
小雨が降りしきる休日。しばらく顔を出していなかった主治医の所に顔を出しに行くと、、珍しいオートバイがあった。
「CBX」
中型免許を取りに行った20年前、教習車輌のほとんどがCBXだった。教習で散々乗ったのだから、免許が取れたら別のオートバイに乗りそうなものだが、なぜかCBXは人気が高く、初めての愛車にそれを望む友人も少なくなかった。
その数年後「アレはCBXではない。」とCBXに乗っていた友人が言ったのを覚えている。
どういう事かというと、私が教習所で乗っていたのは「CBX400F」であって、「CBX」というのは自分の乗っている1000ccだと言うのだ。
「Honda CBX」。
Honda並列エンジン系の称号である「CB」の頂点に君臨していたリッターマシン。前代未聞の空冷並列6気筒24バルブ、6連装のCVキャブで100馬力以上をたたき出した。
その友人は、中学に入るか入らないかという時、目の前を颯爽と駆け抜けたオートバイに目を奪われた。それがCBXだったそうだ。そして十数年後、ついに彼は長年の憧れを手に入れた。
‘90の当時は空冷マルチブームで、ZやCB、GSXなどの「空冷4発」が流行り、私たちもそれに便乗した。その中でも彼の真っ赤なCBXは独特のオーラを放っていた。ガソリンタンクはCBシリーズとは思えないほど幅広く、さらにその幅に収まりきらないシリンダーブロックが張り出している。
同時期の空冷4発が「ギュギュギューン!」と回るのに対し、CBXは「ホワーンッ!」と軽く吹き上がる。Honda独特の太いタコ針がピョンピョンと跳ね上がる様は驚きを通り越し、フラッグシップなのにずいぶんケイハクだなぁ、とすら思ったほどだ。
ワインディングに響くサウンドは素晴らしいの一言に尽きた。姿が見えなければ、一体どんなレトロ・スポーツカーが走っているのだろう、と間違える人もいた。
しかし、口の悪い評論家からは「ダイヤモンドを新聞紙で包んで売っているようなモノ」とまで酷評されている。フレームはアンダーパイプを持たないダイヤモンド・タイプで、クソ重い6発を押さえ込むには役不足なのだ。ただそれは高速・高荷重域の話であって、ツーリングのレベルでは問題ない。
馬鹿でかいエンジンのおかげで重そうに見えるが、実際はそれほどでもない。ハンドリングも軽く、誰でも乗れる。ジュラルミンパーツを多用し、少しでも軽くしようとしているのだ。アンダーフレーム省略も軽量化のためかもしれないが、シリンダーを寝かせてヘッド廻りを冷やさねばならないものの(そうしないと長いカムやプラグが冷えない)、ホイールベースを延ばして運動性が下がるのを嫌ったからだろう。
だからCBXはパッケージ的に破綻しているオートバイだ。それを示すように、Hondaのフラッグシップとして残ることは許されなかった。ビッグスポーツとしてはバランスの良い4気筒に、ツアラーの座は水平対向水冷のGLシリーズが適役だった。
件の彼はCBXを維持することができず、2年も経たないうちに水冷のスポーツツアラーに乗り換えた。周囲がハイパワーモデルに買い換えて、ツーリングの度に口惜しい思いをすることも原因だったが、買ったバイク屋にベンツを維持するくらいカネがかかるよ、と脅されての惜売だった。(実際はそんな事はない)その後、結婚して子供も2人生まれ、仕事も忙しくなったので代替車も処分し、気がつくと10年以上の月日が経っていた。
私は彼に連絡をした。
買う、買わないは別として、CBXに乗ってみないか?と。
彼は少し迷ったが、店にやってきた。
その顔は、冷静を装っているものの紅潮し、初めてデートする小学生のような表情を浮かべていた。かつての愛車と同じワインレッド。ゆっくりと慎重に、そして味わうかのように跨り、トップブリッジに伏せてみせた。十数年前の過去と現在がシンクロした瞬間だった。
小雨の降る中、彼は少し長めの試乗を終えて帰ってきた。言葉は少なかったが「もの凄く気持ちがよかった!」と言った時の顔は、日々の仕事に疲れ切っているそれではなかった。
私も十数年ぶりにCBXをライディングした。
BIG・CBシリーズはK3、FZ、R、SF1000/1300、と一通り乗ったが、CBXはそのどれとも違うのだ。Hondaは模範のようなオートバイばかりを作るメーカーだが、もう一つの顔である「狂気」を感じるモデルも数台ある。CBXはその中の一つだ。当時の4気筒ライバル車と比較しても、やはり別物なのだ。
街道をちょっと開け気味で走る。シールド越しの視界とは別に、自らが走っている姿を思い浮かべることができる。それは最高のオートバイの証だ。
170馬力もあるようなレプリカにも道を譲らない「ヤングのビッグスクーター」が慌てて路肩に寄っていった。信号待ちでも、周囲から視線を感じる。
「何だアレ?」、「すげぇ!」
驚嘆の声も聞こえてきそう。思わず、クラッチミートに気合いも入る。
渋滞を抜け、バイパスに入る。このシルキー、いやセクシー・シックスの本気を味わうためだ。合流の登り勾配。2速3,000rpmからスロットルを捻り上げる。慌て出すフレームにもお構いなしに、巨大なシリンダーが自らを前方の大気の壁にぶち当て、めきめきと突き破っていこうと喚き散らす。150psの水冷のように、背骨を抜かれるような恐怖感はないものの、速い。
タコメーターの針が視界の隅でぐんぐんと跳ね上がり、右に倒れ込んでゆく。
この時の音。
雄々しいとはまさにこのことだ。
左右の防音壁に跳ね返り、サラウンドで炸裂するエキゾースト・ノートは鼓膜以外の所に反応し、思わず口元が弛む。
「クソッ!コイツはシビレるッ!」
レッドゾーンに入ろうかという回転域でも、120度間隔でクランクを押し下げるinline-6はまだ回ろうとする。ギアを掻き上げ、さらにトルクをかけてゆく。轟々と車体を突進させ、ブレーキをかけることすら一瞬忘れさせる。
この手のオートバイは、レプリカにも、アメリカンにも、水冷ツアラーにもない魅力がある。
それは「単車」というテイスト。
世の中じゃ「ちょいワルオヤジ」なんてのが流行っているそうだが、オイルのシミもないような新品のハーレーを転がしていても、所詮「ちょいワル調」に過ぎない。
こういう「単車」を普通に転がしてこそ本物だ。
残念ながら、このCBXは一足先に売れてしまい、友人の手に渡ることはなかった。
しかし、彼の心の中で、何かくすぶっていたものに火がついたかもしれない。
「CBX」。私も今後乗る機会はないかもしれない。
今後、こんな狂気沙汰のモデルはホンダどころか、どこのメーカーだって作らないだろう。コストと効率と安全でガンジガラメになっているからだ。
しかし、あの時代はこういう狂気が許されたからこそHondaを始めとした日本車は強かったのではないか?
低迷するF-1のHondaワークスなんかを見ていると、そう思うのだ。