東京、ベイエリア。人口25万。自動車台数1万6千台。1日の犯罪、240件。私は刑事として色々な犯罪を見てきたけれど、まさか私がストーカーに遭って、更には拉致までされるとは思ってもみなかった。

「婦警さん、そろそろ食べてよ…。お腹空いてるハズだよ……。」
青年が私の口にサンドイッチを突きつける。私は顔をそむける。何度目だろうか。決して私が自ら口を開くことはないことを、この青年は理解できないのか?大体、今は婦警という呼び方はしない。
「ほら…。ほらあ!!」
私の顔を細い手で掴み、私の口にサンドイッチをねじ込もうとする。私は抵抗する。口に入った分を吐き出し、青年の顔に吹き飛ばす。
「またそういうことするんだ………」
青年がスイッチを握る。私は身構えた。私の首には首輪がつけられている。しかも、それは電撃が走る物だ。目が覚めてから何度か味わった。そしてそのスイッチは、今青年が握っているものだ。青年がスイッチを押した。
「ぐっ、ううっ」
電撃が走る。私は身を捩らせ、負けるものかと堪える。しかし今回はだいぶ青年の気に障ったのか、今までで一番長くスイッチを押されている。
「婦警さんが悪いんだ……。なんで、あの時みたいに優しくしてくれないんだよ………」
青年が泣きそうな顔をする。泣きたいのはこちらだ。大体優しくした覚えもないし、面識もない。
私は電撃に耐える。だが、悔しいが今度ばかりは限界の様だ。
「ああああ!」
口が開く。叫ぶ。体が跳ねる。気が遠くなった。
一週間程前か、気のせいか誰かに見られている気配は感じていた。そして、とある日の夜、一人で車で帰宅していた時、目の前に人が倒れているのを見つけた。注意深く近寄ると、後ろから襲われた。一人、二人と倒した直後、後頭部にかなりの衝撃を受けた。恐らくバットかなにかで殴られたのだろう。よく死ななかったものだ。そして今。窓も時計もないので、昼なのか夜なのかも分からない。恐らく、二日は経っているだろう。私は身ぐるみ剥がされ、しかし素っ裸にひんむかれた状態ではなく、代わりに拘束具の様な服と、首に電撃を加える首輪状の装置をつけられていた。とても良い趣味とは言えない。そして時折姿を現すこの青年。細くてとても犯罪者には見えないが。しかし、この部屋一面には、私の写真がところ狭しと貼られていた。どうも私の隠れファンらしい。優しくされたとかいうのは、きっと写真やらなにやらを見てる内に、自分の世界でその気になったのだろう。私を拐った目的を聞いても、ただ私と居たいだけらしい。これは厄介だ。
昼夜、俺はスカイラインを走らせた。型は古いとはいえ、直列6気筒のエンジンは滑らかに回り、車内は意外と静かだ。その静かな車内に無線のコールが鳴る度に聞き入るが、関係のない情報や事件ばかりだ。
17分署の刑事である高城玲子が行方不明になって二日。しかしまだ公開捜査にはならない。アイツの車が放置されていた場所からは手がかりは何も出なかった。その代わりに、俺の好物のスコーンと、血痕があった。
「あのぉ、野沢係長」
「なんだ?」
「そろそろ、昼飯にでもしませんか?」
助手席の木村が遠慮がちに声をかけてくる。そうか、もうそんな時間か。腹が減っては戦はできぬ。俺は直ぐに目に入ったファーストフード店に車を入れた。
玲子が、「気のせいか誰かに見られている気がする」と言ってきた時、俺は本気にしなかった。まさかこんなことになるとは。何年デカで飯を食っているのだろうか。この職業、恨まれることは山ほどある。
犯人め。タダで済むと思うな。
青年が、私の銃を弄くっている。間違って引き金を引かれてはたまらない。私は声をかけた。
「言っとくけど、それ、弾入ってるのよ。間違ったら大ケガするわよ」
青年は言った。
「知ってるよ。シグザウエルP230、32口径。婦警さんにはぴったりのピストルだね」
そう言って、安全装置を外しスライドを引くと、銃口をこちらに向けてくる。知識はあるようだ。指は引き金にかかってはいないが、非常に悪い気分だ。
「そろそろ帰してくれないかしら?あまり無断欠勤すると、ボーナスに響くわ」
「それは大丈夫だよ。だって、婦警さんはここで僕とずっと暮らすんだし、面倒は僕が見る。婦警さんはここに居てくれればいいんだ」
爽やかな笑顔だが言ってることはとんでもない。どうにかしなければ。
「僕は一目見た時から、婦警さんが好きになっちゃったんだ。ぶっちゃったのは悪かったけど、婦警さん強いからああでもしないと」
青年が近づいてきた。手はこの拘束服のおかげで動かせないが、足ならなんとかなるので蹴りでも入れてやりたいが、その後がどうにもならない。
「あの女の子にしてたみたいに、僕も頭を撫でて欲しいなあ…」
あの女の子…?そういえば、小学生の女の子が落とし物を分署に届けに来て、たまたま私が預かって…。それも見ていたのか。そんな近くにいたと思うとゾッとする。
「ねえ……、撫でてくれる?」
青年が自分の顔を、私の顔に近づける。手には電撃首輪のスイッチ。
「少なくとも、この状態じゃ無理ね」
「婦警さんが暴れないって約束するなら、腕を動かせる様にしてあげる」
「するわ」
「いや、嘘だね」
そう言って離れる青年。無茶苦茶だ。
「でも、いつか婦警さんは絶対僕の頭を撫でてくれるよ」
そう言って青年は笑った。
俺は机で、捜査資料を整理していた。信田が側までやってきた。俺は顔をあげた。
「係長、ちょっと私のパソコン見て貰えますか?」
妙に声を落としてそう言った。俺は信田と一緒に彼女の割り当ての席まで行く。青野がこちらを伺っている。渡辺と木村は捜査に出ている。本庁捜査一課の捜査班と近隣の署からの応援も含め、極秘に捜査本部が設置されていた。指揮を執るのは、捜査一課から派遣された班の管理官だ。
「なんだ?」
信田は、業務に使っているノートパソコンを一瞥してから俺に言った。
「あるネットの掲示板の書き込みなんですけど……」
「俺はそういうのは分からん。何か見つけたのか?」
「名前は出てないんですが、恐らく玲子さんのことが書かれていると思われます」
「何だって…?」
俺は大声を出しそうになるのを堪えた。有力だが、まだ確実な情報ではないのだろう。それで信田は声を落としていたのだろう。彼女は椅子に座ると、パソコンを操作した。聞き耳を立てていた青野も寄ってきた。
「書かれている内容なんですけど「知り合いから高額のバイトをしないかと声をかけられ、手伝った。女を襲った。それは刑事だった」、と書かれています」
「野沢、こいつは……」
青野が息を飲む。書き込まれた内容の続きを読んで行くと、犯行時の行動が書かれていた。当然場所等は書かれていなかったが、俺たちが推測していたのとほぼ同じだった。
「他に、画像がアップロードされていました。玲子さんの写真じゃないんですが…」
信田が開いた画像は、警察手帳と拳銃だった。手帳はバッジのみを写していた。銃はシグの様だった。玲子もこれと同じ物を持っている。
「…信田、俺と一緒に管理官に報告してくれ。そしてこれを書いた奴がどこのどいつか、調べるんだ」
「はい」
「…婦警さん」
声をかけられ、ハッとした。眠っていた様だ。さすがに飲まず食わずで電撃をくらっては体力の消耗も激しい。そして人間、どんなに気を張っていても眠い時は眠い。
「だいぶ疲れてるみたいだね」
「そうね、誰かのせいでね」
「だって、婦警さん何も食べてくれないんだもの」
確かにそれもそうだ。これ以上体力を消耗しては、抵抗する気力も起きなくなる。悔しいが、食事は受け入れることにした。薬でも盛られないことを祈ろう。しかし一切外からの音は聞こえない。防音がしっかりしているのだろうか。今何時で、ここは一体どこなのだろう……。
三日目の夕方。そして、もうじき夜が来る。
今日は青野と組んで捜査している。インターネットの掲示板に書き込んだ奴の身元が割れ、朝早くからしょっぴいて聴取している。今は渡辺と信田が締め上げてる。余程の意識がないと、人は不思議と秘密を喋りたがる。今回はそれに助けられた。
「分署から分署17」
無線で呼び出される。助手席の青野が無線に答えた。
「分署17、分署どうぞ」
「渡辺だ。高城の居場所が分かったぞ」
「本当か?」
その場所は、ある廃工場で分署からそう遠くない場所だった。舐められた物だ。
「至急パトを向かわせ、包囲する。それまで待機してくれ」
それを聞いた俺は、無線を握る青野の腕ごと掴んで引き寄せると、無線に怒鳴った。
「そんなのんびりしていられるか!」
「落ち着けよ。準備するまで待つんだ。管理官がそう言ってる!」
「なんにしろ俺たちが一番乗りだ!」
青野が「へ?」と小さな嘆きの声をあげた。渡辺が言った。
「野沢さんよ、あんたの気持ちはよく分かる。だが落ち着いてくれ。青野さん、何とか言ってやってくれ」
俺に腕を掴まれたままの青野は、やや無線に体を近づけて言った。
「あー、無理無理。もうこいつは誰の言うことも聞かないって」
「そうだ。俺は、今なら警視総監の言うことだって聞かないってことだ!」
俺はそう言うと、青野の腕を離した。青野は無線を切ると、
「まったくもー、しょーがねーなー」
と言い、回転灯をルーフに放りサイレンのスイッチを押した。俺は騒音ばりのサイレン音に負けない様に
「すまんな、相棒」
と大声で言った。青野も同じ様に、
「そりゃどういたしまして」
と返した。俺は床を踏み抜くぐらいにアクセルを全開にし、スカイラインの直6エンジンを唸らせた。
今回の食事に、やはり何か混ぜられていたらしい。どうも頭がぼやける。それに体がだるく、力が入らない。今までの言動から体を狙ってはいないと思っていたが、やはり腐っても男。目の前に女がいれば、手を出したくなるか。
「婦警さん、どお?頭の中、気持ちよくない?」
「知らないの…?今は……婦警って言わないのよ……」
言い返してみるが、どうも呂律が回らない。青年は息をやや荒くして、私の体をなで回す。覚えてなさいよ。
その時だった。何かを壊す大きな音が聞こえた。今まで何も聞こえなかったこの部屋に初めて外部からの音が聞こえた。気のせいか、サイレンの音も聞こえる。
「な、なんだ!?」
青年は慌てて部屋を出た。音の原因を確かめに行ったのだろう。
我ながら派手な登場の仕方だった。懐かしの刑事ドラマ宜しく、盛大にサイレンを響かせ廃工場のシャッターをぶち破り、内部に踊りこんだ。玲子が危険に晒されるとか車が傷つくといった思考は働かなかった。工場内部の土埃が舞い上がり、それをヘッドライトと赤灯が照らす。車から降りると同時に銃を抜いた。リボルバーでスミスの3.5インチ、44マグナムだ。玲子はそろそろ軽いオートマチックに変えたらと言うが、このズシリとした重さと大きさが命を守ってくれると実感できるのだ。青野も、ベレッタを抜き周囲を警戒している。俺は青野に言った。
「俺は右に行く」
「じゃあ俺は左」
そうして左右に別れた。玲子は、この内部に作られた部屋に囚われているとのことだ。パソコンの掲示板に書き込んだ男の供述によると、主犯が、バイト代をたんまりやるから手伝えと言ってきた。ある女を襲った。そしてここまで運んできた。所持品から刑事と分かった。主犯には隠れて銃とバッジの写真を撮り、つい面白半分でインターネットに投稿したのだという。しかし、情報はその男の供述だけで、俺と青野は、この工場内部の見取りなど一切分からない。しかも、その男は工場前までしか来ていないという。内部のどこに玲子を監禁している部屋があるのかは知らないとのことだ。完全に勘だけが頼りだ。灯りもない。工場の窓や劣化により空いた穴や隙間から入る街の光だけだ。今さら、渡辺の言うとおり応援を待った方が良いような気がしてきた。しかし神様は勘を助けてくれたようだ。背中の方で扉を閉めるような音が聞こえた。ふと振り返ると、鉄骨階段の先にそこそこ大きなプレハブが見えた。外側はオイルのような液体や埃で汚れ窓ガラスは割れている。ドアは開いている。だが俺は確信した。きっとそこだ。なるべく音を立てないように階段を上り、プレハブに近づいた。そして中に入る。ボロボロになったデスクやソファーがあった。事務所として使われていたのだろうか。奥にまたドアがあった。それは新品のドアだった。俺は慎重に近づくと、思い切り足でノックした。
「警察だ!」
怒鳴る。部屋があった。しかしそこは無人であり、そして部屋一面には玲子の写真が貼られていた。
「来てよ!来るんだよ!」
襟元を掴み、私を引きずりあげようとする青年。しかしあまり筋力がないのか、かなり苦労している。まったく力を入れない大人は重い。片手には私の銃を持っていた。青年がようやく私を起こす。青年はいつも現れる方向とは別の方向に進んだ。隠し扉があった。そこから出る。通路の様だ。また扉を開ける。風を感じる。今度は外に出た様だ。暗く涼しい。そして暗闇の中で所々灯りが見える。どうやら夜の様だ。
「動くな!」
突然、どこからか声が聞こえた。それは同僚の青野さんの声に聞こえた。青年は意味のない叫び声をあげると、その方向に何発か銃撃した。弾丸が金属に当たり跳ね返る音がする。青年は更に何発か撃ち、また私を引っ張る。目の前に階段が見えた。そこを下る。足がもつれ、転びそうになる。口の中に鉄と砂っぽい味が広がる。遠くから、サイレンの音がいくつも重なって聞こえる。聞き飽きたやかましい音だけれど、今はとても頼もしく思える。
「くそっ、くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!!」
青年が声を裏返す。銃を振り回し、しきりに周囲を警戒している。かなり動揺している。銃に弾が何発残っているか分からない。けれど、助けが来た。チャンスと感じた。青野さんがいるなら、きっと彼もいる。あの二人は長い付き合いだから、こんな時は必ず一緒にいるはずだ。ご都合楽観主義の勘を原動力に、私は力を振り絞り青年の手から逃れると、
「だああっ!!」
喉が壊れるかと思うような声を勢いに、ジャッキー・チェンもびっくりな渾身の回し蹴りを青年の顔面に食らわせた。青年共々地面に倒れる。受け身が取れず、かなりの衝撃を食らった。なんとか立ち上がろうとする。しかし、威力が不十分だったのか、青年の方が早く立ち上がった。土と鼻血でグロテスクになった顔は、怒りと悲しみが入り交じった様な顔だった。私の髪の毛を掴み、そして私の額に銃口を押し付ける。息がかなり荒い。汗と血が私の顔に落ちる。手が震え、銃も震えている。殺される。覚悟した。
その時、リボルバー独特の撃鉄を上げる音が聞こえた。それは離れた場所から小さく、けれどはっきりと聞こえた。そして、低く抑えた男の人の声が聞こえた。ダンディー、それでいてセクシーな声だ。
「女を離せ」

私にとってサイレンよりも頼もしく、そして心地良い声だ。青年はその声の主を睨み、何故か笑いを含みながら叫んだ。
「アンタか!なんでアンタ、ここにいるんだよ!?アンタさえいなけりゃ婦警さんはさあ!!」
私の髪を掴んでいた手が離され、私はまた地面に倒れた。痛い。また男の人の声が聞こえた。
「銃を捨てろ。捨てれば、助けてやる」
青年は叫んだ。
「うるさい!あの世に行けええ!!」
銃声がした。私は思わず目を瞑った。
人が倒れる音が聞こえた。
「先に行ってろ」
銃声は44マグナムの重々しい音が一度だけ。目を開ける。そこには、倒れた青年がいた。青年は、私に顔を向けた状態で倒れていた。身動き一つ、瞬き一つしない。そしてその顔は、とても頭を撫でたいとは思わない表情で固まっていた。しかし、監禁されなぶられそうになり、そして殺されかけたと言うのに、哀れみを感じた。改めて見れば、まだ子供の顔だ。
「玲子」
私は名前を呼ばれ、現実に引き戻された。私を呼んだ男の人の声は、夜のベイエリアの灯りに照らされた、彼だった。私の上司でもあり、最も――――。
「大丈夫か」
声の主に抱き起こされる。拘束服の腕の拘束箇所が外され、やっと腕が自由になった。
「……そい」
「…なにぃ?」
「おそぉい…!」
私は力なく、彼の胸を叩いた。まるで酔っぱらいだ。呂律が回らないから仕方ない。彼、ハードボイルド気取り警部補様の野沢大輔は苦笑した。
「ああ、すまん。遅くなった」
「本当に、遅いわよぉ………!」
顔が歪む。痛みのせいじゃない。目が霞む。薬のせいじゃない。喉が震える。土埃のせいじゃない。悔しいけど、涙が出てきた。私は今出せる精一杯の力で彼に抱きついた。
キャリアウーマン巡査部長の高城玲子が泣いた。並大抵じゃない気の強さの女だが、今回はとても辛い思いをさせたのだろう。人の気配がした。俺が撃ち倒した男ではない。気配に視線を向けると、少し息を弾ませ、スーツを汚した青野が見えた。撃たれたようだが、無事なようだ。青野は俺と玲子の姿を見ると、安堵と落胆と呆れが入り交じったような顔を浮かべ、スカイラインの方へ向かった。無線を送りに行くのだろう。いつも貧乏くじを引かせてしまう、長年の頼りになる相棒だ。俺は心の中で青野に詫びた。そして、玲子を抱き締め、言った。
「遅くなって、悪かった」

俺は彼女を強く抱き締めた。幾多のサイレンが夜を包んだ。
End