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tarepa RSのブログ一覧

2012年07月28日 イイね!

乗りたかったクルマ回想 7 ホンダ・コンチェルト(MA1/2/3型)1988~92

ホンダ・コンチェルトとは、かつてイギリスのBLグループとホンダが提携していた時代に作られた車で、ローバー200のベース車であった。



1981年に、ホンダ・バラードをベースにBLグループとの提携販売車はトライアンフ・ブランドで販売したエクレイムから始まったが、殆どエンブレムのみの違いで、かつてのトライアンフ愛好家を愕然とさせたモデルでもあった。



そういう不評もあったので、後継は、新設計のコンチェルトをベースに大衆ブランド・ローバーの名前を冠し販売され、そこそこに成功したモデルに成長した。



中身こそホンダ・シビックそのものであったが、コンチェルトはイギリス向けらしくシックで上品な味付けがなされ、ホンダ・ブランドながらもジョンブルの匂い漂う、いわば和製外車の様相だった。



この時代のホンダは、かつて錆びやすく、ボディ剛性も甘いと指摘されていたのを覆すように錆びにくく、ボディ剛性もしっかり保たれ、普及グレードでも痛快な走りを楽しめたという。


だが、日本では、ローバー200が上品な車として人気を博したのに対し、コンチェルトは地味な車として存在もあまり知られず、ひっそり販売され、最後は不良在庫車を警察の捜査課の覆面パトカーとしてまとめて激安で販売され、公務にご奉公して消えて行った。


私はこの車を1999年に中古車販売店で激安で売ってたのを見かけた。程度は極上で走行距離も5万キロ程度で、しかもMT車・サンルーフ付で好みのシャンパン・ゴールドだった。

当時はAE86を買ったばかりだったのでスルーしたが、この車もまた市場から消えて、すっかり忘れ去られた車になってしまった。

ホンダ版、いすゞ・ジェミニ・ZZ・ハンドリングbyロータスと思いたくなるような、良い車だった。
ちょっと上品にこの車を乗りこなすのも魅力的だったかも知れない。


Posted at 2012/07/28 01:26:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 乗りたかった車 | クルマ
2012年07月18日 イイね!

乗りたかったクルマ回想 6 三菱ミラージュ(C10系)1983~87



このクルマが新車当時は、香港映画が大人気で、三菱自動車の提供でよくジャッキー・チェンが乗り回してスクリーンの中で大暴れした車でした。



しかし、香港映画やジャッキーの人気が高まる一方で、肝心のミラージュはさほど人気が出ずにフルモデルチェンジを迎えてしまいました。



その理由は、ライバルを見ると当時ホンダがシビックでDOHCを、いすゞがジェミニにイルムシャー・チューンを驕っていたのに対し、ミラージュは平凡なOHCターボ、スペックも105psと、さらに下クラスのトヨタ・スターレットにスペック上も見劣りしたのが理由かもしれません。




私も免許取得時に欲しい車の一つでしたが、見つかるタマは豊富でも、皆、中間グレードの1500cc・キャブ車だけで、とうとうお望みのGSRターボと対面することは無いまま今に至ってしまいました。



唯一見たのは、1995年に札幌で天然系のおばさんオーナーが普通に乗っているのを最後に見ることはありませんでした。



画像がそのGSRターボです。日本では普通の車のイメージの方が強かったようですが、海外ではマカオでワンメイクレースを行い、人気は海外の方ではあったようです。



そのワンメイクレースをイメージしたエアロもオプションで装備されていました。

しかし、このホイル・・・・・メンテが大変そう(汗




Posted at 2012/07/18 22:59:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乗りたかった車 | クルマ
2012年07月12日 イイね!

乗りたかったクルマ回想 5 いすゞ・FFジェミニ(JT-150/JT-190)

今日は連チャンで語りますぞ(爆

いすゞの車は免許取る前から気になっていたメーカーだった。
特に、ラリーの匂いがする車が大好きな私にとってはツボな車、それがジェミニだった。

高校3年の時にアルバイトしていた函館港にあったロシア人向けの中古車店で、初めて触ったのが
真っ赤な1986年式JT150ジェミニ・イルムシャー・ターボ・セダンだった。


雑誌の広告で西ドイツ(当時)の名門イルムシャーでチューニングされたモデルと紹介され、モモのステアリング・レカロシートを標準装備した当時唯一の日本車だった。

初めて乗り込んだ時、カッコイイと思ったが、程度は良かったものの走行距離は10万キロを超え、7年落ちで当時はよくある「激安低年式車」の一つでしかなかった。

所長(てか、俺と二人きりだが)に「欲しいな」と話すと「免許取れるの来年だろ?それまで置いておけないよ」と笑って話した。
「いいよ、そんな車、これから幾らでも入ってくるから。」

その車は、後日、日本人の若者が20万で買い取って行った。

そしてジェミニが大量に入庫したものの、殆どC/CグレードのAT車、若しくはディーゼルで、函館でイルムシャーと出会う機会は二度と無かった。

「イルムシャー、良かったなあ・・。」と一言漏らすと所長が衝撃的な事を話した。

「あんなもの、買わなくて正解だぞ?いすゞは乗用車の生産止めたから今後部品の供給に困るぞ。」

そんな馬鹿な?1994年の事だった。

当時はいすゞ・ジェミニはフランス・ロケでオシャレかつ巧みなカースタントを駆使したCMで人気で、台数もそこそこ売れてた人気車の筈??


帰りに慌てて自転車で駅近くのいすゞ・ディーラーに行くと、そこのガラスのショールームは閑散とし、誇らしげに並べてあった新車のJT191型ジェミニは無くなっていた。

閉店間際のディーラーにお邪魔した。「いすゞはもう乗用車作らないんですか?」

中年の営業マンが答えた。「うん、だから展示車のZZとイルムシャーはすぐに売れてしまったね。困るのが低グレードの在庫車なんだけど、君は要らないよね?」と苦笑いした。

カタログも皆駆け込み需要で1冊も残っていなかった。


所長は、かつて若い頃、生産中止も知らずに日野コンテッサを新車で購入。
1966年の時だった。
買って一年もしないうちに、ちょっとした部品も出て来なくなり、詐欺にあった気分だと憤慨していた。
その当時の思いと今回のいすゞ乗用車撤退がラップしたのだろう。



再びジェミニに出会ったのが1996年。
JT191・ZZハンドリングByロータス。



1990年の新車当時に「素晴らしいロータス・チューンドのハンドリングにロータスにも供給された名機4XE1型1600ccDOHCエンジンの官能的なノイズ、上品なBBSホイール」
目の前にあった6年落ちのタマ。程度はそこそこ。当時は普通の中古車だった。

だが、残念ながら学生という事でローンは通らず、保証人も、三菱系だった父が許さず、あえなく没。

肩を落としてその店を去ろうとしたその時、店員さんがこう話した。
「これから持つの大変だよ?6年落ちで生産終了2年のくせに、バンパーすら出ないんだから。お客さんでそれで泣かされた人もいるし。もう忘れなよ。」


今、ヴィヴィオに純正BBSホイルを履くと、その時のJT191を思い出す。

一度は体験したかった。いすゞマジック。
Posted at 2012/07/12 22:29:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乗りたかった車 | クルマ
2012年07月12日 イイね!

乗りたかったクルマ回想 4  三菱ミニカ・エコノターボXR/ZEO(H10系)1988

1987年にスズキ・アルトワークス、ダイハツ・ミラターボTRXXに対抗して発売したモデル。
しかし、ライバルがメーカー自主規制上限64馬力なのに対し、ミニカは旧来のキャブ・ターボ50馬力で、当時は軽自動車の性能進化が激しかったとはいえ、出遅れた感じは否めず、モデル末期の喚起にはならずに残念ながらマイナー車種として終わってしまい、今は希少なモデルとなっている。



このモデルが販売された当時、私は中学1年生であったが、これを見たとき私は小学校の時に見た香港映画「大福星」(MY LUCKY STARS・1985年)で、冒頭でいきなりジャッキー・チェンがステアリングを握り、日本の道をこのミニカ・エコノで爆走するシーンを思い出し、興奮した。



(ネット上から画像を拝借)
当時はミニカ・エコノは発売されたばかりの新型で、エアロ付のモデルは存在しなかったが映画に出てきたこのミニカはカッコイイエアロを纏い、しかもインチアップまでされており、街中で見かける野暮ったいノーマルに比べ、非常にカッコイイと思ったものだ。
恐らく、三菱で用意した映画用スペシャルモデルであろう。



(ネット上から画像を拝借)
一度だけ、33万で売っていたこれに出会った事があった。1994年の事だから、6年落ち。
程度は抜群に良く、維持も容易だったろう。商用4ナンバーでしかも燃費もいい。
加速も結構良かった。ビギナーの車好きには最適なモデルだった。

でも、買わなかった。

理由??それは非常に変な理由だった。
「軽に乗ってると女にモテないから」(は?)

今思うと非常に馬鹿な理由だ。しかもそれを理由にして画像のミニカの後ろにチラっと写る
さらにオンナ受けの悪い車、ドマイナーなコルディア4WD!
しかも程度極悪のゴミ
買って現金30万円捨ててるんだから訳わからん(大汗

このミニカZEOを最初に買っておけば、短大の時のクルマ借金地獄は無かったろうに・・・(涙

まあ、その地獄を散々味わったから今の自分がある訳で・・・・。

たま~~~~に、自分の人生を振り返って恥ずかしくなる時がある。この時もその一つだ。

今の嫁さんは車に興味は全く無い。でもクルマ馬鹿な私と12年も付き合っている。

その前に付き合おうと思った女は、私が好きではなく私の乗ってる86が好きなだけだった。

人生、そんなもんである。
Posted at 2012/07/12 00:12:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乗りたかった車 | クルマ
2012年07月07日 イイね!

乗りたかったクルマ回想 3 いすゞ・ジェミニ(PF50/60)1974~86

かつていすゞで販売されていた小型大衆車。
当時、GMグループに参入したいすゞはGM世界戦略構想の一環として、GMに小型トラックを提供する一方、いすゞの主力商品だった小型乗用車・ベレットをGMオペルが開発したカデットとする事となった。それがジェミニであった。



ベレットという、いすゞオリジナルでは無くなったものの、当時はいすゞはオシャレな車として人気があり、117クーペと並んで「女子大生が自分で運転したい車」ベストに上がっていた。



1979年には1800ccDOHCエンジンを積んだいすゞ独自のホットモデル「ZZ-R」が登場。

しかし、後に聞いた話ではSOHC・1600ccのLSの方が速くてエンジンも軽快に回り、運転し易かったそうだ。ランサー・ターボもそうだが、むやみに馬力アップした後期型より、新車開発当時のオリジナルに近いモデルの方がバランスがいいと言うのは、このジェミニにも当てはまるのだろうか。

私は、このモデルは高校の時にアルバイトの解体屋に入ってきたディーゼルしか知らなかった。
アマガエルのような色で、デリデリデリとディーゼル音が煩く、まさにオッサン臭い車だった。
今で云えばブルーバード・シルフィか、フィット・アリアみたいな感じの位置づけだと思う。

その一方で、バイトを掛け持ちしていたガソリンスタンドの常連で、黒の最後期型ZZ-R、しかも限定のハードモデル「ブラックヘッド」が1台だけ居た。
ランサー・ターボには無い官能的なエキゾーストは、まさに日本車離れしたものだった。

いつかは乗りたい、そう思っていたが 、残念ながら今手元にあるのはトミカ・リミテッドビンテージNEOの赤いモデルのみだ。

Posted at 2012/07/07 22:55:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 乗りたかった車 | クルマ

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