• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ジムねこのブログ一覧

2016年01月31日 イイね!

ポール&どん兵衛

タイトルは適当です(^_^;)

歴史が苦手な人でも「本能寺の変」くらいは何となく知っておられるかと思います。
実は私も子供の頃から歴史が大の苦手なひとり、というか得意な科目などひとつもありませんでしたが…
特に戦国時代の人物って似たような名前ばかりだし名前も変わったりもするので、もう誰が誰やら…と、まるでバカ丸出しですなー(汗)
そんな私も歳のせいか、それとも単に大河ドラマ『真田丸』などに影響されただけのミーハーなのか、近頃なんだか妙にこの戦国時代に興味を抱くようになりました。

私が生まれ育った魚津市という小さな街には、この戦国時代に魚津城がありました。
そして「魚津城の戦い」と呼ばれる大きな出来事が起きたのです。
余程の歴史好きでなければ知らないかもしれません。
自分が生まれ育った土地で起こった戦であり、その展開や結末に胸を打たれたことから、簡単に紹介したいと思います。


『魚津城の戦い』

魚津城の戦い(うおづじょうのたたかい)は、天正10年(1582年)に行われた柴田勝家を総大将とする織田信長軍と上杉景勝軍との戦い。上杉家(米沢藩)中条家文書・魚津在城衆12名連署書状を根拠とする 。

上杉氏と織田氏は甲斐武田氏や相模後北条氏に対して同盟関係にあったが天正4年(1576年)に織田氏の当敵である毛利氏のもとに身を寄せていた将軍足利義昭が反信長勢力を糾合すると上杉謙信は同じく織田氏の当敵である本願寺と和睦し、同盟は手切となり敵対関係に入った。天正6年に謙信が死去すると上杉家では御館の乱を経て上杉景勝が当主となり、景勝は信長の当敵である甲斐武田氏と同盟し(甲越同盟)、上杉・織田氏は引き続き敵対関係となった。

謙信死後、織田信長は北陸地方の支配を目論んだとされ、天正9年(1581年)に起こった荒川の合戦以後は、事実上、織田方に仕えているが上杉方に内通していた願海寺城主・寺崎盛永、木舟城主・石黒成綱などが信長によって次々と粛清され、北陸地方における織田氏方の基盤が作られていった。

天正10年(1582年)2月に織田勢は甲斐武田氏を滅ぼし、同年3月に織田軍は魚津城を囲んだが、背後で小島職鎮が上杉景勝と手を組み、神保長住の富山城を急襲し城を乗っ取ったため、天正10年(1582年)3月11日に柴田勝家・佐々成政・前田利家・佐久間盛政は魚津攻めを中止し富山城を攻めさせ奪還した。その後4万ともいわれる織田軍は魚津城への攻撃を再開し、上杉氏も3800ともいう兵を挙げ立てこもった。

包囲された上杉軍部将の中条景泰はすぐに上杉景勝に救援を求めるが、越後国に接する信濃国及び上野国には、武田氏を滅亡させた織田軍がまだ駐屯しており、さらに越後・新発田城主の新発田重家が景勝の領内侵攻の姿勢をとったため兵を出せなかった。その代わり能登国の諸将、および赤田城主斎藤朝信や松倉城主上条政繁を派遣した。そして景勝は天正10年(1582年)5月4日に、自ら軍勢を率い春日山城を出発、5月19日には魚津城東側の天神山城に入り後詰の陣を張った。一方織田軍は5月6日に二の丸を占拠したため、景勝は戦を仕掛けられず、信濃国・海津城の森長可や上野国・厩橋城の滝川一益が越後侵入の態勢に入ったため、5月27日に退陣を決断した。その後、上杉軍は篭城戦を展開し両軍が決死の攻防戦を繰り広げたが、開戦から3ヶ月後の6月3日に落城を悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資・吉江資堅・寺島長資・蓼沼泰重・安部政吉・石口広宗・若林家長・亀田長乗・藤丸勝俊・中条景泰・竹俣慶綱ら上杉方の守将13人が自刃して果て落城、織田軍が勝利した。

景勝が撤退した後、上杉方は落城が近い事を悟った守将13人が自刃する際、自分の耳に穴を開けて、自分の名前を書いた木札を全員で結び自刃したという。  【Wikipediaより】


6月3日に落城…つまり「本能寺の変」が起きた翌日だったのです。
魚津城を攻めていた織田軍に信長の死が知らされたのは6月4日~5日ともいわれ、織田軍の将兵たちは大慌てで撤退していったらしい。

籠城する上杉軍がもう数日持ち堪えることができたならば…


この「魚津城の戦い」での上杉方についてよく述べられるのは、すべての将兵が最後まで戦い抜いたことです。
籠城戦では裏切りの発生によって内側から崩壊していくことが多いのですが、魚津城将は結束が固く、上杉の誇りをもって立派に戦いたのです。
「魚津城の戦い」における上杉方の奮戦は、織田軍内でも称えられたそうな。


魚津城は松倉城の支城。この付近には平野部が少なく、越中・越後を往来するためには必ず通らなければならない地であり、上杉氏にとって越中進出のための侵攻の拠点であり、また敵軍の越後進入を防ぐ防衛の拠点でもあったようです。

奥のほうの高台に画かれているのが上杉景勝が後詰の陣を張った天神山城なのでしょう。

ちなみに現在、魚津城や天神山城の城は残っておらず、城跡があるだけ。
これは雪が降る前に訪れたときの写真です。
魚津城があった場所は小学校の敷地となってます。


正確に調べたわけではないですが、魚津城跡から天神山城跡までは距離にして約5キロ、クルマで15分程度でしょうか。
当時、本丸からは魚津城が見えたのだと思います。


そういう時代だったとはいえ、領地支配や勢力争いによって多くの兵士たちが死んでいったことを想うと、やはり現実はドラマの世界とは違う。
いっそのこと、綱引きで決着をつけちゃえば…なんて考えたからだろうか、無性にこのアルバムが聴きたくなり、ネットでCDを購入しちゃいました。

『タッグ・オブ・ウォー』 (Tug of War)

1982年に発表されたポール・マッカートニーのアルバム。
当時は友達が持ってたLPレコードをカセットテープに録音して聴きまくってました。
この頃のアルバムはどれも46分テープに収めるため、今時のものに比べると時間がすごく短い。


私は全てのアルバムを聴いたわけではありませんが、これがポールのソロアルバムの最高傑作だという人が多いです。

アルバムのタイトル曲である『タッグ・オブ・ウォー』
イントロには実際に行われた綱引き大会での決勝音声があしらわれています。



人生を綱引きに例え「僕等はお互いを負かしてやろうと思っていたけど、手を離せば全てが滅茶苦茶になってしまう。でも、来るべき時代には、僕等はそれぞれ違ったドラムが打ち出すビートに乗って踊っているだろう」と、現状と将来への希望を歌っている。米誌『ローリング・ストーン』はこの曲を、「ポールにとっての(ジョン・レノンの)イマジン」と評している。  【Wikipediaより】


この長文を書いてるうちに(って、コピペばかりですが…)お腹が空いてきたので「どん兵衛」を食べました。
で、やってみました。少し前に話題になってた…

『10分どん兵衛』


メーカーの日清食品も公認!


どれどれ…


美味しい。これはアリだ!
オヤジにはこれくらいがちょうどイイ☆
興味ある方は是非お試しくださいませ。(ただしクレームは受け付けません)


って、いったい何のブログだったのだろうか…?


Posted at 2016/01/31 18:20:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2016年01月26日 イイね!

雪かき日和

雪かき日和冬型の気圧配置は緩み、今日は青空が広がる絶好の スノドラ 雪かき日和となりました。
自宅前の雪かきをしたあと、無人となっている実家の雪かきをしに行きました。
この数日間、雪かきばかりで筋肉痛と腰痛になりそう (^▽^;)

クルマを走らせているとあちこちで除雪作業を行ってますが道はもうガタガタ…
ヘタなダートよか跳ねまくる状態でして、でもジムニーだとなんだか妙に楽しかったりもします ヽ(^◇^*)/


実家の雪かきを終えると高台にある運動公園に行ってみました。



白と青のコントラストが気持ちイイ♪



遠くに能登半島が見えます。



スノボが滑った跡だろうか?



雪だるま~



富山では貴重な冬の晴れ間でした (o^∇^o)ノ



ではまた☆
Posted at 2016/01/26 19:51:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2016年01月21日 イイね!

雪遊びはリバーサイド

雪遊びはリバーサイド強い冬型の気圧配置も緩み、今日は時折晴れ間が広がる天気となりました。
滅多に雪が降らない地域で大雪となりましたが、雪国であるはずのここ富山においては画像のように「な~ん、積もらんだちゃ」なのです。

積雪で殆どの林道が通行止めとなる期間、近場で手軽に雪と戯れる場所として私がよく行くのが黒部川の河川敷。
この冬初めて行ってみました。

黒部川は富山県富山市と長野県大町市の境にある鷲羽岳にその源を発し、3000m級の山々が連なる立山連峰と後立山連峰の間に黒部峡谷を刻みながら流れ下っていきます。
山地を抜けると黒部市愛本を扇頂とする広大な扇状地を北西に流下し、途中、左岸の黒部市、右岸の入善町を経て富山湾に注ぐ、流域面積682km2、流路延長85kmの日本屈指の急流河川です。  【国土交通省HPより】

山と海と川と田んぼと「YKK」しかありません(^_^;)


もっと積もっているかと期待してたのですが…










上流のほうへ向かって進みましたが積雪量は変わらないなあ…








愛本橋が見えてきました。ここでUターンとなります。


黒部川の本格的な架橋は「愛本刎橋」に始まります。寛文2年(1662)、黒部川が一番狭くなっている場所―愛本―にかけられました。刎橋とよばれるこの橋は、橋脚が1本もないのが特徴です。川の両方の岸から、刎木(はねぎ)と呼ばれる材木を差し出し、その先をつなぎ合わせてつくった橋です。その形が珍しく、美しい姿だったので、山口県の錦帯橋(きんたいきょう)、山梨県の猿橋(さるはし)とともに、日本三奇橋の1つとして有名です。  【黒部市HPより】

【文久3年(1863)に架橋された愛本刎橋。江戸時代以降、計8回も架け替えられました。この写真は最後の愛本刎橋】


では下流へと向かいます。


ずっと前からポツンと置いてあるコレはいったいナニ?
単なるオブジェ?それとも昔、漁で使われてたやぐらみたいなモノだろうか。




雪は少なかったけど気がつけば3時間近くも河川敷を徘徊してました(^_^;)


おしまい
Posted at 2016/01/21 21:52:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2016年01月17日 イイね!

おすそ分け

おすそ分けもう1月半ばだというのに今季まだ自宅周辺に雪が積もったことがありません。
まさか一度も雪かきをしないまま春になってしまうのか?
でも山間部などでは積雪があるみたいなので、青空も覗いてた午前中、偵察に行ってみました。

場所はいつもの牧場で、自宅からは20分ほどしか掛かりません。ここにも雪が無ければまた別の場所を探し求めるつもりでした。


雪ありますね~♪ しかも除雪されていない道も(*゚▽゚*)


ここはワタシがワダチをつくりますヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ


積雪は少ないけどヴァージンスノーは気持ちイイな~♪


ふははは┗( ̄▽ ̄;)┓=3=3=3=3


ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛ ふははは
このあと何往復もしたのは言うまでもありません。






牧場の奥にある林道へ行ってみました。
この道は除雪されないため例年だと大量の積雪で通行不可なのですが、今年は積雪が少ないことからクルマが進入してるようでして立派な轍ができてました。


こいつはラッキー♪ 私もおすそ分けを頂戴しますヽ(^◇^*)/ ワーイ




この時季になると、もう少し車高を上げたくなります。




先へ進むにつれて積雪が深くなってきました。


轍はまだ奥へと続いてましたが、更に積雪が深くなればスタックしそうなので、この分岐点でUターンすることにしました。






タイヤが半分くらい隠れるような積雪量。 轍が無かったら無理かも…


林道で見かけたクルマは四駆のオフロード車ばかり。 まあ当然ですね(*^・ェ・)ノ コンチャ♪


元々は面白味に欠ける舗装林道なのですが、この積雪でスノートレッキングしてる人やスノーモービルで走る人までいたりして…冬季のほうが人が来るのですね、この林道ヽ(^。^)ノ


おしまい
Posted at 2016/01/17 16:53:01 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2016年01月07日 イイね!

雪とラーメン

雪とラーメン雪がありません。
降らないので当然ですが…
ならば雪がある場所へ行くしかない。
じゃあ何処に行こうか?

スキー場がある場所なら…と思いつつも県内は雪不足で今季まだ営業できていないスキー場がいくつもある状態です。
所要時間と積雪状況から新潟県糸魚川市にあるシャルマン火打スキー場へ行ってみることにしました。

R8からr246へ入り、スキー場を目指します。途中からイッキに雪の世界となりました。


これだけまとまった雪を見るのは今シーズン初めて。


除雪されてますので路面の積雪は少ないです。


スキー場に到着。自宅から下道でも2時間かからないかと。
目の前にセンターハウス、その向こうにゲレンデがあるのですが、雪と霧で見えません。


明け方に除雪してるのでしょうが、駐車場は既に雪だらけ。
ここのスキー場にしても雪不足だったみたいでして、ようやくホッとしていることでしょう。


天気が悪いので視界があるうちに下山することにしました。


落石注意じゃなくて、なだれ注意。でもどう注意すればいいのかしら?


モノトーン以外の色はありません。


再びr246を走ってR8へ戻る途中、もうひとつの目的を果たすための場所に立ち寄ります。
「割烹わたせ」 実はここ、お昼の時間帯だけラーメン店になるらしく、そのラーメンがすごく美味しいとの評判なのです。ご主人が横浜の家系で修行された方だとか。
こんな辺鄙な場所にある「幻のラーメン店」
それと私が興味を抱いたのはお店の変わったシステム?
ここでラーメンを食べたいときはまずヤマザキショップに入り、そこのレジで注文します。


そして会計後、Yショップを出たら隣にある別棟の玄関から入って階段を上り、2階にある広間でラーメンを食べるのです…ということをネットで調べてあったので準備は万全。
むしろラーメンの味よか、こっちのほうが興味津々でして。

ところが玄関にあるはずの暖簾が無いぞ!もしかして定休日なのか?
Yショップに入って聞いてみようと思ったが、そのYショップすら店内が薄暗くて営業してるのかわからないような状態でなんだか入りづらい。


そうしてると、お向かいの住人らしき方を見かけたので、そのキレイな女性に聞いてみることに。
「すみません(決して怪しい者ではございません…と心の声)、こちらのラーメン店、今日はやっておられないのでしょうか?」
するとその女性は「青海のほうに店を出されたので、もうここではラーメンをやってないんですよ」と。

ガ━━(゚Д゚;)━━ン

女性はジムニーのナンバープレートを見て「あら、わざわざ富山から来られたの。ご苦労様です」と労ってくれたあと、この辺りにある美味しいラーメン店の紹介までしてくれました。
が、青海なら富山へ帰る途中に通るので、その新しい店を目指すことにしました。
その店もお昼の時間帯しかやってないかもしれないと言われたので急ぎます!

ありました~♪

「めん屋一丁」 北陸新幹線高架下にありました。
営業時間は昼が午前11時~午後2時、夜が午後5時~午後8時30分でして、到着したのは昼の営業終了間際のギリギリセーフ。


初めてだし、ここはオーソドックスにラーメン並盛を注文。


この時間、客は私一人だけだったのでスグにラーメンが運ばれてきました。
豚骨醤油のスープは他の家系よかマイルドな印象であり、私はこちらのほうが好きです。


ふーっ、美味かった~♪


次回はねぎラーメンだな (*^-^)
Posted at 2016/01/07 19:51:04 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「海沿いドライブ http://cvw.jp/b/1179770/46426729/
何シテル?   09/29 23:13
ジムニー購入を機会に「みんカラ」デビューしました。 派手にオフロードを走るわけでもなく、派手にイジるわけでもなく、地味にジムニーライフを楽しんでおります。 ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2016/1 >>

      12
3456 789
10111213141516
17181920 212223
2425 2627282930
31      

リンク・クリップ

愛車と出会って13年! 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/07/09 20:35:50
復活 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/06/15 01:10:38
いよいよ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2018/06/01 06:11:12

愛車一覧

スズキ ジムニー スズキ ジムニー
2011年7月に念願だったジムニーを購入しました。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation