
警視庁所轄、墨東警察署。夜の捜査会議が終わった。捜査に応援として呼ばれていた17分署刑事課強行犯係の係長である警部補は、駐車場に向かうとスカイラインに乗り込み発進させた。
捜査本部が設置されている会議室の窓からは駐車場が見える。警部補のお供として捜査に参加していた女はそれを見ていた。彼女は、警部補が何処に向かうのかを知っている。
「女さん」
声をかけられ、女は窓から視線を外した。声の主は、墨東署の若い男性の刑事で、女と組まされていた。名前はタチバナと言った。この捜査での、女の「相棒」だ。タチバナは言った。
「自分は今日の捜査資料をもう一度見直したいと思います」
まだ幼さの残る顔だ。刑事なりたてらしい。女は、タチバナに付き合うことにした。どうせ警部補の帰りは遅い。
事件は殺人だった。墨東署管内にある、そこそこ人気のあるキャバクラのホステスが殺害されたのだ。リョウという源氏名で、店の営業が終わり帰宅途中に刃物で刺し殺された。17分署は墨東署の近隣であり、また、被害者の自宅が管内であったことから応援として警部補と、部下である女が出向いていた。捜査本部の捜査方針はまだ固まっておらず、様々な情報を集めている。女は思った。タチバナには悪いが、最初に判明している情報を再度見直しても、あまり新しい発見はない。
人気があまりない通り。警部補は路上パーキングにスカイラインを止めた。程無くして、真後ろのスペースに一台の車が止まった。都合よく空いていたものだ。警部補はスカイラインから降りると、その車に近づき声をかけた。
「久しぶりだな」
警部補が声をかけたのは女性だった。中々の美人だ。女性は言った。
「最近冷たいじゃない、全然会ってくれないし」

「まあ色々とあるんだ」
警部補は車の助手席に乗り込んだ。
捜査会議。徐々に情報が集まってくる。
リョウは経験が長く、しかし、店では特に大人気というわけではなく、あまり決まった客はいなかったそうだ。それについて報告していた刑事が言った。
「リョウは営業終了後に客と出かけるアフターや、同伴出勤はあまりなかったそうです。また、従業員同士の交友は少なかったそうです」
リョウは独り暮らしで、そこそこ良いマンションに住んでいる。給料は悪くないらしい。店にも無理難題を言うわけでなく、関係は悪くなかった様だ。新しい情報では、リョウが殺害された時間、付近で怪しい男らしい姿を新聞配達のバイトが目撃していた。捜査本部の方針としては、客や店とのトラブルを探る一方で、通り魔の見方を出した。
女とタチバナは、通り魔についての聞き込みをしていた。タチバナが言った。
「女さん、この事件、通り魔の犯行でしょうか?」
女は答えた。
「さあね。ただ、被害者の周辺に、今の所恨みを持つ者が出てこない以上は、可能性は高いかもね」
被害者の傷口は酷く損傷しており、凶器は「鋭利な刃物」としか分かっていない。包丁か、ナイフか。目撃情報だけで、未だに有力な情報が得られない。
とある一室。警部補はそのドアを開けた。薄暗い室内には女性が一人いた。中々の美人だ。警部補の姿を見るなり、女性が口を開いた。
「都合の良い女だと思わないでね」

女性の言葉に、警部補は言った。
「そうとは思ってない、…とは素直には言えないな」
「正直ね…。いいのよ、あなたには助けられてるし」
「この事件は通り魔の犯行が強い物と考える」
朝の会議。捜査の指揮を行う本庁の管理官が言った。被害者には怨恨の線が見えない以上は、そうなるのだろう。捜査員達は片端から聞き込みに出た。ローラー作戦だ。女とタチバナも、再び聞き込みに出ようとした。
「タチバナ君、先に行ってて」
女はタチバナにそう声をかけると、警部補の姿を探した。すると、管理官と何か話をしている様だった。単独捜査について何か言われているのだろうか。いや、それはないだろう。そもそも係長という立場は、捜査本部では予備班という扱いになり情報を纏めたりする役割だ。しかし警部補はそれには加わらず捜査をしかも単独で行っていた。実は、警部補は何か掴んでいるのではないか?女はそう思った。しかし、今は今で自分に与えられた仕事がある。それに、必要になれば必ず自分に声をかけるはず。女は気持ちを切り替えると、捜査本部を後にした。
夜。景色が良いのに、人気がないバー。静かにジャズが流れている。客は、露出が多いドレスを着た女性がテーブル席に一人。中々の美人だ。その女性に声をかける男がいた。
「ここ、空いてるかな?」
警部補だった。
「お好きにどうぞ」
女性は言った。警部補は席に座り、言った。
「待たせたな」
「待つのはなれてるわ」
二人は顔見知りだった。
夜の町。女とタチバナは聞き込みに歩いていた。タチバナが言った。
「女さん、聞いても良いですか?」
「何?」
「警部補って、何を調べてるんです?」
最もな質問だ。確かに警部補は予備班としてサポートするわけでもなく、といって捜査会議では未だに情報を提供していない。怪しいにも程がある。女は立ち止まると、軽くため息をつき、言った。
「さあ、あたしにもわからないわ。管理官は、何か知ってるのかもしれないけど」
タチバナは言った。
「……警部補って、強引だとか違法スレスレだとかよく聞きますけど、どうなんですか?」
「どうなんですか、って言われてもね…。ただ、あたしは彼を信じてる」
女の言葉に、タチバナは少し間を置いて言った。
「……あの、そう言う間柄っていうのは聞いてましたけど…」
女は穏やかに言った。
「彼の警察官としての能力を信じてるのよ。そう言う間柄は抜きにしてね」
「はあ…」
タチバナは言葉は見つからなくなった。女は言った。
「さ、あたし達はあたし達の仕事をしましょ」
女性が、ストローでタンブラーの中の氷を遊びながら言った。
「リョウちゃん、ちょっと口が悪いところがあってね」

「口が悪い?」
「そう、時々思ったことズバッと言っちゃうの。相手にとって聞きたくないことでも。それでもまあ上手くやってのけたから、実力やら運は良かったのね」
女性はリョウと知り合いだった。
「そう言えば変なお客さんの相手したって言ってたわ」
「変な客?」
「そう。結構若い男だったらしいけど、なんでも彼女ができたためしもなくて、女の子に慣れる為に来てみたとか。リョウちゃんよっぽど可笑しかったみたいで、結構茶化したりダメ出ししてやったとか言ってたな」
女性は、若い男について、リョウから聞いたことを話した。話を聞き終えると、警部補は席を立ち上がった。女性が言った。
「行っちゃうの?」
「また、今度な」
警部補はテーブルに札を何枚か置いた。女性が伏し目がちに言った。
「…捕まえてね、絶対。あのコ、良いコだったのよ」
女性の言葉に、警部補は答えた。
「任せろ」
警部補は怨恨の線で独自に捜査を行っていた。そして被害者の業界関係に詳しい人間達に「深い知り合い」の多い警部補が探りを入れていたのだ。そして、一人の男が浮かび上がった。遊び慣れてなさそうな、若そうな男。最近繁華街で同一人物らしいのが様々な店を物色していたという情報を得ていた。更に、呼び込み連中やら場の空気に怖じ気づいたとかで交番に逃げてきた若い男がいたという。そして、リョウが相手したという若い男。人相風体は全てそれだった。交番では念のため住所氏名を聞き出していた。調べるとそれは本物で、アパートに独り暮らししているヌマタという名前の大学生だった。こいつが犯人だ。警部補は確信した。警部補は駐車していたスカイラインに乗り込むと、女に連絡を取ろうと携帯電話を取り出した。
あるアパートの前まで来た時、女の携帯電話が鳴った。携帯電話を取り出すと、警部補からの着信だった。女はタチバナに先に行く様に言った。
「はーい」
女は、わざと気だるそうな声で出た。
「随分お疲れの様じゃないか」
警部補は含み笑いで言った。
「歩けども歩けども、仕事捗らないんですもの。…それで、何か分かったの?」
女の問いに警部補はこれまでの経緯を話した。そして、ヌマタの住んでいる住所と名前を聞いた時、女は飛び上がりそうになった。
「ちょっと……あたし、今そこにいるわよ」
警部補も珍しく声を上ずらせた。
「なんだって?」
女は、タチバナの行方を見た。なんてことだ、ヌマタの住んでいる部屋の呼び鈴を押している。
「タチバナ君!」
女はタチバナを呼んだ。しかし、人間隠し事をしたい時に人を呼ぶ時は声が小さくなる。女の声はタチバナに聞こえなかった。呼び鈴に応えは無かった。しかし、タチバナはご丁寧に声で呼び掛けた。
「警察の者です。いませんか」
女は頭を抱えたくなった。しかし、タチバナの行動はある意味ヌマタの容疑者説をほぼ確定させた。室内から大きな物音がした。逃げる気だと直感した女は、タチバナに叫んだ。
「タチバナ!踏み込め!」
叫ばれたタチバナは驚いた顔で女を見た。次の瞬間、室内からわめき声が聞こえた。
警部補は、女の携帯から聞こえて来たやり取りを聞き、ヌマタが犯人だと確信した。そして回転灯をルーフに放り出しサイレンのスイッチを押し、女達の所に向かった。
ヌマタはその場で女らに逮捕された。捜査本部に戻り、取り調べは警部補が担当した。訳がわからない捜査員達に、女は警部補が入手した情報を伝えた。ヌマタはあっさりと自供した。自分は女性と交際した経験がなく、女性に慣れようと思い様々な店に行ってみた。皆優しくしてくれたが、リョウだけはからかったらしい。ヌマタにはそれが我慢ならなかった。そして犯行に至ったらしい。警部補は何度も何度も経験したことだが、うんざりとした。どの様な人生や育てられ方をすれば、たった一度顔を合わせただけの人間を殺すのだろうかと。何故こんな短絡的な人間が出来上がるのかと。しかしそれは現在だろうと数十年前だろうと変わらない。だから、警察はいつも忙しいのだ。
翌日。捜査員総出で書類関係の仕事を終わらせた捜査本部では、その夜、湯飲み酒で労を労っていた。捕り物を行い、顔に絆創膏をつけたタチバナは先輩らに絡まれながらも嬉しそうにしていた。女は警部補の姿を探した。また見当たらない。しかし、見当はついた。
「やっぱりここにいた」
女は言った。ここは墨東署の屋上だ。警部補は手すりにもたれ、夜景を眺めていた。女は、警部補の隣に来た。警部補は言った。
「ここの夜景も悪くないな」
「まあまあね」
二人はそれだけ言うと、黙った。暫くして、警部補が口を開いた。
「悪いな、いつも」
警部補は、夜景を見つめたまま言った。女は、警部補に体を密着させた。
「いいの、とは素直に言えないけど…」
女は、更に警部補の腕を取って、言った。
「お互い誰が一番かは、分かってるわよね?」
警部補は言った。
「分かってる。…ありがとう」
二人はまた黙ると、暫くそうしていた。
To next time