• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

tarepa RSのブログ一覧

2011年09月10日 イイね!

三菱・ランサー・フィオーレ(C1#A型)1983~88

三菱・ランサー・フィオーレ(C1#A型)1983~88うちの父が乗っていた車。(1995年当時)
バイト先のロシア人向け中古車屋さんから引っ張ってきたもので私が買った。車検整備付15万円。

当時の三菱の車は、低グレードの大衆車は酷い出来だったと記憶している。
とにかくエンジンがフケず、燃費も悪く、私が後に買った3代目ミラージュ・サイボーグの方がハイオクで4WD、DOHCターボにも関わらず、はるかに燃費が良かった。

つまり、低グレード→本当に安物 スポーティ・グレード→本当に高品質・高性能

という感じだった。

(現に3代目の最低グレードにも乗ったが、こちらもパワー無い、燃費悪いだった)


父のは1500CXエクストラ。
5速マニュアル、シートは最高グレードのGSRと同じシートの生地違いと内装は一見気合が入っているが、1500ccSOHCシングル・キャブのエンジンはガサツで、最高速度にチャレンジしたが引っ張って80km/h(???)、燃費もL/5km(???????)

最終モデルで、自慢の新型「サイクロン・エンジン」搭載なのに・・・・。

しかし、こんなボケ車でも当時は売れた。但し、車齢7年程度のタマがロシア人向け中古車屋に投げ売りで並んで、しかも売れない現状を見ると、この車に対するユーザーの評価も知れる。



今じゃ日本では絶滅危惧種だが、実は、ある国に中古車が輸出され、大盛況な状態だ。
マレーシアである。



マレーシアでは1985年頃に国王が三菱に国民車として技術提携をお願いし、マレーシア国産車として作られたのがプロトン・サガだった。



マレーシアは現在、輸入外車に新車・中古に関わらず、高い関税を設けているが、タダ同然のミラージュ・ランサーフィオーレはマレーシアではプロトン・サガとも部品が共用できる為大人気なのだ。

因みに1990年頃に、ラリーアートの協力でアジア・パシフィックラリーにも参戦。
その時には、なんとE38ギャランVR-4のドライブトレーンを移植した「サガ・VR-4」が出場した。(但し、市販されなかったのでプロトタイプクラスに出場)


Posted at 2011/09/10 19:47:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ
2011年08月23日 イイね!

三菱ギャラン・クーペFTO(A61型)1971~75

三菱ギャラン・クーペFTO(A61型)1971~751971年発売の「コルト・ギャラン」シリーズの一つ。
コルト・ギャランやギャランGTOの部品を流用して作り上げられた小型クーペで、最初は商用のデリカ用1400ccネプチューンエンジンと4速ミッションの組み合わせだったが、後にオーバーフェンダーとスポーツラジアルタイヤで武装し、1600ccエンジンを搭載したGSRが登場。

小型ながらマッチョなスタイルとトルクフルなエンジンで当時人気だったトヨタ・TE27レビン/トレノや、B110サニーGX-5の良いライバルであった。

なお、ワークス参加は無かったもののプライペードでモータースポーツの場によくその姿を見せた。

☆画像は日本自動車博物館で撮影。展示車は元のオーナーにより社外品の角型マーシャル・ハロゲン
ライトに換装されているのが残念だが、これも当時のライフスタイルの一つで貴重な姿である。
Posted at 2011/08/23 22:20:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ
2011年08月15日 イイね!

三菱ギャラン(E30系)1987~92

三菱ギャラン(E30系)1987~92当時の売れ筋だった日産・ブルーバードやトヨタ・カリーナ、いすゞ・アスカ等の1800cc~2000ccクラスのセダンに対抗するためにダウンサイジングさせて誕生させたモデル。



80年代当時は三菱フルラインナップという方針があり、かつてはターボ、4WDと各車種に用意してきたが、今回は1969年のギャランGTO・MR以来久しぶりの三菱製DOHCエンジン搭載で注目された。

ラリーの活躍が最も有名だが、実は最高グレードのスポーツモデル・VR-4は当初はラリーに参加する予定はなく、あくまでロードモデルの最強グレードという位置づけでの設計だった。

当初は1985年当時にWRC・世界ラリー選手権を荒らしまくって注目されたマツダ・ファミリアの最強モデル・GT-Xに対抗する為、同時に開発されていたランサー・セダン(日本ではミラージュ4ドアセダン)の最強モデル・GSRがDOHC1600ccインタークーラーターボのフルタイム4WDで武装し、参戦する予定で進めていたが、1986年シーズンになると、1600ccのファミリアが、2000ccクラスのトヨタ・セリカGT-FOURや、ランチア・デルタ・インテグラーレにあっという間に駆逐されてしまった為、急遽予定を変更、ギャランを参戦させる事になった。



ギャランはアンダーステアながらも三菱得意の図太いトルクで力づくでグラベル(ダート)の高速コーナーを制覇し、WRCの力強いイメージで大人気となった。



だが、ターマック(舗装路)ではそのアンダーステアが邪魔をし、ツーリングカー選手権にも出場したものの、成績はグラベルコースが多いラリー競技に限られてしまった。

しかし、その一方でロードモデルは有り余るパワーと、フルタイム4WDの安定感で、走り屋よりも、主に高速道路を走るユーザー向けに人気があった。

マイナーチェンジの1989年には、当時三菱と提携したベンツとの関係でAMG仕様を販売。
AMGにてファインチューニングされたDOHCのNAエンジンとAMGがコーディネートした外観、木目パネルに本革シートといった高級スポーツモデルであり、パワー重視のVR-4とはまた違う味付けに注目が集まった。

Posted at 2011/08/15 11:39:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ
2011年08月05日 イイね!

三菱ランサーEX(A175型)1979~87

三菱ランサーEX(A175型)1979~87

1979年、人気が高かった初代ランサーの後継として登場。
メカニズムはそのまま先代のをベースとしたものだったが、1981年にターボモデルが登場。
海外では世界ラリー選手権の為に2000ccインタークーラーターボ車が発売されていたが、運輸省から注意された為、日本仕様は1800ccにグレードダウンさせていた。
また、外観も海外仕様と異なり、リップスポイラー程度の外観でファンをがっかりさせた。(動画参照)
(当時は暴走族対策がうるさかった為)

1983年、待望のインタークーラーターボ仕様が発売。海外仕様に似た迫力あるエアダムバンパーとなった(画像参照)通称「ランタボ」と呼ばれ、今も熱心なマニアが多い。


この車、免許取得時に欲しかったが、当時は廃車の時期でアルバイトで程度最悪なタマをバンバン潰した。三菱ディーラーの中古車センターに「ランタボが欲しい」と話したら「はあ?ある訳ないじゃん」と冷たく追い返された。
後に、知り合いの修理工場から「程度極上のダートラ仕様のランタボ、只でやるけど要るか?」と云われ見に行ったら、確かに程度が良かったが、初期のターボ(インタークーラー無)
がっかりして断って帰った。その後、すぐそのランサーは潰された。

だが、後で知った事だが、外観は確かにインタークーラー・ターボ仕様がいいが、フロントヘビーになり、さらにパワーも上がって扱い難く、かえってインタークーラー無の初期型の方がハンドリングもバランスも良く、走り易かったと聞いた。

アンダーガードはフルセット、定員乗車ロールバー、足回りもバッチリとダートラ仕様、LSDも装着、しかも傷が殆ど無く、走行5万キロも行ってなかった。。
ああ・・・・俺が馬鹿だった・・・。乗っておけば良かった。
Posted at 2011/08/05 21:47:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ
2011年07月28日 イイね!

三菱ランサー(A7#型)1973~79 &ヒュンダイ・ポニー(1975~85)

三菱ランサー(A7#型)1973~79 &ヒュンダイ・ポニー(1975~85)昔、うちの父が2ドア1200SL及び、バンに乗っていたので思い出深い車。
父の運転で助手席に乗った最後の車だった。(1986年廃車)

最後の日、「フンフン」音がするので、窓から顔を出して後ろを見たら、後輪がフンフン暴れていた!!
父に話したら、翌日廃車に。今思うとハブベアリングがイッたのだと思う。

以後10年、父は事情があって車を保有しなかった。



初期型CM

ランサーは「ラリーに勝つため」に作られた車だったという。
その為、ノーマル仕様は最高グレードの1600GSRでも装備もガサく、安っぽかった。
しかし、足回りをラリー仕様にすると低グレードでも抜群の走りを披露したという。
考え方は、初代スバル・インプレッサの開発当時と同じ考え方だった。


後期型CM

1986年、小学校から帰るとランサーはいなかった。
数日後、小学校の帰り道、「ガタンガタン」と音がするので振り返ると、4トントラックに積まれた、うちのランサーがいた。

うちのとすぐ分かったのは、当時、もはやこの型のランサーはうちしか見かけなかった事、そして前オーナーが外した「1200SL」のエンブレムを外した跡、そして父が自分で塗装した白車体に、車体下にうっすら残っていた元色のオリーブ色。

「今迄ありがとう。」手を振ってあげた。
今もナンバーが外されたランサーのテールが忘れられない。

父が休みで家で寝てる日は、後部座席で遊んだ。黒いレザーシートにしみ込んだセブンスターの匂い。
CMのような過激な走りは体験する事は無かったが、いい車だった。
今も、フリーハンドでランサーの詳細な絵を描ける位覚えている。

画像は5年前に某所で撮影。今も残ってるのかな?
レストアしたいと思って近くに寄ってみたが、サビが酷く欠品もあり、再生は難しそうだった。残念。



おまけ・韓国初の自社開発国産車 ヒュンダイ・ポニー。(1975~85)
三菱自動車と提携し、ランサーのプラットホームをベースにジウジアーロ・デザインの車体を作り、
エンジン・足回りはランサーながらも国産率90%で自信満々に初輸出を行った。

スタイルがイタル・デザインのあっさりしたフォルムが好評で、ベースとなったランサーよりも安く、内装もゆったり広く、使い勝手もいいと、最初の販売は絶好調だった。

だが、工作精度・材質不良によるトラブルが多発し、即座に評判が悪化し北米では半年で販売中止。
以後1990年代まで「ヒュンダイ⇒安物」呼ばわりされ、衝突安全基準も満たせなかったで北米輸出はされなかった。

韓国では大ヒットモデルで販売当時は約50%の車がコレだったが、今は現存台数は絶滅に近く、製造国でもソウル近郊の三星交通博物館でしか見れないという。




Posted at 2011/07/28 10:49:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ

プロフィール

「今年は珍しく元旦が休みでしたが、結局落ち着かない正月でした(泣」
何シテル?   01/06 23:25
スバル・ヴィヴィオRX-Rと、家族用にキューブに乗っています。主に80年代の車や働く車、飛行機が大好きです。 これまで、1984型・三菱コルディア4WD以来十...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

コロナ売れました 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/12/08 11:32:25
LS 1/20 スズキセルボCX-G プラモデル 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/04/16 20:04:38
模型馬鹿一代 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/07/30 21:54:06
 

愛車一覧

スバル ヴィヴィオ ヴィヴィちゃん(ビストロバージョン) (スバル ヴィヴィオ)
娘の意向でビストロ顔にチェンジ(^^) 多少、ビストロのパーツに傷や痛みがありますが、 ...
スバル ヴィヴィオ ヴィヴィちゃん(名付け親・わが娘) (スバル ヴィヴィオ)
昔乗っていたVIVIO・RX-RAが忘れられず衝動買い。 動いた最大の原因は、漫画・田中 ...
スバル ヴィヴィオ スバル ヴィヴィオ
妻が初めて保有した車。私と付き合い始めた頃には既にお婆さんに払い下げられていた。 私が ...
三菱 スタリオン 三菱 スタリオン
1995~96 ランタボを探していたが、内装の豪華さにつられ、ついスタリオンに手を出して ...

過去のブログ

ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation