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2011年09月19日 イイね!

三菱ジープ(1973~98)

三菱ジープ(1973~98)1973年、自衛隊納入車両として開発された「73式小型トラック」登場を機にモデル・チェンジ。

基本は従来のオリジナルに似てはいるが、三菱独自で車体を拡大し、エンジンも独自のものを搭載。
理由は、ハイテク・重武装化して重くなった搭載火器を載せるには従来の1/4tでは小さいので1/2tに拡大する必要性に迫られての事であった。

ジープの名を使ってる以上、ライセンス生産であるが、内容はもはや殆ど「三菱独自」という感じになった。

この代で1980年代にターボが搭載された他、ドレスアップ仕様が販売されたが、1982年に三菱パジェロが登場したので、民間への販売はパジェロに移行し始めたが、マニア層や、オシャレ感覚でのユーザーの支持も高いので、乗用向けの仕様で継続販売された。

しかし、少数販売ながら自衛隊納入需要で何とか販売を継続出来たものの、1990年代の排ガス規制や衝突安全基準等の問題が出始め、自衛隊でも新型の専用車両に更新が迫られ1996年に新型の「1/2t小型トラック」が採用されたのを機に三菱ジープは生産を終了した。

最後にマニア向けにオリジナルに近い簡素なスタイルの特別仕様車が限定販売され、マニアに惜しまれつつ、1998年、販売終了した。

Posted at 2011/09/19 10:19:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | ジープ・軍用車 | クルマ
2011年09月18日 イイね!

三菱・ウイリス・ジープ(CJ-3B)M606(1953~68)

三菱・ウイリス・ジープ(CJ-3B)M606(1953~68)

1953年、警察予備隊(現在の自衛隊)発足に併せ、生産された車両。
アメリカ・ウィリス社とライセンス生産契約を結び、当初は前回紹介したウィリスMC型の部品を輸入、ノックダウン生産したのを始めに、改良型で輸出用に車体を簡易にしたM606型(CJ-3B)のライセンス生産を行った。

なお、エンジンがサイドバルブ・2.2Lガソリンからオーバーヘッドバルブ2.2Lガソリンに改良され、エンジンの高さが増した為、ボンネットが嵩上げされた。

自衛隊への納入は、憲法で武装放棄を宣言した憲法に配慮し、あくまで「アメリカ軍が貸与した車両」という事で生産された。

一方で、朝鮮戦争でソ連率いる東側国家の驚異を身に染みて痛感したアメリカは世界戦略として、このジープを友好国に貸与した。
だが、三菱マークは、かつて零戦で苦しめられた戦災国に配慮し輸出・貸与仕様は元メーカー「WILLYS」の文字プレスのみにされた。

民間にも販売された三菱ジープは、ベトナム戦争で忙しくなってきたアメリカ軍の事務処理を速やかに行うために、自衛隊に直接納入を許可され、以後、日本国内仕様は「WILLYS」のプレスは消され、三菱マークのみとなり、さらに民間に向けて三菱独自でバリエーションを増やしていった。
1973年には形こそ似ているものの、三菱独自に進化させたものにフルモデルチェンジされた。

なお、韓国、南ベトナムで、当時のニュースフィルムに供与されたM606の姿を見ることが出来る。
アメリカ軍でも、最前線に本来のジープ・M38A1や、新型のM151A1の供与が優先された為、空軍の基地警備・連絡用等の後方任務で使われた。

韓国では、この車両を機に後に亜細亜自動車でAMC・CJ-5をライセンス生産を開始。
主に軍用に納入されたが、民間にも販売され、1988年のソウル・オリンピックの際に日本にも輸出された。エンジンは日本から輸入した、いすゞ・G180型が搭載されていたが、サスペンションが弱く、あまり激しい運転は得意では無かったようだ。
(現在、軍用向けは終了。独自のSUVに名前のみ引き継がれた)

インドでは、イギリス植民地時代に自動車生産を行っていたマヒンドラ&マヒンドラ社によってライセンス生産を行っている。内装の紹介で一見、ボロいので中古車に見えるが、マッサラな新車である。よく見ると外装部品(ウインカー等)も取り付けが曲がっていて造りが荒っぽい。一時期民間仕様が欧州に輸出されたが、あまりに酷い作りだと酷評されてしまった。
Posted at 2011/09/18 12:35:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | ジープ・軍用車 | クルマ
2011年09月18日 イイね!

ウィリスMCジープ M38(1950~52)  

ウィリスMCジープ M38(1950~52)  

1942年第二次大戦・北アフリカ戦線・チュニジア。

イギリス軍は、ロンメル将軍率いるナチス・ドイツの北アフリカ軍団「砂漠の狐」と日々死闘を演じていた。

イギリス軍の武装は弱く、しかも1940年のダンケルク撤退、さらにナチス・ドイツの連日のイギリス爆撃で疲弊していたが、アメリカ製兵器が多数、当時参戦していなかったアメリカより供与され、ようやくナチスと対等に戦えるようになっていた。

そこでアメリカ軍が参戦するとの朗報にイギリス軍は大喜び。
「こんな高性能な兵器や車両を作るアメリカが来てくれるんだ」と誰もが期待した。

チュニジアの海岸に大挙して現れたアメリカ海軍艦艇群から次々と上陸用舟艇に優秀な車両を満載したアメリカ軍がやってきた。

ところが、海岸で多数の車両が擱座。アメリカ軍は車両に防水処置を施していなかったのだ。
実戦参加が乏しかった当時のアメリカ軍は、最初は太平洋戦線でも惨敗し、こんな感じだった。

さらに車両を失い途方に暮れたアメリカ兵達に、ナチス・ドイツ軍が大挙して攻撃を開始。
ナチス・ドイツもアメリカ軍に警戒し、よりによって当時、開発されたばかりのタイガー戦車を大量投入。

只でさえ実戦豊富な砂漠の狐の精鋭兵士、しかもデビューしたての最新戦車に攻撃されたアメリカ軍は、折角生き残った少数の戦車も簡単に撃破され、慌てて近くの街へ逃げ込んだ。

そんなアメリカ軍の無様さを目の当たりにしたナチス・ドイツは、アメリカ軍を完全無視、イギリス軍も「期待外れの役立たず」と見離し、有名なアイゼンハワー将軍と、部下の鬼将軍・パットン中将が来るまで、ただ、街で引き籠り、みじめな状態で初陣を迎えてしまったのだった。

そこで、車両の防水対策が重要と思い知ったアメリカ国防省は防水車両の開発をメーカーに要求したが、生産するだけで精いっぱいだった為に、簡易な防水キットが戦場に送られ、必要に応じて現地で使われただけで第二次大戦は終結した。

戦後は、大量のアメリカ製軍用車両が余り、戦争被災国に大量に供給されたが、まだ余っていた。

ジープの生産元・ウィリス社も、もはや軍用ジープの必要なしと民間需要に目を向け、ジープをベースにしたロードスターや、ワゴンを作っていた。

ところが1948年の中共内戦で、ソ連をバックにした中国共産党が武装蜂起し、中華民国を台湾に追い込む事件が発生。

再び戦争の危機がやって来たので、アメリカ国防省は兼ねてからの希望だった防水軍用車両の開発を
打診。

急遽、既存のパーツを寄せ集めたM38型ジープが開発され、1950年に完成したが、既に朝鮮戦争は、日本に大量に余っていた第二次大戦型のMB型ジープで事足りたので、結局、最新鋭ジープが戦場へ行く事は無かった。

しかも、メーカーのウィリス社独自で、寄せ集めで作ったM38をベースに熟成させたM38A1型ジープが開発、アメリカ軍に正式に採用されてしまった為に、M38型ジープは、わずか2年余りしか作られずに終わった希少車になってしまった。

画像の車両は世界的にも数少ないオリジナルの現存車両である。
なお、民間/輸出仕様CJ-2/3、があり、カナダでもライセンス生産されたが、細かい部分でオリジナルのM38とは異なる。
Posted at 2011/09/18 11:56:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | ジープ・軍用車 | クルマ
2011年09月18日 イイね!

M151A2 AMC・MUTT(1970)

M151A2 AMC・MUTT(1970)

1952年に、これまでのジープに代わる小型軍用車両としてフォード社が開発。
従来のラダーフレームを持ち、リーフリジット(板バネ)という、軍用トラックの王道を無視し、アルミモノコックボディに4輪独立懸架という、当時でもスポーツカーにしか採用されていなかった方式を採用。

軽快にアメリカ・アバディーン実験場を走るこの車に軍幹部は感動したが、一方で構造上アルミでは弱いと指摘され、スチールモノコックボディに変更し、1957年採用、1960年実戦配備された。

ところが、リア・アクスルがスピードを出してコーナリングするとリフトアップし転覆する事故が多発。
これは、軽快に走る為にドライバーが思わずスピードを出し過ぎてコーナリングする為だった。

この為初期型は、アメリカ軍車両としては珍しく、払い下げられず、ホッパーでボンネットを叩きつぶし、二度と乗れないようにしてスクラップとして放出された。

アメリカ陸軍は、ベトナム戦争もあった為、早急に改善するようフォードに命令。さらにアドバイザーに、元祖ジープのAMC社(現・クライスラー・ジープ)を参加させ、基本、改良・生産はAMC、その手伝いの生産はフォードという形がとられ、1964年にM151A1として生産され、ベトナム戦争に大量投入された。

だが、改良されたとはいえ、サスペンションの癖は若干残り、徴兵で送られた元気のいい兵士による事故が多発し、米陸軍はマニュアルを作成。
マニュアルは、徴兵で送り込まれた若者たちにも受けがいいように、アメリカン・コミック式のマニュアルが配布され、厳守するよう徹底指導された。

さらにベトナムの泥濘でスタックしたM151A1を牽引するとフレームが歪むというトラブルも多発した。

ベトナム戦争も末期になった1970年、ジープの老舗・AMC社に徹底改良され、生産も完全にAMCで行うようになり、最初に開発したフォードから完全に移行され、画像のM151A2となった。

画像の車両はウインカーがベトナム製だった。
これは、1973年のアメリカ軍戦闘部隊撤退の際に大量に南ベトナムに投入したM151A2をそのまま現地の南ベトナム政府軍に引き渡し、その後1975年の終戦時にさらに戦勝国の北ベトナム軍に南ベトナムから大量に押収し使われ、その際、当時敵国となったアメリカから部品を輸入する訳にもいかなかったので、自国で作れる補修部品を作っていた為である。

画像の車両は在日米軍払下げの車両。仕様が海兵隊と陸軍仕様が混じっているが、これはオーナーの好みである。
(シュノーケールは海兵隊仕様、海兵隊仕様ではバンパー両端が揚陸用舟艇搭載時に邪魔になるので切ってあるが、この車両は切っていない。)


Posted at 2011/09/18 11:03:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | ジープ・軍用車 | クルマ

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