日産といえば、創業者が鮎川義介というのはご存知の方も多いと思いますが、
鮎川義介を支え続けた陰の立役者がウィリアム・ゴーハムです。
私たちは、この方のおかげで、いま日本でクルマを楽しめているのかと思うと、感謝しても
し足りないくらいです。
1888年(明治21年) アメリカ サンフランシスコで生まれる
1901年(明治34年) 13歳のとき、父と共に3ヶ月間日本に滞在し、日本中を旅する
ヒールド工科大学で電気工学を専攻、独学で機械工学を学ぶ
卒業後、父とともに「ゴーハム・エンジニアリング」を経営
航空エンジンを製作する
1918年(大正7年) 30歳のときに妻と二人の子供を連れて、アルバート・リッルとともに
飛行機技師として来日
「日本で航空機エンジンの製作を」との話で来日したが、
工業が発達しておらず時期尚早であったことと、
第一次大戦後の不況でスポンサーが倒産してしまったため
腕を振るう場所もなく、帰国する旅費もなかったので、
ひとづてに鮎川を紹介され支援を受けることになる
来日の際、世話になった足の不自由な興行師の櫛引弓人
(くしびきゆみんど)のために、ハーレーダビッドソンの部品
を使い、3輪車の「クシカー」を製作
1920年(大正9年) 「クシカー」に目をつけた久保田鉄工所の創業者、久保田権四郎らが
「実用自動車株式会社」を大阪に設立、ゴーハムを技師長に迎え、
ゴーハム設計による「ゴルハム式3輪車」を150台、4輪車を100台を
製作したが、経営的には失敗に終わり、ゴーハムは戸畑鋳物に移籍する
このときの弟子にダットサンを生み出した後藤敬義や甲斐島衛がいる
戸畑鋳物では、大阪・木津川の配管継手工場で技術指導を行ったり、
「ゴルハム式発動機」と呼ばれる小型汎用石油エンジンを開発、
需要も旺盛だった
1926年(大正15年) 「東亜電機」(現日立製作所)の技師長を5年間務める
電動工具を経営の柱とした
また、自動車用電装品(スターター、ディストリビューター)の製作に
とりかかった
業容の拡大により、東京・渋谷から横浜・戸塚に移転する
(現在の日立製作所 戸塚工場)
1931年(昭和6年) 戸畑鋳物に復帰する
1933年(昭和8年) 「自動車製造株式会社」設立時に参加
4人のアメリカ人技師とともに、工場建設に尽力する
グラハム・ページ社からの機械の買い付けにアメリカへも出向いた
・ジョージ・マザウェル ・・・ 鍛造技術のスペシャリスト
横浜工場建設後、ドイツKdfの鍛造工場建設
後にGMの副社長となる
島村易が部下となる
・ジョージ・マーシャル ・・・ プレス型設計・製作のスペシャリスト
(フォード出身)
・H・W・ワッソン ・・・ プレスのスペシャリスト(フォード出身)
・アルバート・リッル ・・・ 機械担当
ゴーハムとともに来日
当時の部下は森本功
1936年(昭和11年) 7月、「国産精機」(現日立精機)設立
ダットサンのギヤやデフの騒音が当時の輸入車に比べ大きく
精密工作機械の必要性を痛感していた
社長は村上正輔、ゴーハムは常務取締役となり技術の責任者となる
タレット旋盤がベストセラーとなる
1941年(昭和16年) 5月、ゴーハム夫妻が日本に帰化し、日本国籍となる
12月、「国産精機」が「日立工作機㈱」と「篠原機械」を吸収合併し、
「日立精機」に称号変更
1942年(昭和17年) 7月、我孫子工場新設
1945年(昭和20年) 8月15日終戦、横浜工場がGHQに占拠される
10月1日、日産自動車の臨時株主総会で山本惣治が社長に、
ゴーハムが取締役工場長(翌年専務に昇格)に選任される
1946年(昭和21年) 2月24日、天皇陛下地方巡幸の初日に、日産自動車を訪れる
1947年(昭和22年) 山本惣治が公職追放となり、ゴーハムも行動をともにする
1948年(昭和23年) 追浜海軍航空隊の飛行場跡地(現在の日産追浜工場)に、
「富士自動車」を設立
戦時中に破損した車両の修理を行う会社
朝鮮戦争勃発により、昭和33年までに23万台を修復した
11月、「ゴーハム・エンジニアリング」を設立
エンジニアリング・コンサルタントとして、会社の技術指導にあたる
顧客には
「精機工学工業㈱」(現キャノン)
「萱場工業」(現カヤバ)
「日本発条」
「矢崎電線」
「ブリジストン」
など30数社
1949年(昭和24年) 10月24日逝去(享年61歳)、多磨霊園に眠る
身寄りのないヘゼル夫人の物心ともに支えになったのは、
ゴーハムとの親交が厚かった キャノンの御手洗毅社長がされていた
ブリジストンの石橋正二郎氏ともおつきあいがあった
ヘゼル夫人については載せていませんが、夫人も日米の架け橋となるべく尽力されたすばらしい方
です。(興味のある方は、下にある参考図書をご覧になってみてください)
鮎川義介と同じ多磨霊園に眠っているのは偶然でしょうか?
この略歴を見て、ゴーハム氏がいたからこそ、今の日本の産業があるのだということが
分かっていただけたでしょうか。
ゴーハム氏のすごさの片鱗が少しでもみなさんに伝わっていたら、うれしいです。
参考図書:「ダットサンの忘れえぬ七人」下風憲治著、三樹書房