• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

dora1958のブログ一覧

2015年01月03日 イイね!

おせちに飽きたらどうぞ m(._.)m

おせちに飽きたらどうぞ m(._.)mおせちに飽きたらこれ
いかがでしょうか?

姫路名物の 駅そば

日清食品から発売中~(^_^)v
Posted at 2015/01/03 19:13:18 | コメント(5) | トラックバック(0) | お腹いっぱい | グルメ/料理
2015年01月03日 イイね!

モータースポーツ回顧録 F3編

モータースポーツ回顧録 F3編F1への登竜門として1970年代 発足してからはや 45年 永く続いていますね
最近では
マスターズF3、ユーロF3、マカオGPが各シリーズの上位が出場し
世界一決定戦のようですね






マカオGP  香港の富豪テディイップのてこ入れで盛んでした
このテディイップさんはセオドールレーシングというF1チーム持っていましたね

1983年より国際格式のF3マシンによって行われるようになって以来、各国のF3選手権の上位者が集結し、「F3世界一決定戦」として扱われるようになりその知名度、格ともに世界有数でした。



第1回優勝は あの アイルトンセナ
イギリスF3チャンピオンの勢いで 圧倒的な速さで優勝しました



セオドールレーシング = 徳利賽車隊  というそうです





私も 1988年でしたか?
オートスポーツ誌主催?のマカオGP観戦ツアーに参加しました



マカオGPでは F3は 三級 方程式 というようです






マカオGPの記念館にある シューマッハの愛車











なお1990年から1993年にかけては、マカオグランプリの2週間前に富士スピードウェイで行われる「インターナショナルF3リーグ」と併せて、日本やイギリス、ドイツ、イタリア、フランスなどの世界のF3選手権の上位入賞者を集めた「F3世界一決定戦」シリーズとして開催されたことがありますね

私も 富士SWに観戦に行きましたが リアウイングの無いマシンで
1コーナーを マシンをねじ伏せるようにしてまがるのは圧巻でしたね


ミカハッキネンVSシューマッハの因縁の対決はこちらから



ファンだった村松栄紀選手のマシン レイナード






萩原修インターF3リーグ参戦記はこちらへ

萩原修選手 談より

当時の富士では長いストレートでの抵抗を減らすため
日本のF3勢はスペシャル仕様のリアウィングを装着していました。
対する遠征組はマカオ仕様の巨大なリアウィングがついていました。
練習走行の序盤はトップスピードに勝る日本勢が
タイミングモニターの上位に名を連ねました。
しかし10分もするとマカオ勢が続々とピットイン、
なんとリアウィングを取り外して再びコースインしていったのです。
常識的に考えると確かにストレートでのドラッグは低減させるのでしょうが、
100Rなどの高速コーナーはとても全開で行けるはずがありません。
タイム的にもそれほど伸びる訳が無いとタカを括っていたのですが、
なんと彼らはストレートが速いのは当然としても、
100Rまでも巧みなステアリング捌きで駆け抜けて、
トップタイムを2秒半も上回るタイムをマークしたのです。










モナコでは 各時代のマシンによるレースが開催されているようです



march 793

知人も一時期 所有していました




ラルトRT1 
鈴木利男選手が全日本選手権で初代チャンピオンになったマシンですね

Posted at 2015/01/03 15:28:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | クルマ
2015年01月03日 イイね!

モータースポーツ回顧録  ティレル 編

モータースポーツ回顧録  ティレル 編この記事は、ティレル(タイレル)P34??について書いています。


私が初めてF1に興味がわいたのは
タイレルP34 を雑誌で見てからでしたね

それから レンタルビデオ店で 

AVには眼もくれず (これ重要)

当時は VHSビデオでした

F1グランプリ栄光の男たち、ポールポジション
 などのビデオ借りて見ていました











日本初のF1レースは1976年 富士SWで
「F1世界選手権イン・ジャパン」というタイトルで開催




星野選手もティレル007で参戦しました






たいれる  しえくたあ  ひらがな表示ですね




1977年 日本GPでは 高橋国光選手が007で参戦



 1977年 Rピーターソンの走り
ロニーピーターソンはP34をスライド走行させていました






1973年 チャンピオンに突き進む Jスチュアート 後ろは Fセベール





Fセベールの走り  フランス人世界チャンピオンになっていたかも





1984年 ティレルからデビューした S ベロフ 

セナと同格の速さを持っていました



ウイキペティアより

第6戦モナコGPでは、予選20位から追い上げ、3位表彰台を獲得。
このレースは豪雨のために31周終了時点で打ち切られたが、
終了時にべロフは2位のセナの13秒差、そしてトップのアラン・プロストの
21秒差につけていた。
またこのレースでのベロフのペースは、トップのプロストより明らかに速く、
セナとほぼ変わらないものであった。
加えて、セナはスタート前にガソリン漏れで背中を火傷しており、
ギアボックスにもトラブルを抱えていたため、
『本来の周回数だった77周は無理でも、せめて全周回数の75%である
規定周回数の58周まで続いていればベロフが優勝しただろう』
ともパドックでは囁かれていた。

ドイツ人初のチャンピオンになっていたかもしれませんね

1990年 アメリカGP Jアレジとセナのバトル



Jアレジは この活躍?で フェラーリに移籍しました













 ティレル019  特徴的な コルセアウイング 






JステュアートによるP34走行




1975年 ティレルのドライバーはJシェクター、Pデパイエですね




コレクターにより現役当時のままですね




イベントではまだ走行できるようですね




購入したプラモデルはまだ完成しておりません(((^_^;)




これもまだ 箱のなか~(゜o゜)\(-_-)


Posted at 2015/01/03 23:25:39 | コメント(5) | トラックバック(0) | モータースポーツ | クルマ
2015年01月03日 イイね!

夢は ナナハン??

夢は ナナハン??私がバイクの免許をとった当時は
二輪免許が 小型 、中型、大型に分かれる ころでした

あこがれた ナナハン






HONDA CB750  憧れですね




蒜山で見かけた CB750 






ナナハンと勝負していたのはサバンナRX-3でしたね







その孫 CB750F









鮮烈デビューのkawasaki ZⅡ






コンチハンドル に ヨシムラ 集合管




蒜山でみかけた ZⅡ




カワサキ 750SS







ノーマルハンドルのまま 疾走する 清原選手
皮ジャンの上は女性用Tシャツだったようです




SUZUKI GT750 水冷3気筒でした





岡山国際サーキットでお会いしました

Posted at 2015/01/03 01:01:03 | コメント(3) | トラックバック(0) | バイク | クルマ

プロフィール

「本日回収のマンホールカード
西脇BたつのB加西B」
何シテル?   06/15 19:58
dora1958です。 最近はダム巡り ダムカード、マンホールカード、消防カード 収集にはまっています 所有する車は高齢車ばかりなので ぼちぼ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2015/1 >>

     12 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 1920 21 22 23 24
252627 282930 31

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

エンジンオイル、フィルター交換 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/31 13:32:30
エーモン リレー / 3235 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/21 14:47:26
DURO DM1107A 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/21 14:45:22

愛車一覧

カワサキ KSR110 K-すけ (カワサキ KSR110)
通勤用、ご近所用に購入
マツダ ロードスター KenG号 (マツダ ロードスター)
2018年 縁あって我が家にやってきました 走行距離220000km超えですが 快調です ...
スズキ ツイン おまめさんⅡ (スズキ ツイン)
壱号機がAT故障でお別れ 縁あって弐号機 興しいれ かなり遣れています・・・
ヤマハ SRV250 サイクロン号 (ヤマハ SRV250)
久しぶりのバイクです 怪我しないようぼちぼち乗ります
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation