
司馬遼太郎原作のNHKドラマ「坂の上の雲 第三部」がスタートしましたね。第一部から足かけ3年に渡る長期放送になりましたが毎回楽しみにして観ています。
過去のブログで、しばしば第2次大戦期の戦車や軍用機を取り上げたことがあるのですが、自分は、もともとは歴史好きであり、同じく興味の対象であるクルマ、あるいは乗り物といったモノ(機械)と歴史との接点として、ミリタリーに関わる話題を取り上げてみたというのが正確なところです。
文学としての「坂の上の雲」の評価やドラマの出来栄え、歴史的検証の正確性等の話題はいろいろと世間でされているので、そこは置いておいて、本作に触れてみて、感じたことをひとつだけ書いてみたいと思います。それは、
坂の上の雲の時代は「クルマがない時代」であったということです。勿論、1904年ですから欧州では既にダイムラーやプジョーによる内燃機関をもつ自動車が登場し、1908年にはT型フォードが誕生して大量生産時代の幕が開くのですが、日露戦争の戦場には、あるいは日本には、今で言うところの自動車は、極少数の例外を除けばまだ存在していなかったのです。移動はもっぱら歩きか馬、鉄道しかない戦場風景は、現代の我々から見ると違和感さえ感じさせるものではないかと思います。そして自動車の発明が、この後、例えば10年後の1914年から始る第一次世界大戦における戦場風景をさまざまなレベルで、あるいは局面でがらりと変えてしまい、今も変え続けているといえるのです。
さて、日露戦争はからくも日本の勝利という歴史的な結論で幕を閉じた訳ですが、その30年後に起こった日中戦争から太平洋戦争に続く最終的には敗北に終わった戦争と比較していろいろと語られることも多いかと思われます。一概に述べるのは難しいのですが、明治期の政治家、軍人の質は高く、優れた政治戦略を駆使して、また戦術面でも優れて敵軍を打ち破ったのに対して、後の戦争においては、政治的停滞と迷走を招き、軍事常識に外れた戦争計画にしたがって無謀な戦争に突入したそのような政治家と軍人たちは無能であるとの趣旨の評価が多いのではないかと思います。
この点については、私のような素人からは定見を述べることはできないのですが、上記の「クルマのない時代」であったという切り口から考えると、日露戦争とその後の戦争では、後者の作戦範囲、投入リソースが桁違いであり、その複雑さは飛躍的に増加したと指摘することはできます。戦車を含む軍用輸送・戦闘車両の普及と積極的な活用、あるいは航空機の登場などで、戦場のスケールは、日露戦争の遼東半島から満州の一部地域、そして日本近海、から、太平洋戦争では中国大陸東半分から西太平洋全域へと拡大し、投下兵力も50万人程度から、太平洋戦争末期には700万人にも達した戦争において、同じ能力と常識が通用しなかったのはむべなるかな、と思います。勿論、時代の進歩に追随できず同時代の敵国の軍人あるいは軍事力との比較において勝ち味を見出しえなかった、あるいは軍事行動による解決を選択したという、結果責任を免れることはできないのですが、日露戦争時代の政治家や軍人との単純な比較で貶められることは、有る意味フェアではないなと感じる次第です。
冒頭の「坂の上の雲」でも、これから日露戦争の場面が主となってドラマが展開し、日本陸海軍の諸将の活躍が語られるのだろうとは思いますが、常に冷静に、そして多面的な歴史判断は求められるのではないかなと思います。
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ということで、一応クルマには関連させて書いてはみましたが、固すぎる内容になってしまったかもしれません。その点は、ご容赦の程を。
Posted at 2011/12/11 09:45:21 | |
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