
過去にブログで、第二次大戦における日本とドイツの主力戦闘機であった、三菱零式戦闘機(
こちら)とメッサーシュミットBf109(
こちら)を取り上げたことがあります。いずれもその時代を代表する傑作機であったことは異論はないと思いますが、興味深いことに、両機は当時の技術の全てを制限なしに盛り込んで作られたのではなく、ある種の制約のなかで戦闘機としての高い要求水準をクリアするために、余分な要素を限界までそぎ落とすことで、言い換えれば引き算の発想によって作り出されたプロダクトなのです。
詳細は過去のブログをご覧いただきたいのですが、例えば零戦であれば1グラム単位で徹底的に追求された機体の軽量化であり、Bf109であれば総合的な戦闘能力を限界まで追求したエンジンと機体設計への徹底したこだわりを挙げることができます。最重要な目標を達成するために余計なものはいっさい追加しない、いやむしろ限界まで排除することによって、他者が真似のできない性能を実現することができたのです。
何故、こんな話をしているのかというと、前々回のブログで最後に触れた初代ゴルフがまさにそういった思想のもとでつくられたクルマの一台であろうと考えたからです。そして、そういったクルマは、初代ゴルフだけではなく、例えば以下のようなクルマたちの成り立ちにも当てはまるのではないかと思えたからなのです。
いずれもまだ第二次大戦の影響が完全には払拭されていない、庶民が自家用車を持つことが経済的にも難しかった時代、そして技術的にもまだまだ未熟であった1950年~1960年代に設計・製造されたクルマたちです。しかし、用いることができた技術には確かに限界があったものの、その志はあくまでも高く、庶民の足となる便利で楽しいクルマを提供すべく、余分なものは極力排除して、課題を見事に克服した名車たちです。
勿論、同時代には大西洋を挟んだ米国ではこの世の春といわんばかりに自動車産業が黄金時代を迎えており、幾多の贅沢極まりない高級大型車が開発・販売されていたわけですが、こうやって半世紀以上経過した後に、歴史に名を残す存在になったのはどちらであるかを考えれば、モノづくりの優劣について結論は出ていると言えるのかもしれません。
さて、当時と比べてモノづくりの技術は格段に進歩した昨今、少なくとも先進国と呼ばれる国々は、最近やや陰りが出てきたとはいえ、依然、その豊かさを謳歌しているのですが、過去の名車たちのような高い志をもち、引き算の発想で本質を見据えたモノ(クルマ)づくりがなされたクルマが本当にできていると言えるのでしょうか?
Posted at 2012/09/16 15:33:53 | |
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