
小学生の時、隣りの「お屋敷」に同級生が住んでいた。先祖は三浦の盟主に仕えていた侍だそうで、いいモノを見せてやる、といわれて潜り込んだ中二階。古い箪笥の中から出てきたのは、数本の錆び付いた日本刀だった。手にずっしりとくる重さ。子供ながらに、大人でもこれを振り回すのは大変だろうと思った。
実際、日本刀は700~1400gとバットほどの重さがあり、チャンバラのように片手で振り回すのは無理なのだそうだ。人の骨を切れば刃こぼれし、手入れが悪ければすぐに錆びる。何人もの人間を相手にする場合、最後は切れなくなった刃に体重を載せ、相手の動脈や筋などを叩き潰すように斬っていたという。刃物といっても、カミソリやカッターではなく、ナタや斧のほうが近いだろう。
両手で振り回すことを意味する長い柄。殺傷能力を高めるには、これを握る力も必要なわけで、柄に相手の血が付いてしまうと、ぬるりと滑って命も落とす羽目になるという。時代劇では切っ先を変えたり、鞘に収める時にツバがカチャリと鳴るのも実はおかしく、ココが弛んでいるなどは武士の恥でもあったらしい。また、量産にも向かず、硬い甲冑に対しては、突き抜くことができる槍の方がよっぽど有効だったという。鉄砲が出てくれば無力に等しいのはご存じの通り。実際の日本刀はチャンバラ時代劇で想像していたものとはずいぶん違うのだ。
「SUZUKI GSX1100S 刀」。名車となった理由は、その斬新なデザインに尽きる。当時のスズキはドイツの工業デザイナー、ハンス・A・ムートのデザイン画を忠実に再現し、魅力的なモーターサイクル・デザインとは何たるかを世に知らしめた。私も限定解除したら刀に乗ることを夢見たが、全く興味のないどころかオートバイが大ッキライだった小・中学生時代でも、タミヤ模型のカタログで見た姿に息をのんだ記憶がある。鋭くエッジの効いたボディワークと力強く張り出したシリンダーやクランクカバー。強そうでカッコよくて何が悪い。男の子を黙らせるには充分すぎるほどの圧倒的デザインだった。
数年後、私が限定解除した時には、すっかり刀は古いバイクになっていた。その割に高い。国内仕様のナナハンは安いが、あまりにも非力だし、程度が良いものも少なかった。ローンを組んで1100Sを買うことも考えたが、やはり機構的には古すぎた。一番厄介なのはパンクすると数秒でエアが抜けるチューブタイヤで、さらに前輪が19インチと大きく細い。当時の私は16インチのクイックなハンドリングが好きで、GPzやRZなどの大径ホイールのハンドリングはピンと来なかった。
そこで後発の3型と呼ばれるカタナを選んだ。デザインはSuzuki社内の石井氏によるものだが、何とリトラクタブル・ヘッドライトを備えていた。刀とカタナは全くの別物で、エンジンもフレームも共通するところはなかったが、これを選んだ理由は16インチチューブレスタイヤを装備する以外に、「Katana」という憧れのペットネームを持っていたからだ。ただし、これは過渡期の16インチだったため、ガッカリするハンドリングだった。
同じ頃、友人が1100の刀を買った。スズキ70周年アニバーサリーモデルの新車である。憧れの刀を、最上のコンディションで乗れると聞き、私はすっ飛んでいった。
それは、私の3型カタナや、中古の錆び刀とは比べものにはならず、刀鍛冶が仕上げたばかりの輝きを持つ正真正銘の「刀」だった。タコとスピードが交差するコンビネーションメーター、小さな盾のようなスクリーン、右にオフセットされたタンクキャップ。タンク後端が急激に落ち、テールランプまで長く伸びるバックスキンのダブルシート、そして、トップブリッジ下から低く侠角に生えたクリップオン・ハンドル。跨れば、平均的身長の私でもタンクに腹這うようになる。アップライトハンドルのように自由に動くことは許されず、ライダーは車体に強制的にビルトインされるのだ。いざ、セルモーターを回した時、妖刀に身体を支配されるとでも言うような、強烈なプレッシャーを感じたのを覚えている。
刀はそのシャープなスタイリングから、ジェット機のようなフィーリングを想像していた。細いトルクを集約させ、高回転で臨界点に達するようなマルチ・エンジン。ところが、実際の刀は全く正反対。タンク下から響いてくる音は、カムチェーン・トンネル内で鉄の砂利が乱暴に掻き回っているような荒々しいもので、走り出しは「ズズッ」と低速から怒濤のトルクで車体を押し出してゆく。
後の油冷にも言える特長だが、この頃のスズキ製4気筒は、極太のトルクがアイドルからレッドゾーンまでフラットに続く特性で、パワーバンド近辺でワッと吹き上がるようなことがない。クルージングも、「シュワーン」などとというものではなく、「ギュギュギュギュッ」と粗くパルシブ。スロットルを捻れば、大粒で粗いトルクが一気に吹き出してくる。ショートボアで高回転型の水冷マルチとは正反対に、野性的な味付けなのである。
細く大径の19インチフロントタイヤは意外にも扱いやすく、刀という名のごとく、走行ラインを切り裂いてゆく感覚がある。細い大径タイヤはラフにコジっても破綻しにくいものだが、このとてつもなく低いハンドルでは、タイトコーナーで逆操舵を利用するような操舵がしやすいとは言えない。無理にコジらず、落ち着いて後輪から前輪に舵角を入力してゆくような走りの方がイージーだ。刀が得意とするセクションはエッジを効かせて走る高速コーナリングで、暴れる車体を押さえ込むためのクリップオンなのだろう。ヘアピンの突っ込みでフロントに荷重をかけ、エイヤッと寝かす16インチやオフ車の乗り方だった私には、やはりピンと来ないハンドリングだった。
ブレーキには驚いた。とにかく止まらない。電車である。16インチのカタナも前輪が鳴くばかりだったが、19インチの刀に至っては、大きなホイールの回転速度を下げるのがやっと、という感じなのだ。また、この時代のスズキが採用していたアンチノーズダイブ機構は、ブレーキフルードへの圧力を使用した仕掛けで、ブレーキを引きずったままフルバンクすると、リリース時に減衰が抜けて痛い目にあうという煩わしいものだった。
友人はこのアニバーサリーモデルを大切にしており、洗車には一日を費やしていた。そして数年後には前後足回りを油冷GSX-Rのものに換装したが、極太の前後サスペンションとラジアルタイヤ、このセッティングは悪くなかった。意外にフレームが強いのか、ワインディングを軽く流す程度であれば全く問題なく、ニュートラルなハンドリングなのだ。(ただし、GSX-Rのようにフロントをクリップに噛みつかせてねじ曲げるようなことは無理)この手のカスタムは刀オーナーの間で常套手段のように行われているが、友人はこのモディファイが済んで間もないある日、大事にしていた刀を売り払い、最新の水冷4気筒を買ってしまった。
その理由は何となくわかる。日本刀が片手で振り回せ、錆び付くことも無くなったら便利だが、それは見かけは刀であって刀でない。戦いに勝つための武器が欲しければ、GSX-Rという最新の飛び道具に帰るという手も否定できないからだ。それでもまだまだ改造刀は沢山走り、ZやCBよりもコアなファン層を持っている。軽くて錆びない刀で飛び道具に挑むという道もまた醍醐味なのだ。CBやZと違い、安易にリファインされなかった刀にはそんな魅力があるのだ。
時々、「刀が欲しいなァ」と思う時がある。ワインディングでラジアルタイヤの恩恵は受けられないが、この単車で夜な夜な高速を飛ばしたら、どれだけ気分のいいことか。水銀灯の下でたたずむ姿、荒々しく呻くようなサウンドもライダーを退屈させないだろう。真っ昼間の平和なマス・ツーリングよりも、真夜中に孤独を抱えて疾走するハイ・ウェイが最も似合う。痛快なチャンバラではなく、丑三つ時の討ち入りや辻斬り、そういう禍々しい雰囲気、それが私の刀に抱くイメージなのである。
※ちなみに、中型ブームの終焉には1100とほぼ同じデザインの250、400の刀が販売された。私はこの2台にも乗ったのだが、1100刀とは全くの別物で、ひらひらと軽いハンドリング、炭酸飲料のようにシュン、と軽く回るエンジン。とても扱いやすいチャンバラ4気筒車だった。
Posted at 2006/10/05 23:11:35 | |
トラックバック(0) |
ニリンのヒトリゴト | 日記