1942年第二次大戦・北アフリカ戦線・チュニジア。
イギリス軍は、ロンメル将軍率いるナチス・ドイツの北アフリカ軍団「砂漠の狐」と日々死闘を演じていた。
イギリス軍の武装は弱く、しかも1940年のダンケルク撤退、さらにナチス・ドイツの連日のイギリス爆撃で疲弊していたが、アメリカ製兵器が多数、当時参戦していなかったアメリカより供与され、ようやくナチスと対等に戦えるようになっていた。
そこでアメリカ軍が参戦するとの朗報にイギリス軍は大喜び。
「こんな高性能な兵器や車両を作るアメリカが来てくれるんだ」と誰もが期待した。
チュニジアの海岸に大挙して現れたアメリカ海軍艦艇群から次々と上陸用舟艇に優秀な車両を満載したアメリカ軍がやってきた。
ところが、海岸で多数の車両が擱座。アメリカ軍は車両に防水処置を施していなかったのだ。
実戦参加が乏しかった当時のアメリカ軍は、最初は太平洋戦線でも惨敗し、こんな感じだった。
さらに車両を失い途方に暮れたアメリカ兵達に、ナチス・ドイツ軍が大挙して攻撃を開始。
ナチス・ドイツもアメリカ軍に警戒し、よりによって当時、開発されたばかりのタイガー戦車を大量投入。
只でさえ実戦豊富な砂漠の狐の精鋭兵士、しかもデビューしたての最新戦車に攻撃されたアメリカ軍は、折角生き残った少数の戦車も簡単に撃破され、慌てて近くの街へ逃げ込んだ。
そんなアメリカ軍の無様さを目の当たりにしたナチス・ドイツは、アメリカ軍を完全無視、イギリス軍も「期待外れの役立たず」と見離し、有名なアイゼンハワー将軍と、部下の鬼将軍・パットン中将が来るまで、ただ、街で引き籠り、みじめな状態で初陣を迎えてしまったのだった。
そこで、車両の防水対策が重要と思い知ったアメリカ国防省は防水車両の開発をメーカーに要求したが、生産するだけで精いっぱいだった為に、簡易な防水キットが戦場に送られ、必要に応じて現地で使われただけで第二次大戦は終結した。
戦後は、大量のアメリカ製軍用車両が余り、戦争被災国に大量に供給されたが、まだ余っていた。
ジープの生産元・ウィリス社も、もはや軍用ジープの必要なしと民間需要に目を向け、ジープをベースにしたロードスターや、ワゴンを作っていた。
ところが1948年の中共内戦で、ソ連をバックにした中国共産党が武装蜂起し、中華民国を台湾に追い込む事件が発生。
再び戦争の危機がやって来たので、アメリカ国防省は兼ねてからの希望だった防水軍用車両の開発を
打診。
急遽、既存のパーツを寄せ集めたM38型ジープが開発され、1950年に完成したが、既に朝鮮戦争は、日本に大量に余っていた第二次大戦型のMB型ジープで事足りたので、結局、最新鋭ジープが戦場へ行く事は無かった。
しかも、メーカーのウィリス社独自で、寄せ集めで作ったM38をベースに熟成させたM38A1型ジープが開発、アメリカ軍に正式に採用されてしまった為に、M38型ジープは、わずか2年余りしか作られずに終わった希少車になってしまった。
画像の車両は世界的にも数少ないオリジナルの現存車両である。
なお、民間/輸出仕様CJ-2/3、があり、カナダでもライセンス生産されたが、細かい部分でオリジナルのM38とは異なる。
Posted at 2011/09/18 11:56:52 | |
トラックバック(0) |
ジープ・軍用車 | クルマ