
都内の午後。空には黄色の飛行船が一隻だけ、ゆっくりと進んでいた。しかし地上、一般道と高速は共に渋滞である。その一般道の渋滞の中に、紺色のスカイラインがいた。警視庁17分署の覆面車であり、ハンドルを握るのは刑事課強行犯係の係長である警部補、助手席に座っているのは警部補の部下の女である。
「動かんな」
警部補がぽつりと言った。
「そうね」
女もぽつりと返した。この二人は、今朝は本部(警視庁)に呼び出されていた。17分署刑事課、特に強行犯係の普段からの「派手な活躍」、それに付け加え警部補と女の同棲関係について、刑事部長直々にお小言を頂戴したのだった。今はそのお小言が終わり、分署へ向かってる途中だった。
「…今度は総務部長かしら」
女が窓の外を見ながら言った。
「なんで」
警部補が返した。女は顔を警部補にしっかり向けて言った。
「弾撃ち放題、半私用車のガソリン入れ放題、他もろもろ費用山程」
「そお言うお前はどうなんだよ」
「同じくね…」
「金だったら特車隊の方が使ってるだろ」
「でも、なんで同棲のこと知ってたのかしら、部長」
「さあね」
前の車が動きだし、警部補もノロノロと車を動かした。
車はようやく法定速度で走れる流れになった。警部補が言った。
「腹減ったな」
女が腕時計を見た。
「お昼はとっくに過ぎてるしね」
「ちょっと、いつもの所に寄ってくか」
警部補が言った。丁度今走ってる道沿いに、時々行く喫茶店があった。夫婦の経営で、店主の愛想は悪いが味は良い。
「…ね」
女が言った。
「なんだ」
「……なんでもない」
「…うん」
警部補は女をちらと見た。警部補は、女が言い出しかけて止めたその内容は、刑事部長におまけの様に指摘された、同棲のことかもしれないと思っていた。この問題については、お互い度々考えたことだ。しかし、本部の部長にも意見されるとは、いよいよ問題である。籍を入れるなんて、紙一枚で済む話ではあるのだが。
スカイラインが店の前に着いた。丁度対向側だ。車の切れ目を見て、店の駐車場に入った。女が言った。
「食べてく?」
警部補がシートベルトを外しながら言った。
「いや、買ってくる。分署でやることもあるしな。いつものでいいな」
「お願い」
警部補は少し早足で店に入った。店内は、いつも通りに適当な賑わいだった。警部補はカウンター席に行った。
「いらっしゃい」
中年の女性定員が声をかけてきた。店主の女房で、オカミさんなどと呼ばれている。少しふっくらしてるが、昔、セーラー服を着て機関銃を撃つ映画に主演した何とかと言った女優に似てる。店主に比べ、人当たりが良く遥かに愛想が良い。警部補は言った。
「いつもの。相方もいるから二人分。持って帰るから」
「はい」
いつものとは、警部補はコーヒーにホットドッグ、女はサンドイッチだ。警部補は、カウンターにもたれ掛かった。店内を少し見た。客はサラリーマン、カップル、近所のご老体、老若男女だ。やや小さめにJAZZがかかっている。警部補は、なにか違和感を感じた。そういえば、いつも愛想が良いオカミにも違和感を感じた。笑っていなかった。店主を見た。いつも通り、仏頂面で仕事をしている。夫婦喧嘩でもしたのだろうか。しかしこの二人が喧嘩したのを見たことがなく聞いたこともない。
「はい、お待たせ」
オカミが紙袋をカウンターに置いた。警部補は財布から札を出した。
「釣は取っておいて」
「あら、ありがとう」
オカミは答え、初めて笑った。しかし、それもどこかぎこちない。やはり喧嘩でもしたのだろうか。警部補は店を出た。警部補は、何気なく紙袋からコーヒーが入った紙コップを取りだし、一口飲んだ。そして即座に吹き出した。尋常じゃない甘さだ。激甘という奴である。思わず店を見返した。すると、どういうことか、店のドアに「閉店」と看板がかけられた。警部補は、もう一度コップを見た。そして車で待つ女を見た。女は怪訝な顔で警部補を見ていた。

警部補は、またコップを見た。
「ヒャッハーッ!!」
店内の暗がりから男が奇声を発しながら一人、また一人と、全部で四人出てきた。しかも、彼らの手には拳銃やショットガンらしき物が握られている。男の一人が、オカミに銃を突きつけた。
「おいババア!変な真似しなかったろうな!?」
「み、見てたでしょう?何もしてないわ!」
オカミが震える声で返した。今度は、ショットガンを持つ男が言った。
「よーしデカは行っちまった!!お前ら、金目の物ありったけ出せ!!」
その声に、客たちが震えながら財布やらなにやらを差し出す。店主が唸った。
「お前ら、こんな貧乏人からせしめられると思ってんのかっ」
店主に、オカミに凄んだ拳銃男が答えた。どうやらリーダーらしい。
「だからありったけ出せって言ってんだよ!」
男がそう言いながら、手近にいた客を引き寄せた。OL風の若い女だった。中々の美人だった。
「ゲハハハッ」
拳銃男が下品に笑った。その男の視線の先に、黒いスーツとサングラスをかけた男が入った。左手には紙コップを持っている。警部補だった。
「てっ、てめえ!!」
拳銃男は喚くと、若い女の首を掴み、そのこめかみに銃口を押し付けた。女が潰れた悲鳴をあげる。拳銃男は動揺していた。拳銃男の声に気がついた仲間達も、警部補の姿を認め、同じく動揺した。警部補が言った。
「俺は長いこと、この店でコーヒーを買っている。いつもミルクだけの薄いコーヒーを買っている」
拳銃男はあっと言う間に冷や汗まみれになった。警部補は続けた。
「だが今日はどういう訳か、砂糖たっぷりの激甘だ。だから文句を言いに来た」
警部補は一呼吸置き、そして言った。
「……さて、坊や達。銃を置くんだ。俺は警察だ。俺たちからは逃げられんぞ」
そう言われた拳銃男は、顔をひきつらせ、ぎこちない笑顔を浮かべて言い返した。
「は……ははは!て、てめえ寝ぼけてんのか?他に誰がいるってんだよ?オッサン!!」
拳銃男は、若い女につきつけている銃を警部補に向けた。警部補は、言った。
「他に誰がいるかって?それは…俺と、スミス&ウェッソンだ」
警部補は手に持ったカップを拳銃男の足元に投げた。一瞬、拳銃男の視線と銃口がずれる。警部補はその一瞬のチャンスに、ショルダーホルスターからリボルバーを抜き撃ちした。3.5インチの銃身から叩き出された44マグナム弾は、正確に拳銃男を撃ち抜いた。ショットガン男が銃口を警部補に向ける。警部補はそれよりも早くショットガン男を撃つ。ショットガン男は撃たれた衝撃で引き金を引いた。警部補の横にあった壁掛けの棚が粉々になった。ショットガン男は店の窓ごと、外に吹っ飛んだ。残った男の一人が銃をめくら撃ちした。慌てて身を隠す客たち。警部補は冷静に狙いを定め、引き金を引いた。

残った二人も、机やら椅子を巻き添えに床に倒れた。しかし、一人はまだ立ち上がる元気があった様で、近くに伏せていた大学生風の女性を人質にしようとした。女性は悲鳴を上げた。その時だった。その男の後頭部に強い衝撃が走り、男は今度こそ床に倒れた。女性はまた悲鳴を上げた。殴った主が、ふんっと鼻を鳴らした。殴ったのは、女だった。愛用のシグのグリップで思い切り殴ったのだ。
「あ~あ」
警部補が気の抜けた声を出した。
「何よ?」
女が言った。警部補が銃を仕舞いながら言った。
「まだ決め台詞言ってないのに」
「どうせまた昔の刑事モノの台詞でしょ。それより!」
「なんだ?」
「こーゆーことするから上に怒られるのよ!!」
「正当な職務執行だよ。しかし、手負いの犯人のドタマ気絶する程殴るのはどうなんだよ?」
「こっ!こ、これは、これこそ、正当な職務執行よ。人質取ろうとしてたし」
「似たようなモンでないかねえ」
「アタシは今日はバカスカ撃ってないわよっ」
店の外から、サイレンの音が聞こえてきた。事前に呼んでおいた応援だった。
「あ~あ、結局こんな時間だ」
現場検証が終わり、時刻はすっかり夕方だった。警部補と女にとっての今日は、刑事部長にお小言を言われ、その後は鬱憤晴らしの様な銃撃戦で終わりそうだった。警部補と女は、スカイラインの中で熱い缶コーヒーと、その一方すっかり冷めたホットドッグとサンドイッチ、それとドーナツをかじっていた。缶コーヒーとドーナツはオカミからの差し入れを受けた。喫茶店が缶コーヒーを出すなどもってのほかだが、銃撃戦でキッチンやら商売道具が蜂の巣となっていた。ドーナツは喫茶店で出している物で、作り置きの無事な物だった。オカミは「この差し入れは主人が用意した」と言って二人に渡した。無愛想の店主の、精一杯のお礼ということなのだろう。また、オカミは別れ際に警部補に「あんな甘いコーヒー作ってごめんなさい」と言った。警部補は「たまにはあれ位甘いのも悪くない」と答えた。
女が、ドーナツをかじりながら言った。
「ね」
警部補は口の中のドーナツを飲み込んで答えた。
「なんだ」
「…アタシたち、やっぱり今のままが、一番なのかしら?」
「え?」
「…ごめんなさい、変なこと言って」
「何だ急に…」
「ウフフ…」
女は笑った。警部補はコーヒーを啜った。そして言った。
「さて、署に行って書類書きするか」
「あーもー面倒っ」
「仕方ないさ。それもお仕事だ」
警部補はスカイラインのエンジンをかけた。
To next time