今日は6時前に目が覚めたので、公園へウォーキングに出かけました。
木々はすいぶん紅葉が始まり秋真っ盛り、
昨日の雨で落ちた葉っぱが、絨毯をひいたように優しく迎えてくれました。
爽やかな風にのってラジオ体操の音楽も遠くから流れてきます。
火照った顔にあたる風がとても心地よく、気持ちのいいウォーキングをす
ることができました。
(゚Д゚)ノキャラが変わったんじゃないか、
と心配された方もいらっしゃったでしょうが、
これが本来の「紅の猫」の姿ですのであしからず・・・(^^♪。
さて、先日タイトルバックに「おぎのやの峠の釜めし」の写真を使用した
だけで、「釜めし」ネタを期待される方がたくさんいらっしゃいましたので、
今晩は私の釜めしへの思い出話でもいたしましょう。
今は昔、富山から東京へ行くには、信越線経由か上越線経由で行くのが一般的でした。
昼の列車は上越線経由の特急「はくたか」と信越線経由の急行「白山」の二本立てでした。まもなく「白山」は特急となり最大3往復に、「はくたか」も最大2往復走るようになりました。
その後上越新幹線ができ「はくたか」は廃止、「白山」は年と主に本数が少なくはなりましたが、乗り変えずに行けるということで1本は長野新幹線開通まで走ることになります。
特に、「はくたか」、「白山」両方走っていた頃は、やはり信越線経由の「白山」を使うことが多かったですね。
横川駅の「峠の釜飯」は魅力でしたもの。
ご存知の通り当時横川では碓氷峠越えのための補機連結、切り離しが行われるため停車時間も長くしっかりお弁当を買うことができました。ただすごい人気でしたから、停車する前にデッキでドアが空くのを待っていたものです。
買ったあとは上りの上野行きにしろ、帰りの下りにしろいただくのに十分時間がありますから、落ち着いて食べることができました。
新幹線開通後、速すぎて食べる時間がなくて軽井沢駅で釜めしの売上が伸びなかったというのもおかしな話ですね。
帰りはそのまま釜を家へ持ち帰ったものでした。
こんなのんびりした移動が当たり前だった昔もいいものです。夜行列車が全盛だったり、青函連絡船で青森から4時間かけて北海道へ渡ったりした時代も知っててよかった、とつくずく感じますね。
この釜めしの写真は、昨年日本三大車窓の姥捨駅へ行った際、長野駅にちょうど届いた釜めしをゲットし帰りの直江津行き普通「妙高」車内で撮影したものです。
わ~、こんなに長くなってしまった。
「こんな長くなったの、読むの嫌になるよ」・・・家内談
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
感謝、感謝。
でたがりです →
こんばんわ、風呂上がりです。
さてさて今日のニュースは・・・
((((;゚Д゚))))
読売新聞 10月13日(木)11時13分配信
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拡大写真 |
車が進入し、走行していた額田駅近くの線路(大阪府東大阪市内で) |
最終更新:10月13日(木)16時50分
近鉄奈良線って奈良と大阪を結ぶ大動脈、
バンバン電車走ってくるところ。
「難波」から生駒山向けてまっすぐ走って、山にぶつかると左カーブで山を登り
始めて、三分の一ぐらい登ったところにある生駒トンネル(3492m)をくぐると奈良
盆地へかけ降りる、おまけに平城京のど真ん中を遠慮せず貫いて
終点「近鉄奈良」駅へ
快速急行だとわずか35分。
この線逆に奈良から大阪へ向かうと生駒トンネル抜けて標高やく200m「石切」の
駅すぎると車窓に大阪の街が広がる のよね。
はじめての時あまりの雄大さに感動したわ、
載ってる電車は4ドアの通勤電車だからなおさら。
それでおじいちゃんはひとつ手前の「額田」駅の踏切で脱輪、バックが無理と
わかると次の「石切」駅へ向けて30‰を超える坂と言ってもレールを登っていっ
たわけ。4駆かしら?
近鉄の奈良線は新幹線と同じ線路幅(1435mm)だから
余計走りやすかったのかな。
ともかく無事でなにより、
だってあすは「鉄道記念日」なんだから
今日はスプ君はお休みで~す。
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