたが、空になっていた。
「パトロール、交通、生活、警備、鑑識、警務、組織犯罪、公安、そして刑事」
権兵衛は書類から顔を上げずに言った。
「結局待ってるのは書類だ」
今日はその後2件の事件を扱い、その書類の整理に追われていた。更に別の事件の書類の仕上げもあった。署の中は同じ様に書類に付き合わされている者と夜勤者、そして犯罪者連中だった。ゆうたろうが唸る様な声を出しながら立ち上がり、コーヒーメーカーまで行った。戻ってきたところで、権兵衛が声をかけた。
「なあ」
「なんだ」
「警察官辞めたいと思ったことないか?」
「あるよ」
ゆうたろうは簡単に答えた。権兵衛は聞いた。
「いつ?」
「今日も。昨日も。きっと明日も」
「じゃあ、明日辞めるか?」
「いや」
そう言って、ゆうたろうは書類に向き直った。
「明日も書類があるだろうから」
To next time