5/20(日)とだいぶ前ですが、お台場で行われていたノスタルジックカーショーに行ってきました。
新しいクルマに負けず劣らず、古いクルマも大好きです。
それは、自動車にあこがれていた時代の当時の人の思いをクルマを通して感じ取りたいからです。
自分の知識の復習もかねて、スペック等調べてみました。
●プリンス 初代スカイラインDX ALSID-1型 1957年(昭和32年) 4月発表 120万円
当時は道路事情が悪く、未舗装路が多かったため、安くて丈夫なリーフリジッドサスペンションが好まれた時代でしたが、このクルマはフロントがコイルスプリング使用のウィッシュボーン独立懸架でリアにド・ディオン・アクスルリーフという半独立サスペンションが奢られた画期的なクルマでした。
この足回りを設計に関わったのが、スカイライン産みの親と呼ばれた桜井真一郎さんです。
全長4280mm×全幅1675mm×全高1535mm、ホイールベース2535mm
車重1310kg
VWビートルやシトロエン2CVと同じ半モノコックボディのトレー型フレームを採用し、先代のプリンスセダンから100mm以上全高を下げることができ、この当時としてはスポーティーな外観となった。
エンジンはFGA30型1484cc直列4気筒OHVで
スペックは60ps/4400rpm、10.75kgm/3200rpm(グロス値)
最高速は125km/h
タイヤサイズは6.40-14
当時のアメ車の影響を受けたテールフィン。
ブリジストンのオーナーであり、プリンス自動車のオーナーでもあった石橋正二郎氏の高級車志向を受けて採用されたようです。
●プリンス スカイラインスポーツ 1962年2月発売 185万円
デザイナーの井上猛氏がイタリアのカロッツェリアであるミケロッティに留学しているときに、スポーツカーのデザインを依頼し、製作まで行わせたのが、スカイラインスポーツ・クーペとスカイラインスポーツ・コンバーチブルです。ベースは1961年5月に追加されたスカイライン1900DX。
1960年11月のトリノショーに出品され話題となり、井上氏が帰国の際、4人の板金職人を連れて帰り、板金の技術を伝授してもらい、ある程度数を作ってから発売したそうです。
1963年5月に行われた第1回日本グランプリに出走し、7位に終わっている。
全長4650mm×全幅1675mm×全高1385mm、ホイールベース2535mm
車重1350kg
エンジンはGB4型1862cc直列4気筒OHVで
スペックは94ps/4800pm、15.6kgm/3600rpm(グロス値)
最高速は150km/h
タイヤサイズは5.50/5.90-15
●プリンス 2代目スカイライン1500DX S50型 1963年11月発売 68万円
間近で初代と見比べると、質感のupぶりは当時としてはすごかったのではないかと思えてきます。逆に価格はぐっと身近になっています。
全長4100mm×全幅1495mm×全高1435mm、ホイールベース2390mm
車重960kg
初代よりボディサイズも車重もだいぶダウンサイジングされてますね。
エンジンはG1型1484cc直列4気筒OHVで
スペックは70ps/4800rpm、11.5kgm/3600rpm(グロス値)
最高速は135km/h
タイヤサイズは5.60-13-4PR
このスカイラインから伝説がはじまったと言っても過言ではないでしょう。
ただし、2000GTの登場で、1500は影が薄くなってしまいましたが。
この1500のホイールベースを200mm延長し、グロリア用のG7型直列6気筒OHCエンジンを搭載したのが「2000GT」で、発案者は桜井真一郎氏です。
2000GTは1964年5月に行われた第2回日本グランプリに出場し、周回遅れにつまづいた式場壮吉の駆るポルシェ904を、生沢徹の駆るスカイライン2000GTが追い抜いたことから、伝説が始まりました。
2000GTはレースのホモロゲーションを取得するために100台だけ生産され、レースに使用する以外の残りの90台あまりを、1964年5月1日から88万円で販売し、瞬く間に完売しました。
1965年2月には、ウェーバーキャブを3連装したレース用エンジンをデチューンして搭載した2000GT-Bを販売、1065年9月にはふたたびシングルキャブレター仕様であるGT-Aが販売された。
●日産 3代目スカイライン1500DX C10型 1968年8月発売
1966年8月1日に日産自動車とプリンス自動車工業が合併してから初のフルモデルチェンジとなったモデル。
スカイラインで初めて4輪独立懸架が採用されました。合併に伴い、部品の共通化が図られ、ブルーバード(510型)と足回りはほぼ共通ですがブッシュを専用とし、独自の味付けをしています。
全長4235mm×全幅1595mm×全高1405mm、ホイールベース2490mm
車重960kg
エンジンはプリンス系のG15型直列4気筒OHC1483cc
スペックは88ps/6000rpm、12.2kgm/3600rpm
10月には2000GT(GC10型)が追加されたが、エンジンはプリンス系のG7型ではなく、日産系のL20型が用いられました。2000GTは6気筒エンジンを搭載するためにフロントのホーバーハング195mm、ホイールベース150mm延長しています。
タイヤは6.15-14-4PR この時代でもまだラジアルタイヤではありません。
ブレーキも1500は4輪ドラムで、2000GTにはフロントにディスクブレーキが採用されました。
よくご存知の方もおられると思いますが、この代で初代GT-Rが誕生しました。
1969年2月に発売。このときはまた4ドアです(PGC10型)。
エンジンはR380に搭載されていたGR8型2リッターDOHCをデチューンして「S20型」として搭載。
スペックは160ps/7000rpm、18kgm/5600rpm。
タイヤは6.45-14-4PR。
ブレーキはフロントがディスク、リアがドラム。
1970年10月 2ドアハードトップ発売。
1.8リッター(KPC10型)、2リッター(KGC10型)と同時に「2ドアGT-R」(KPGC10型)が誕生しました。4ドアに対しホイールベースを70mm短縮し、ボディ剛性を上げ、運動性を向上させるとともに、20kg軽量化している。リアにオーバーフェンダーを装着し、シートにはフルバケットを採用するなど、今考えても本格的なスポーツモデルですね。
●日産 R381
1968年5月に富士スピードウェイで行われた第5回日本グランプリの優勝車
ドライバーは日産ワークスの北野元
全長3995mm、全幅1840mm、全高845mm(ウイング込1260mm)、ホイールベース2470mm、車重835kg
エンジンは日産の開発品が間に合わず、シボレー5.5リッターV8OHVエンジンを購入し、搭載。
スペックは480ps以上/6000rpm、54.5kgm/-。
このエンジンがすぐに壊れたり、結構曲者だったようです。
R381のリアウイングは「エアロスタビライザー」と呼ばれ、サスペンションアームに連動して、左右独立して動くようになっていました。
これも発案者は桜井真一郎氏。
昔の人はこんな板みたいなシートでよく480km(80周)も走ったものです。
それにしても本によってスペックに誤りがあったり、日産のホームページすら間違っているとは、ノスタルジックものを大事にしようとする意識が低いのではないかと感じてしまいました。
参考文献
「プリンス自動車の光芒」 桂木洋二著 グランプリ出版
「ニッポンのクルマ20世紀」 八重洲出版
ノスタルルジックヒーローEX「日産名車博物館」 芸文社刊