
明けましておめでとうございます。
昨年夏から生活環境が変わり、みんカラにログインできる(というよりPCそのものを使える)機会が減ってしまったことで、予てから交流のあった方々の元へは中々お邪魔しにくくなってしまいました。
にも拘わらず、みん友もMyファンも一人として減っていないのが、有難いやら申し訳ないやらです。
虫の良い話なのは承知していますが、思い出した時で構わないので、こんな風にご覧頂けたら嬉しいです。
昨年12月22日からこちら、05:00~22:00勤務が続き、30日は完全徹夜、大晦日にしてやっと18:00退勤になったものの、慢性的な疲れと睡魔に負けて21:30頃には寝てしまいました。
毎年日が変わるまで起きているのに。
昨日も唯一の休みだったのに、姉が子供達を連れて帰省してきたので、全く休んだ気がせず。
それにしても、昨年は珍しく親戚の不幸が無かったので、新年の挨拶ができる正月は久々ですw
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さて、毎年恒例の、干支に因んだ自動車語り。
今年は酉年であり、鳥に因んだ名称の車は結構ありますね。
・プリメス スーパーバード
・プリメス ロードランナー
・AMC イーグル
・イーグル タロン
・ポンティアック ファイアーバード
・フォード・モーター ファルコン
・ビュイック スカイラーク
・ダットサン(日産自動車) ブルーバード
あと何がありましたっけ…?
心なしかアメ車に多いような…。
そんな中から今年は、
フォード・モーター サンダーバードを取り上げてみましょう。
自分用の覚書も兼ねているので、間違っている箇所があった場合はご指摘頂けると助かります。
アメリカは歴史の浅い国なので、歴史や伝統といったものの重要性を逆説的に理解しており、だからサンダーバードも長い歴史を誇ります。
勿論それだけでなく、他社と命名が重複するのを避けるためと、登録商標の使用期限が切れないように何度も使い回す必要がある……という実利面での理由もあるのですが。
そしてそのせいで車格や性格を様々に変えてきたというのも、古今東西の長い歴史を持つ車に付き纏う宿命です。
「サンダーバード」の名付け親は、当時フォード本社に在籍していた若き社員・
アルデン・R・ジベルソン。
その由来は、アメリカ先住民族の神話に伝わる、雷の精霊である巨大な神鳥。
鷲に似て、翼を広げると5mに達し、自由自在に雷を落とす。
その正体は、絶滅した太古の巨鳥・
アルゲンタヴィスが語り継がれて神格化されたのではないかと、民族学者たちの間では目されています。

オリジンとなる
1stジェネレイションは、1955年に登場。
通称:クラシック・バーズ。
第二次世界大戦直後のアメリカでは、進駐先の文化や土産を持ち帰るのが一種の流行だったそうですが、欧州には進駐した経験が無かったので憧れを募らせていたといいます。
それは当時の車造りにも反映されており、軽快なオープン2シーターというパッケージングは欧州製ライトウェイトスポーツカーを強く意識したものであり、前年のデトロイト・モーターショーで発表されるや瞬く間に人気に。
因みに、サンダーバードと同じ発想で2年早く生まれたのが、シェヴォーレイ コーヴェット。
現在では信じられませんが、どちらも、車としての実用性やスポーツカーとしての力強さよりも、欧州的且つ未来的な雰囲気を楽しむためだけの、ファッション性重視のスペシャルティカーでした。
実際コーヴェットに至っては、外観の美しさだけを追求するあまり、エンジンは非力で、サスペンションは柔らかすぎて車酔いしやすく、FRP製外装は粗悪で、チリが合わないだの、太陽熱でボディパネルが歪むだのと、市場からの評価は散々でした。
唯一評価してくれたのがチューナーであり、以降コーヴェットはスーパースポーツへと舵を切ってゆくことになります。
2シーターでありながらどこまでも大きなボディ、大きく突き出した丸型ヘッドランプ、太陽光を反射してぎらぎら輝くクロームバンパー、ホワイトリボンタイヤ、巨大なテールフィン、3.9リットル・Y型8気筒(当時のフォード製V型エンジンは、シリンダーブロックが厳密にはY型をしていた)・OHV・スモールブロックエンジン…。
これぞ「古き良きアメリカ」の代名詞。『
アメリカン・グラフィティ』の世界(劇中に登場したのは、後述する中期型、色は白)。
坂本九も、白いサンダーバードを愛車にしていました。
1956年のマイナーチェンジで中期型になり、ハードトップのピラーに、
舷窓(げんそう。サイドスカットル、ポートホール)を思わせる丸型のオペラウィンドウが設けられ、不評だった斜め後方の視界確保の一助となります。
折角の広い荷室も、その後端にスペアタイヤを縦に積んでいるせいで積載性が劣り出し入れもしにくいことから、トランクの外に縦に据え付けられます。いわゆるコンチネンタル・スタイルです。
この時代の車は換気性が悪く、エンジンから発せられた熱い空気が車室内にまで入ってくることから、フロントフェンダーに長方形をした排熱孔の扉が設けられます。
1957年の後期型では、コンチネンタル・スタイルによるスペアタイヤが、重心バランスが崩れて回頭性に難ありという報告が多数寄せられたので、再びトランク内に戻されます。
同時にテールフィンが巨大に。

続く
2ndジェネレイション(通称:スクウェア・バーズ。1958~60年式)では、2シーターというアンデンティティを、早くも棄ててしまいます。
それまでにない新機軸だとして鳴物入りで登場したものの、2シーターはやはり限界があったようです。
欧州における自動車文化とは、お金と時間を持て余した貴族の道楽であり、言うなれば乗馬を機械化したもの。だから嗜好性とパーソナル性の強いオープン2シーターが幅を占める。
しかしアメリカのそれは、西部劇に見られる幌馬車文化が根底にある。だから或る程度の人数が乗れて、長距離を快適に巡航できる能力をこそ重視する。
4シーターになったことで家族や友達と乗り回せるようになり、また車台を他と共有することでコストダウンに成功し、豪華な革張りの内装とし、一部グレードには7.0Lビッグブロックエンジンを搭載。
加えて、女性をターゲットとした広告展開をし、セクレタリーズ・カー(ホワイトカラーの女性秘書が好みそうな、シンプルで保守的ながらもどこか優美なクーペ。日本ではスポーツカーとして認知されているフェアレディZやシルビアやセリカも、本来はこれ)のイメージで販売。
この方針転換は功を奏し、クラシック・バーズの倍近く売り上げ、同コンセプト・同デザインでありつつもフルサイズクーペである
フェアレーンを押しのけ、北米カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。

次の転機は、
5thジェネレイション。
通称:グラマー・バーズ。1967~71年式。
マスタングが登場したことにより、オープンボディやスポーツイメージはそちらに任せて、サンダーバードは大型高級路線に傾注することに。
専用車台を宛がわれ、歴代唯一の4ドアになり(しかも観音開き)、マッスルカーを思わせるコークボトル・ライン、当時の流行であったビレットグリルとフォード初となる
ハイダウェイ・ヘッドランプ(リトラクタブル・ヘッドランプの一種で、収納状態はグリルと一体化。コンシールド・ヘッドランプ、ヒドゥン・ヘッドランプとも呼ばれる)を装備。
これらは当時副社長だった、
リド=アンソニー・アイアコッカの発案によるもの。
クラシック・バーズの洗練された欧州車様のコンセプトとは似ても似つかぬ、アメリカ人好みのグラマラスな車に生まれ変わりました。
しかしフォードには既に
リンカーンや
マーキュリーといった高級車ブランドがあったことで、需要を互いに食い合う事態に。
何より、サンダーバードとしてのアイデンティティは、完全に崩壊。
そのせいか、商業的には失敗に終わります。

梃入れとして登場した、
6thジェネレイション(通称:ビッグ・バーズ。1972~76年式)が、止めを刺します。
オープンボディはよりフォーマルな2ドアハードトップクーペになり、キャディラックのような威圧的なフロントマスクになり、エンジンは7.5L・V8・OHVのビッグブロックを搭載し、全長は5436mm、総重量は2300kgにも達する。
歴代でも最大の重量と巨躯を誇ります。
「押して駄目なら引いてみろ」というのは日本人の価値観ですが、「押して駄目ならもっと押せ」というのが、マッチョイズム溢れるアメリカ人らしいですねw
泣きっ面に蜂とは言ったもので、1973年に起った
第四次中東戦争に端を発する
第一次オイルショックが、襲い掛かります。
水よりも安いガソリンを垂れ流して2km/Lしか走らない車は、いよいよそっぽを向かれます。
これには流石のフォード首脳陣も、サンダーバードのコンセプトの見直しを迫られます。
7thジェネレイション(通称:トリノ・バーズ。1977~79年式)では、それまでの拡大路線から一転して、小型化・軽量化・低価格化に努めます。
未だオイルショックに揺れる時代背景により、小さくて壊れなくて(壊れにくいのではなく、そもそも壊れない)低燃費の日本車にシェアを奪われた危機感から、先代の失敗を教訓としてのことです。
アメリカで
CAFE(企業別平均燃費)が施行されたのも、1978年からです。
それまでは豪華さを目指すあまり、より格上の
リンカーン コンチネンタル(マークⅢ~Ⅳ)と共有していた車台は、より格下の
トリノ(3rdジェネレイション最終型)のそれを使い回し。
因みに最終型トリノの車台は、トリノ・バーズ以外にも、マーキュリー クーガー(4thジェネレイション、1977~79年式)、ランチェロ(7thジェネレイション、同年式)、そしてトリノの後継であるLTDⅡにも、様々に使い回されたことで、軒並みコストダウンと小型化が成されました。
小型化された車台に載せるためにエンジンも必然的にダウンサイジングされたものになり、6.6Lスモールブロックに。
車台やエンジンのみならず、エクステリアもLTDと殆どを共有。
まさしく大幅な外科手術となりましたが、しかし「大人のためのラグジュアリークーペ」というコンセプトはそのまま維持。
その甲斐あって、瀕死になりかけた神鳥はようやく息を吹き返します。
皮肉なことに、お洒落で小粋で欧州車風というクラシック・バーズのコンセプトとは似ても似つかぬ、悪く言えば小さく纏まって表層的な豪華さに徹してそれ故に庶民的なこのトリノ・バーズが、年間30万台と歴代で最も好調な売り上げを記録していたのは、興味深い現象です。

次なる転機は、
9thジェネレイション。
通称:エアロ・バーズ。1983~88年式。
1979年の
イラン革命に端を発する第二次オイルショックが襲い掛かったものの、第一次オイルショックの教訓からダメージは最小限に済み、その反動で好景気に沸き立ち、また第一次オイルショックで席巻していた日本車を
日米貿易摩擦によりその殆どを追い出すことに成功。
そんなアメリカ国内事情と、またスポーツカーブームとが追い風になり、サンダーバードは今度はスポーツカーへと転身します。
ボディスタイルは相変わらずの2ドア4シーターハードトップクーペながら、外観はこの時代のフォード車に共通の、空力を重視したエアロ・ダイナミクス・ボディ。
先代のボックス・バーズから引き続き採用された、V8搭載・FR駆動の汎用車台「
FOXプラットフォーム」。
最も特筆すべきは、2.3L・直列4気筒SOHC・ターボチャージャーを搭載した、「ターボクーペ」グレード。
今日で言うところのダウンサイジングターボであり、イコブーストの先駆けみたいなものです。
それにより低燃費と大出力を両立することに成功し、市場では大成功。
ターボクーペは北米カー・オブ・ザ・イヤーを受賞します。
また、当時フォードがレースシーンで仮想敵にしていたBMW 6シリーズへの対抗心から、マイナーチェンジではV8モデルが復活。
マーキュリー クーガー・エリミネーターがいなくなったことも相俟って、徐々にマッスルカー志向を強めていきます。

時は流れ、1997年で一旦は途絶えていた神鳥の歴史は、
11thジェネレイションで蘇ります。
通称:レトロ・バーズ。2002~05年式。
4シーターになったり、セダンになったり、クーペになったり、高級車になったり、低価格になったり、スポーツカーになったりと、ポリシーを二転三転してきたサンダーバードですが、誕生から半世紀にしてようやく原点回帰。
オープン、2シーター、スポーツ性よりはファッション性を重視し、ゆったり流せるセクレタリーズ・カー。
そして何より、クラシック・バーズを現代的にリメイクした、懐かしくも新しい外観。
当時のフォードの「リヴィング・レジェンド戦略」により、
J・メイズが手がけた、いわば復刻版です。
この路線の一環として、フォードだけをとっても、このレトロ・バーズ以外にも、
GTやマスタング(5thジェネレイション、2005~14年式)もあり、そのどれもがアメリカでは大成功でした。
しかし日本のみならずアメリカでも、この種の車は、お金がなくともスポーツカーに憧れる若者ではなく、お金が有り余っていてノスタルジーを感じる
ベビーブーマー(日本で言うところの団塊世代)がメインターゲット。
それ故需要の先細りを招き、又しても歴史に幕を下ろします。

今現在も、次世代サンダーバードの話は、聞こえてきません。
ましてや現在のフォードは「ワン・フォード」をスローガンにしているだけに、アメリカの一部の富裕層以外には売れそうもないこんな車は、当分の間は造らないのではないでしょうか。
マスタングは
カリフォルニア・スペシャル・パッケージなどのオプションを追加することで懐古趣味に拍車を掛けており、
フォーカスは欧州主導の大人のスポーツハッチ、
フィエスタは若者向けの上質なコンパクトカー。
それらとは毛色の異なる豪華なGTクーペとして出そうものなら、それこそ失敗の歴史を繰り返しかねない。
復活には慎重を要します。
かと言って、アメリカで俄かに起きたシェールオイル革命と、今月20日に新たに幕を開けるトランプ政権により、アメ車的には良い意味で先が読めなくなってきたのも、また事実かもしれません。
伝説の神鳥の復活、果たしてあり得るのでしょうか…?