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2006年04月30日

創世記 「YAMAHA FZ250」

創世記 「YAMAHA FZ250」 ふとしたことで乗ったXL250S。曲がれずに転んだ瞬間、頭の中に強烈な電流が走った。暴走族御用達、ヤバンな乗物だと思っていたバイクに魅せられたのは、高校に入ってすぐのことだ。

当時の高校生の間では、走り屋を目指すのなら猫背乗車のF-3レプリカ、2サイクル250ccか、4サイクル400ccという風潮があった。車検がなく、燃費もいい4サイクル250ccの単気筒やツインもあったが、高度経済成長を背景に育ったヤングは馬力至上主義である。25psのシングル「CB250」なんか理解できないお年頃だ。

しかし峠が恐い私。YAMAHAのシングル「 SRX-4」や、先輩が勧める漢Kawasakiの空冷四発「 GPz」にしょうかと思ったが、400ccは「車検」がある。当時15万が相場。高い。そんな矢先、電話帳ほどの厚さだった「月刊オートバイ」で見たスクープ記事はYAMAHAから発売される超高性能4サイクル250cc「FZ250 Phazer」。神が私に与えたもうたスーパーマシンだと勝手に信じ込んだ。

70~80年代、ヤマハはトヨタのツインカムエンジンに注力していたため、自社の4サイクルエンジンの開発が滞っていたというウワサがある。やむなく作った2サイクル「RZシリーズ」や、空冷のXJ用四発の腰上を水冷化した「FZ400」はヒットしたものの、激化する中型市場では、V型と四発を持つHONDA、市販車初のアルミフレームを実現したSUZUKIに立ち後れた感もあり、4サイクルマルチエンジンの刷新を迫られていた。そこでYAMAHAは「GENESIS(創世記)」というコンセプトを立ち上げ、FZ250とFZ750がリリースされたのだ。

FZ250は水冷4サイクル4気筒DOHC 4バルブ。2サイクルと同等、規制値いっぱいの45psを発生させるため、なんと18,000rpmまで回るエンジンは、シリンダーを前方に45度も傾斜させ、4連CVキャブをダウンドラフトで装着していた。

外観はフェアリングからタンクカバーまでつながった樹脂製のフラッシュサーフェイスタイプで、一般的なカウル付きとは一線を画すデザイン。50対50の荷重配分、前後16inchの小径極太タイヤの組み合わせは低重心で乗りやすく、WGP世界チャンプのケニー・ロバーツも足として使っていたそうだ。(多分、ウソ)

しかし…当時「ハンドリングのYAMAHA」などと言われていたが、私はFZ250の操縦性が良いものだったかは覚えていない。何しろ、ライディングなんてわからないし、3ない運動のせいでバイクに乗っている友人も少なく、せいぜい半分族車のGSXやCBR、一世代前のRZぐらいしか乗ったことがないからだ。

ただ、18,000rpmまで回るエンジンのフィーリングは今でも覚えている。独特の金属音が混じった、低く呻るようなエキゾースト・ノート。低回転は思った以上にトルクがあり、中回転で痩せるので10,000~15,000rpmまではターボごとく吹き上がる。メーター読みだが180km/hに到達するほどのパワーと空力性に優れていた。

毎月3万7千円のローン返済、家に入れるカネ、その他の小遣いを抜くと、私のバイト代はほとんど無くなってしまった。なので、頻繁に峠にも行けなかったが、それでも無茶な冒険旅行を何度かした。正月の夕方、軽装のまま下道で浜松まで行ってみたら、帰りは半凍結の箱根を走るハメになったり、初めて行った新宿駅に止めるまでタクシーに阻まれて4周もグルグル回ったり。

まだまだある。
夜中の三浦半島をあてもなくさまよっていたら、知らないうちに横須賀連合と一緒に走ってたり。友人と箱根や丹沢に出かけたりもした。バイト先のお客だった師匠のスポンサードで、見知らぬ土地を連泊したり。そして、イヤだといいつつも、女の子も乗せた。ライディングテクニックを知らない私は、その性能の全てを堪能することはできなかったが、それでも十代最後の青春の傍らには、必ずFZがいた。

事故もあった。
路肩のすり抜けに失敗して、トレーラーに挟まれたのだ。
背負っていたバッグや、上着の袖に車輪の跡が残っていたような際どい事故だったが、幸いにも片足の靱帯を伸ばしただけで済んだ。処置が終わったベッドの上で、雄鷹山にジャンボが墜落したという速報を見た。私の事故とほぼ同時刻だったので、自分が生きていることをありがたく感じたのを覚えている。

車体上部とカウリング全てをトレーラーにゴッソリ削ぎ取られたFZは廃車にしてもおかしくない状態だったが、幸いにもフレームやエンジンにダメージはなかったので、直すことにした。バイク屋に頼む工賃がないので、自分でやる。ハンドル、クランクケースなど、とりあえず走らせるためのパーツを取り付けると、エンジンがかかった。外装を一切付けていない状態。フレームにシートだけ乗っけた状態で走り回り、「やった!直った!走った!」とヘルメットの中で叫んだ。

その後、数ヶ月かけて外装パーツを揃え、せっかくだからワークスのデイトナカラーをアレンジして自家塗装した。事故の傷は残るものの、自分だけのオリジナル。コイツを死ぬまで乗る。一緒に死ねる、そう思った。

3年後。エンジン内部のシフター・スプリングが割れる。たった200円の部品だが、クランクを割らなければならない。バイク屋に聞くと、工賃は中古が一台買えるほどに高いので、FZ250は家の前で錆びていってしまった。

ある日、オヤジの友人であるオジサンが軽トラでやってきた。「話は聞いてるよ、さぁ、持っていこう。」と言われ、ついたところはゴミ置き場。

今でも覚えている。

FZはオジサンに、えいやっ、と荷台から巴投げされた。
私は「アッ!」という小さな悲鳴をあげた。

とても長く感じる時間の中で、全ての思い出が頭の中で流れていった。崩れ落ちた衝撃で無様に割れるカウリング。何度もデザインし直し、丁寧にマスキングして、屋根の上で塗ったものだ。自分で言うのも何だが、その辺の自家塗装のレベルじゃないと思っていた。

それが、粉々に砕け、ここに止まる。永遠に!

それを見た時に、私は知った。
悲しいけれど、これは「鉄の塊」にすぎないもの、でもあるのだと。

命あって、命なきもの。

それがバイクだ。

たかがバイク、所詮バイク、されどバイク。

だからこそ、楽しくなければいけない。
バイクで死んじゃいけない。

嫌な思いは、するもんじゃない。
嫌な思いも、させちゃいけない。

死ぬなよ相棒。
お前は人間だから。

機械が人間に意志を伝えるなんて、ナンセンスだ。馬鹿げている!
しかし、私には最後の最後にFZの言葉が聞こえた。
その言葉のおかげで、私は生き続け、楽しみ続けてこられたのだと思う。

このバイクを最初に選んだことを、私は幸運に思う。
ブログ一覧 | ニリンのヒトリゴト | 日記
Posted at 2006/04/30 16:06:14

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この記事へのコメント

2006年4月30日 20:45
初めまして。田中さんの友達のtomo-chinといいます。

いつも面白いブログで笑わせてもらってるんですが、この話もすごくステキで引き込まれてしまいました。
バイクはやっぱり自分との一体感が強く、相棒と呼ぶにふさわしいものですよね。
おいらも昔ゼファー400と6年6.5万km連れ添い手塩に掛けましたが、最後は盗人に持っていかれてしまいました。
その時の虚無感は今でも忘れられません。

今はロードスターがその代わりをしてくれてますが、やっぱり初めて手にした相棒はいつまでも心に残りますね。

長文すみません。
つい思い出してしまったもので(^^;
コメントへの返答
2006年5月1日 1:45
tomo-chinさん、こんにちは。
稚拙なブログを褒めていただき、ありがとうございます。
ゼファー、今のカワサキ二輪を盛り上げた功労車ですね。あの後、予算がガーンと上がったらしいです。

性能至上主義で育ったジャーナリストの多くが「ゼファーが売れることは予想できなかった」と言いますが、私は絶対に売れると思いました。久々の「単車」のテイストを持つバイクでしたからね。

そう、ロードスターにも、あの「単車テイスト」を感じました。乗って、触って、見て、イジって楽しめる。いっしょにいるだけでワクワクする、バイクもクルマも、そういうテイストを持つモデルはたまりませんね。

それはそうと、写真がとてもお上手なのと、娘さんの可愛らしい髪型が気になります。(笑)

ウチの娘も「クレラップの娘」みたいにしたいと言ったら、ヨメに猛反対されたのですが。(爆)
2006年4月30日 21:02
何故kawasakiカラーのツナギで?!(笑)

私が二輪にハマッタのは中学二年だったか、親戚の家で読んだモーターサイクリストのツーリングレポートがきっかけでした。三無運動やら親の反対やらで、免許を取ったのは二十歳になってからでしたが・・・
大学三年の時にGSX400FWを中古で購入し、千葉から北海道までツーリングに行きましたが、程無く盗難・・・。その頃、友人がFZ250の黒に乗ってましたわ。借りたことありましたけど、GSXのデカサと重さを思い知らされた記憶があります。
社会人になってRZ-Rを2年半所有し、四輪へ転向してしまいましたが一度も事故に会わずに二輪を降りられた自分は幸運だったと思います。
が、その半面、とことん二輪と付き合えたのか?と振り返ってみると、まだまだ中途半端だったなぁと残念な気がする事も否めません。
駄文失礼しました。。
コメントへの返答
2006年5月1日 2:54
それは私が「色キチガイ」だからです。(爆)

いや、それはウソで、長距離ツーリングの時に、師匠から借してもらったのが、この色だったのです。

REOさん、400FWに乗ってたんですよね。私もFZ250の次に買おうと思ったんですが、付き合ってたYSP店には置いてないので、次もYAMAHAになりました。RZは今でも売るべきバイクだと思います。私もRRを数ヶ月借りてた時期がありましたが、起動時のYPVS作動音がたまらんのですね。

REOさんはクルマもバイクも事故がなく、しかもあれだけのペースで走れるのはすごい事だと思います。「天性のセンス」なんじゃないかと。
2006年4月30日 21:30
MG50→GS125→GB250とステップアップした和尚のバイク歴も、最後のクラブマンでヤクザのソアラに接触、「任保険掛けといて良かった」実感を以って終了しました。
バイク屋さんのトラックの荷台にドナドナされていく時は、ゆきぞうさん同様ウルウルきました。20年前のあの日を思い出しましたわ・・・。
コメントへの返答
2006年5月1日 3:10
GB250、背景なくシンプルなカタログがイカしてました。実は、XLで転んで電気が走った後、真っ先に手に取ったのがソレなんです。でも、周囲はFXやTZRにお熱なので、BGのテイストを語れる友人は少なかったのですが…(泣)
大反対の両親を説得させるため、保険は必ず自腹でかけるのが約束でした。18最未満はメチャクチャに高かったんですが、周囲は皆「何ソレ?」と。(笑)

しかし、よくよく考えれば、あの時から2倍以上も生きてるわけで、何だか悲しくなってきました。
2006年4月30日 22:23
一言(爆)。

若いなぁ~ゆきぞうちゃんw
※それゆっきーでしょ?
コメントへの返答
2006年5月1日 3:13
い、今でもあんまり、か、変わってないねって言われるよっ!

マジな話、可愛かったので年上とかにはモテモテだったよ。



…お袋や婆ちゃんの友達とか。
2006年5月1日 2:12
ご無沙汰しております。m(_ _)m

この話を読んでいると、(僕はバイクではありませんが)自分の事と重なる部分もあって悲しくなります。「たかが○○○、所詮○○○」でも、自分にとっては掛替えのない相棒ですよね。しかし、ゆきぞう。さんのお父様も酷い事を成されましたね。突然、棄てに行くのを決めてしまうとは....。
それにしても、雄鷹山の事故と自分の事故が同じ日の同じ時間帯に起こったとは、余計に思い出深いものに成りますね。

コメントへの返答
2006年5月1日 3:27
どうもご無沙汰です!センティアの調子はどうですか?

みんカラのような場所に集う人は、強さは人それぞれであっても、やはり同じようにモノに対して愛を抱ける人達なのだと思います。すてきな人達です。

親父のやったこと、あの当時は恨みましたけど、今考えると、最後にケツを拭いてもらっちゃったのかなぁ、とも考えます。まぁ、親父はそんな気はさらさら無く、ジャマだから捨てたのは間違いないのですが。(笑)

雄鷹山は、私の記憶に強く刻まれた事故でもあります。関連する本も買いあさりましたが、いろいろ考えさせられました。全く見知らぬ人達ですが、「墜落遺体」とかは泣きながら読み、いまここに生きていることの幸せを痛感しています。
2006年5月1日 22:44
う~ん 片岡義男のエッセイを読んでいるようですわ>素敵すぎますよ、ゆきぞう。さん(^^;。

それはそうと、当時の250ccマルチはどこのモデルも、キ○ガイみたいに廻るエンジンばかりだったのを想い出します。
ヤングはお馬さん命・・・の時代でしたね(^^;。
自分もその例に漏れず・・・以下自粛です(笑)。
コメントへの返答
2006年5月2日 1:31
どもども、片岡ゆきたろうです。(笑)
ああ、懐かしい。「ボビーに首ったけ」ってありましたね。今「ボビー」と言ったら「ボビー・オロゴン」ですが。(爆)

FZ、実は納車翌日のマイナーチェンジ(リアがディスクに)でケチが付き、その後はCBR250リリース。もう泣きましたね。敵情視察の試乗会で「チクショウ」と。

そう、あの頃のヤングは「馬しかない!」、で、やっぱり「馬鹿(うましか)ない!」なのです。
2006年5月2日 15:19
うぅ・・・
ゆきぞうさん・・・泣けたよ。
ちょうど今年はバイクで逝った
強敵(とも)たちを訪ねました。
今はビッグスクーターが流行り
自信過剰な操舵が多いですよね!?
初心にかえってバイクの楽しさを
知ってもらいたいものですな・・・
コメントへの返答
2006年5月2日 15:57
ビッグスクーター、ある意味バイクじゃなくって、でもバイクであってと、そういう存在なんですよね。

ビッグスクーターという乗物については、個人的にいろいろ思うトコがあるのです。非常にショッキングな出来事がありました。とても難しい話なので、もう少し整理して書くつもりですが…
2006年5月13日 21:52
ゆきぞう。さん、こんばんは。
遅レス失礼します。

読んで感動しましたよ。青臭い(失礼)セイシュンを思い出しました。

私自身はバイク経験もこんな熱くなれるモノもなかったので、
このような経験、羨ましく思いました。
人それぞれ色んな歴史があろうかと思いますが、このように
命について、実際に何か自分に起こったことと、
同時に社会で起こったことと重なってさらに自分に大きな影響力を
持っているんですね。未だにニュースでやりますよね。

ゆきぞう。さん(。が付いているのに最近気が付きまして)の違った一面、垣間見た思いです。

コメントへの返答
2006年5月14日 1:32
いや、もう、とんでもないです。

しかし、バイクってのは、私にとっては仕事や生活といったものにフィードバックされたと思います。頭の中だけでもダメ、身体だけでもダメ、調子に乗ると痛い目を見る、理想と現実のギャップなど…ダメダメだったガキにいろいろなモノを教えてもらいました。(今もダメ親父ですが)

しかし、皆さんも何かを通じて、同じように人生の年輪を刻んでいるのですね。Firekingさんのブログを通じてみる人間性というのも、私が経験しなかったことで作られたモノであり、それは素晴らしいものだと感じています。

プロフィール

「[整備] #ユーノス500 エアコン故障!自分で修理できんのか!? https://minkara.carview.co.jp/userid/107616/car/19853/7492121/note.aspx
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