今日は連チャンで語りますぞ(爆
いすゞの車は免許取る前から気になっていたメーカーだった。
特に、ラリーの匂いがする車が大好きな私にとってはツボな車、それがジェミニだった。
高校3年の時にアルバイトしていた函館港にあったロシア人向けの中古車店で、初めて触ったのが
真っ赤な1986年式JT150ジェミニ・イルムシャー・ターボ・セダンだった。
雑誌の広告で西ドイツ(当時)の名門イルムシャーでチューニングされたモデルと紹介され、モモのステアリング・レカロシートを標準装備した当時唯一の日本車だった。
初めて乗り込んだ時、カッコイイと思ったが、程度は良かったものの走行距離は10万キロを超え、7年落ちで当時はよくある「激安低年式車」の一つでしかなかった。
所長(てか、俺と二人きりだが)に「欲しいな」と話すと「免許取れるの来年だろ?それまで置いておけないよ」と笑って話した。
「いいよ、そんな車、これから幾らでも入ってくるから。」
その車は、後日、日本人の若者が20万で買い取って行った。
そしてジェミニが大量に入庫したものの、殆どC/CグレードのAT車、若しくはディーゼルで、函館でイルムシャーと出会う機会は二度と無かった。
「イルムシャー、良かったなあ・・。」と一言漏らすと所長が衝撃的な事を話した。
「あんなもの、買わなくて正解だぞ?いすゞは乗用車の生産止めたから今後部品の供給に困るぞ。」
そんな馬鹿な?1994年の事だった。
当時はいすゞ・ジェミニはフランス・ロケでオシャレかつ巧みなカースタントを駆使したCMで人気で、台数もそこそこ売れてた人気車の筈??
帰りに慌てて自転車で駅近くのいすゞ・ディーラーに行くと、そこのガラスのショールームは閑散とし、誇らしげに並べてあった新車のJT191型ジェミニは無くなっていた。
閉店間際のディーラーにお邪魔した。「いすゞはもう乗用車作らないんですか?」
中年の営業マンが答えた。「うん、だから展示車のZZとイルムシャーはすぐに売れてしまったね。困るのが低グレードの在庫車なんだけど、君は要らないよね?」と苦笑いした。
カタログも皆駆け込み需要で1冊も残っていなかった。
所長は、かつて若い頃、生産中止も知らずに日野コンテッサを新車で購入。
1966年の時だった。
買って一年もしないうちに、ちょっとした部品も出て来なくなり、詐欺にあった気分だと憤慨していた。
その当時の思いと今回のいすゞ乗用車撤退がラップしたのだろう。
再びジェミニに出会ったのが1996年。
JT191・ZZハンドリングByロータス。
1990年の新車当時に「素晴らしいロータス・チューンドのハンドリングにロータスにも供給された名機4XE1型1600ccDOHCエンジンの官能的なノイズ、上品なBBSホイール」
目の前にあった6年落ちのタマ。程度はそこそこ。当時は普通の中古車だった。
だが、残念ながら学生という事でローンは通らず、保証人も、三菱系だった父が許さず、あえなく没。
肩を落としてその店を去ろうとしたその時、店員さんがこう話した。
「これから持つの大変だよ?6年落ちで生産終了2年のくせに、バンパーすら出ないんだから。お客さんでそれで泣かされた人もいるし。もう忘れなよ。」
今、ヴィヴィオに純正BBSホイルを履くと、その時のJT191を思い出す。
一度は体験したかった。いすゞマジック。
Posted at 2012/07/12 22:29:53 | |
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