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2006年07月01日 イイね!

The X 「Honda CBX」

The X  「Honda CBX」小雨が降りしきる休日。しばらく顔を出していなかった主治医の所に顔を出しに行くと、、珍しいオートバイがあった。

「CBX」

中型免許を取りに行った20年前、教習車輌のほとんどがCBXだった。教習で散々乗ったのだから、免許が取れたら別のオートバイに乗りそうなものだが、なぜかCBXは人気が高く、初めての愛車にそれを望む友人も少なくなかった。

その数年後「アレはCBXではない。」とCBXに乗っていた友人が言ったのを覚えている。

どういう事かというと、私が教習所で乗っていたのは「CBX400F」であって、「CBX」というのは自分の乗っている1000ccだと言うのだ。

「Honda CBX」。

Honda並列エンジン系の称号である「CB」の頂点に君臨していたリッターマシン。前代未聞の空冷並列6気筒24バルブ、6連装のCVキャブで100馬力以上をたたき出した。

その友人は、中学に入るか入らないかという時、目の前を颯爽と駆け抜けたオートバイに目を奪われた。それがCBXだったそうだ。そして十数年後、ついに彼は長年の憧れを手に入れた。

‘90の当時は空冷マルチブームで、ZやCB、GSXなどの「空冷4発」が流行り、私たちもそれに便乗した。その中でも彼の真っ赤なCBXは独特のオーラを放っていた。ガソリンタンクはCBシリーズとは思えないほど幅広く、さらにその幅に収まりきらないシリンダーブロックが張り出している。

同時期の空冷4発が「ギュギュギューン!」と回るのに対し、CBXは「ホワーンッ!」と軽く吹き上がる。Honda独特の太いタコ針がピョンピョンと跳ね上がる様は驚きを通り越し、フラッグシップなのにずいぶんケイハクだなぁ、とすら思ったほどだ。

ワインディングに響くサウンドは素晴らしいの一言に尽きた。姿が見えなければ、一体どんなレトロ・スポーツカーが走っているのだろう、と間違える人もいた。

しかし、口の悪い評論家からは「ダイヤモンドを新聞紙で包んで売っているようなモノ」とまで酷評されている。フレームはアンダーパイプを持たないダイヤモンド・タイプで、クソ重い6発を押さえ込むには役不足なのだ。ただそれは高速・高荷重域の話であって、ツーリングのレベルでは問題ない。

馬鹿でかいエンジンのおかげで重そうに見えるが、実際はそれほどでもない。ハンドリングも軽く、誰でも乗れる。ジュラルミンパーツを多用し、少しでも軽くしようとしているのだ。アンダーフレーム省略も軽量化のためかもしれないが、シリンダーを寝かせてヘッド廻りを冷やさねばならないものの(そうしないと長いカムやプラグが冷えない)、ホイールベースを延ばして運動性が下がるのを嫌ったからだろう。

だからCBXはパッケージ的に破綻しているオートバイだ。それを示すように、Hondaのフラッグシップとして残ることは許されなかった。ビッグスポーツとしてはバランスの良い4気筒に、ツアラーの座は水平対向水冷のGLシリーズが適役だった。

件の彼はCBXを維持することができず、2年も経たないうちに水冷のスポーツツアラーに乗り換えた。周囲がハイパワーモデルに買い換えて、ツーリングの度に口惜しい思いをすることも原因だったが、買ったバイク屋にベンツを維持するくらいカネがかかるよ、と脅されての惜売だった。(実際はそんな事はない)その後、結婚して子供も2人生まれ、仕事も忙しくなったので代替車も処分し、気がつくと10年以上の月日が経っていた。

私は彼に連絡をした。

買う、買わないは別として、CBXに乗ってみないか?と。

彼は少し迷ったが、店にやってきた。
その顔は、冷静を装っているものの紅潮し、初めてデートする小学生のような表情を浮かべていた。かつての愛車と同じワインレッド。ゆっくりと慎重に、そして味わうかのように跨り、トップブリッジに伏せてみせた。十数年前の過去と現在がシンクロした瞬間だった。

小雨の降る中、彼は少し長めの試乗を終えて帰ってきた。言葉は少なかったが「もの凄く気持ちがよかった!」と言った時の顔は、日々の仕事に疲れ切っているそれではなかった。

私も十数年ぶりにCBXをライディングした。

BIG・CBシリーズはK3、FZ、R、SF1000/1300、と一通り乗ったが、CBXはそのどれとも違うのだ。Hondaは模範のようなオートバイばかりを作るメーカーだが、もう一つの顔である「狂気」を感じるモデルも数台ある。CBXはその中の一つだ。当時の4気筒ライバル車と比較しても、やはり別物なのだ。

街道をちょっと開け気味で走る。シールド越しの視界とは別に、自らが走っている姿を思い浮かべることができる。それは最高のオートバイの証だ。

170馬力もあるようなレプリカにも道を譲らない「ヤングのビッグスクーター」が慌てて路肩に寄っていった。信号待ちでも、周囲から視線を感じる。

「何だアレ?」、「すげぇ!」

驚嘆の声も聞こえてきそう。思わず、クラッチミートに気合いも入る。

渋滞を抜け、バイパスに入る。このシルキー、いやセクシー・シックスの本気を味わうためだ。合流の登り勾配。2速3,000rpmからスロットルを捻り上げる。慌て出すフレームにもお構いなしに、巨大なシリンダーが自らを前方の大気の壁にぶち当て、めきめきと突き破っていこうと喚き散らす。150psの水冷のように、背骨を抜かれるような恐怖感はないものの、速い。

タコメーターの針が視界の隅でぐんぐんと跳ね上がり、右に倒れ込んでゆく。

この時の音。

雄々しいとはまさにこのことだ。

左右の防音壁に跳ね返り、サラウンドで炸裂するエキゾースト・ノートは鼓膜以外の所に反応し、思わず口元が弛む。

「クソッ!コイツはシビレるッ!」

レッドゾーンに入ろうかという回転域でも、120度間隔でクランクを押し下げるinline-6はまだ回ろうとする。ギアを掻き上げ、さらにトルクをかけてゆく。轟々と車体を突進させ、ブレーキをかけることすら一瞬忘れさせる。

この手のオートバイは、レプリカにも、アメリカンにも、水冷ツアラーにもない魅力がある。

それは「単車」というテイスト。

世の中じゃ「ちょいワルオヤジ」なんてのが流行っているそうだが、オイルのシミもないような新品のハーレーを転がしていても、所詮「ちょいワル調」に過ぎない。

こういう「単車」を普通に転がしてこそ本物だ。

残念ながら、このCBXは一足先に売れてしまい、友人の手に渡ることはなかった。
しかし、彼の心の中で、何かくすぶっていたものに火がついたかもしれない。

「CBX」。私も今後乗る機会はないかもしれない。
今後、こんな狂気沙汰のモデルはホンダどころか、どこのメーカーだって作らないだろう。コストと効率と安全でガンジガラメになっているからだ。

しかし、あの時代はこういう狂気が許されたからこそHondaを始めとした日本車は強かったのではないか?

低迷するF-1のHondaワークスなんかを見ていると、そう思うのだ。
Posted at 2006/07/01 00:54:58 | コメント(5) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記
2006年06月05日 イイね!

官能サウンド

「キリン」というマンガがあった。有名な「あいつとララバイ」や「バリバリ伝説」に比べ、「キリン」はミスターバイク(モーターマガジン社)で掲載された“知る人ぞ知る”バイクマンガだ。

GSX1100S刃に乗る中年ライダーが、“デカ尻女”のポルシェ911とバトル…と言うと簡単だが、少年でも楽しんで読める「あいララ」や「バリ伝」とはちょっと違う。ミスターの後、ヤングキング(少年画報社)で連載され、いまだに根強いファンを持つが、その秘密はバイク乗りしかわからないような、独特な表現力だ。

劇画タッチのキャラクター、ほとんどが実車のトレース、過剰な網掛けや精密描写は滅多にしないものの、最低限の線画でグッと引きつける。「ハゴッ」とか「ヌカカッ」とか、普通のバイクマンガじゃやらないよう擬音も絶妙だ。

また、登場人物の生き方も普通とは違う。ネジが飛んでるというか、バイクという“公的に許されたモノ”の、危うい部分を投射するような人間像が描かれている。これはライダーの憧れであり、ハードボイルドの世界。メジャーな少年誌じゃ無理だろう。

私はそれに陶酔した類ではないが、バイクの魅力を最も引き出したマンガの一つだと思っている。

その「キリン」を描いた漫画家、東本昌平(はるもとしょうへい)氏が、ヤマハのサイトでWebマンガを公開していた。

残念、というか、当たり前だが、ストーリー自体は「キリン」のようなモノではないが、なかなか良かったのは、サウンド付きだったこと。

出てくるバイクは「RD400」や「RZ250」、「XJR1300」。イヤホンをつけて、かなり大きな音で何度も聞いてしまった。

RZは懐かしい。YPVSと呼ばれる排気デバイスが付く前のモデルで、350ccはナナハンキラーと呼ばれた。(単に、YAMAHAがナナハンを作る予算がなかったからかも知れないが)

このモデル、250も350も借りて乗ったのだが、ナナハンキラーとか、殺人マシンなんて呼ばれていた350の方がトルクもあって乗りやすく、250の方がピーキーでエキサイティングだった。

思わずにやり。

そうそう、下の方じゃデレンゴデレンゴ、と不安定なアイドリング。走り始めは上がカブって回らないけど、水温が温まれば、破裂するように回る。

中速から急激に弾けるパワーを細いタイヤに預けて乗るという、カミソリ感覚。今は聞くことも少なくなった2サイクル・パラレルツインのサウンド。オイルの臭いにまみれ、ドキドキしながら走ったのが昨日のことのようだ。

後の方に出てくるのはXJR1300。ビッグネイキッドの中では、峠を走って一番面白いバイクだった。CBやZRX、GSXに比べると線が細い感もあり、基本設計は古いエンジンだけど、それでもRZに比べたらモーターだ。

でも、この音もキライじゃない。

傾けた車体と身体を起こしながら、力強く立ち上がって行く時の、あの独特の和音。悲しげでもあり、力強くもあり。いろいろな回転体が、共鳴しながら、絞り上げるように奏でる共鳴音。

いろいろなエンジン形式はあるが、この立ち上がって行く時の音こそ、レシプロエンジンの魅力だと私は勝手に思っている。

それは、人の生き方にも通ずるようなものを感じるからだ。
Posted at 2006/06/06 00:52:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記
2006年04月30日 イイね!

創世記 「YAMAHA FZ250」

創世記 「YAMAHA FZ250」ふとしたことで乗ったXL250S。曲がれずに転んだ瞬間、頭の中に強烈な電流が走った。暴走族御用達、ヤバンな乗物だと思っていたバイクに魅せられたのは、高校に入ってすぐのことだ。

当時の高校生の間では、走り屋を目指すのなら猫背乗車のF-3レプリカ、2サイクル250ccか、4サイクル400ccという風潮があった。車検がなく、燃費もいい4サイクル250ccの単気筒やツインもあったが、高度経済成長を背景に育ったヤングは馬力至上主義である。25psのシングル「CB250」なんか理解できないお年頃だ。

しかし峠が恐い私。YAMAHAのシングル「 SRX-4」や、先輩が勧める漢Kawasakiの空冷四発「 GPz」にしょうかと思ったが、400ccは「車検」がある。当時15万が相場。高い。そんな矢先、電話帳ほどの厚さだった「月刊オートバイ」で見たスクープ記事はYAMAHAから発売される超高性能4サイクル250cc「FZ250 Phazer」。神が私に与えたもうたスーパーマシンだと勝手に信じ込んだ。

70~80年代、ヤマハはトヨタのツインカムエンジンに注力していたため、自社の4サイクルエンジンの開発が滞っていたというウワサがある。やむなく作った2サイクル「RZシリーズ」や、空冷のXJ用四発の腰上を水冷化した「FZ400」はヒットしたものの、激化する中型市場では、V型と四発を持つHONDA、市販車初のアルミフレームを実現したSUZUKIに立ち後れた感もあり、4サイクルマルチエンジンの刷新を迫られていた。そこでYAMAHAは「GENESIS(創世記)」というコンセプトを立ち上げ、FZ250とFZ750がリリースされたのだ。

FZ250は水冷4サイクル4気筒DOHC 4バルブ。2サイクルと同等、規制値いっぱいの45psを発生させるため、なんと18,000rpmまで回るエンジンは、シリンダーを前方に45度も傾斜させ、4連CVキャブをダウンドラフトで装着していた。

外観はフェアリングからタンクカバーまでつながった樹脂製のフラッシュサーフェイスタイプで、一般的なカウル付きとは一線を画すデザイン。50対50の荷重配分、前後16inchの小径極太タイヤの組み合わせは低重心で乗りやすく、WGP世界チャンプのケニー・ロバーツも足として使っていたそうだ。(多分、ウソ)

しかし…当時「ハンドリングのYAMAHA」などと言われていたが、私はFZ250の操縦性が良いものだったかは覚えていない。何しろ、ライディングなんてわからないし、3ない運動のせいでバイクに乗っている友人も少なく、せいぜい半分族車のGSXやCBR、一世代前のRZぐらいしか乗ったことがないからだ。

ただ、18,000rpmまで回るエンジンのフィーリングは今でも覚えている。独特の金属音が混じった、低く呻るようなエキゾースト・ノート。低回転は思った以上にトルクがあり、中回転で痩せるので10,000~15,000rpmまではターボごとく吹き上がる。メーター読みだが180km/hに到達するほどのパワーと空力性に優れていた。

毎月3万7千円のローン返済、家に入れるカネ、その他の小遣いを抜くと、私のバイト代はほとんど無くなってしまった。なので、頻繁に峠にも行けなかったが、それでも無茶な冒険旅行を何度かした。正月の夕方、軽装のまま下道で浜松まで行ってみたら、帰りは半凍結の箱根を走るハメになったり、初めて行った新宿駅に止めるまでタクシーに阻まれて4周もグルグル回ったり。

まだまだある。
夜中の三浦半島をあてもなくさまよっていたら、知らないうちに横須賀連合と一緒に走ってたり。友人と箱根や丹沢に出かけたりもした。バイト先のお客だった師匠のスポンサードで、見知らぬ土地を連泊したり。そして、イヤだといいつつも、女の子も乗せた。ライディングテクニックを知らない私は、その性能の全てを堪能することはできなかったが、それでも十代最後の青春の傍らには、必ずFZがいた。

事故もあった。
路肩のすり抜けに失敗して、トレーラーに挟まれたのだ。
背負っていたバッグや、上着の袖に車輪の跡が残っていたような際どい事故だったが、幸いにも片足の靱帯を伸ばしただけで済んだ。処置が終わったベッドの上で、雄鷹山にジャンボが墜落したという速報を見た。私の事故とほぼ同時刻だったので、自分が生きていることをありがたく感じたのを覚えている。

車体上部とカウリング全てをトレーラーにゴッソリ削ぎ取られたFZは廃車にしてもおかしくない状態だったが、幸いにもフレームやエンジンにダメージはなかったので、直すことにした。バイク屋に頼む工賃がないので、自分でやる。ハンドル、クランクケースなど、とりあえず走らせるためのパーツを取り付けると、エンジンがかかった。外装を一切付けていない状態。フレームにシートだけ乗っけた状態で走り回り、「やった!直った!走った!」とヘルメットの中で叫んだ。

その後、数ヶ月かけて外装パーツを揃え、せっかくだからワークスのデイトナカラーをアレンジして自家塗装した。事故の傷は残るものの、自分だけのオリジナル。コイツを死ぬまで乗る。一緒に死ねる、そう思った。

3年後。エンジン内部のシフター・スプリングが割れる。たった200円の部品だが、クランクを割らなければならない。バイク屋に聞くと、工賃は中古が一台買えるほどに高いので、FZ250は家の前で錆びていってしまった。

ある日、オヤジの友人であるオジサンが軽トラでやってきた。「話は聞いてるよ、さぁ、持っていこう。」と言われ、ついたところはゴミ置き場。

今でも覚えている。

FZはオジサンに、えいやっ、と荷台から巴投げされた。
私は「アッ!」という小さな悲鳴をあげた。

とても長く感じる時間の中で、全ての思い出が頭の中で流れていった。崩れ落ちた衝撃で無様に割れるカウリング。何度もデザインし直し、丁寧にマスキングして、屋根の上で塗ったものだ。自分で言うのも何だが、その辺の自家塗装のレベルじゃないと思っていた。

それが、粉々に砕け、ここに止まる。永遠に!

それを見た時に、私は知った。
悲しいけれど、これは「鉄の塊」にすぎないもの、でもあるのだと。

命あって、命なきもの。

それがバイクだ。

たかがバイク、所詮バイク、されどバイク。

だからこそ、楽しくなければいけない。
バイクで死んじゃいけない。

嫌な思いは、するもんじゃない。
嫌な思いも、させちゃいけない。

死ぬなよ相棒。
お前は人間だから。

機械が人間に意志を伝えるなんて、ナンセンスだ。馬鹿げている!
しかし、私には最後の最後にFZの言葉が聞こえた。
その言葉のおかげで、私は生き続け、楽しみ続けてこられたのだと思う。

このバイクを最初に選んだことを、私は幸運に思う。
Posted at 2006/04/30 16:06:14 | コメント(8) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 日記
2006年04月29日 イイね!

新すぃカテゴリー

新すぃカテゴリークルマのことも書かねばならんと思い立ち、ちょっとパーツレビューを追加しましたヨ。
んで、クルマに絡んだ事を書こうにも、私はクルマのキャリアはあんまりないので、代わりにバイクのカテゴリーでも追加してみようかと思いました。たった今。

私自身が所有したモノは10台以下ですが、遊び以外に仕事の関係で、相当数のバイクを試乗する機会がありました。「人間に一番近い乗物」とはヤマハの宣伝コピーですが、なかなかイイ線ついてます。大好きなのに全く相手にされなかったり、コワイと思ってたのに、話してみたら意気投合したり、ダメな野郎だと思ってたら、結構頼りになるヤツだったり、憧れのあの娘が実は凶暴な性格だったり、昼はセレブな奥様が夜は獣と化したり

また、似たようなスタイルのバイクでも、メーカーによって全く考え方が違っていたり、タイヤの変革で乗物としての根本が変わっていたり、メディアに決して書かれることのない真実など、なかなか興味深いものがありました。私自身は、こういった経験をバックボーンにクルマという乗物を斜めに見ているフシもあります。

無謀なツーリング、心も体も傷だらけのサーキット、死神とタンデムのワインディング。泥とバイ菌まみれのオフロード。血と汗と油まみれのメンテナンス。

オレはバカだ、こんなに小さいのかヨ、と悟ったあの日。知らない人格に身体を乗っ取られたあの日。涙も出ないほど凍り付いたあの日。腸がねじ切れるほど笑ったあの日。

ムカツキのヒエラルキーが存在する世界における屈辱と傲慢、友情と奇跡、怠惰と挑戦。ボケとツッコミ。鼻汁と豚汁。そんなものがグッチョングッチョンのゲッチョンゲッチョンに混じり合い、ムダにアツかった20年。

ハッキリ言いましょう。

バイクはバカの乗物です。

人馬一体でなく、馬鹿(うましか)一体

馬鹿という「人間に一番近い乗物」なのです。

でも、そこが魅力。

独り言なのでコメントもいらんですが、何かの参考になればいいです。
つまり、次世代の馬鹿のデファクトスタンダードを築くための、ナレッジ共有ソリューションなんです。(なんじゃそりゃ)
Posted at 2006/04/29 04:03:46 | コメント(3) | トラックバック(0) | ニリンのヒトリゴト | 趣味

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