私にとっての音楽的原点、それは「スペクトラム」。
70年代後半、スーパーアイドルだったキャンディーズのバックバンドとして活躍したミュージシャン達が結成したグループがスペクトラムである。
サザンオールスターズの兄弟的な存在としてアミューズからデビューしたワケだが、とにかくあらゆる面で当時の日本人は度胆を抜かれたのだ。
既にミュージシャンとして確固たる実力を持つメンバーが揃っているだけでなく、彼等が作り出したサウンドは、盆踊りの頭打ちが遺伝子に組み込まれているその頃の日本人には絶対理解出来ないと言わしめた16ビートによるファンキーなモノだった。
トランペットの歯切れの良いアンサンブル、ブンブン唸るベースライン、ひたすら細かいビートを刻むギター、そしてまだ馴染みの薄いファルセットヴォーカルを武器に、カタカナ表記でさっぱり意味のわからない歌詞を歌っているというヘンな音楽だったのだ。
その上、耳から入ってくる情報がおかしいだけでなく、視覚的にも相当ヘンだった。
メンバーの半分がヒゲ面で、しかも西洋の甲冑を思わせる兜とマントを身に纏い、歌い、踊り、更には楽器までも回してみせた・・・。
演奏力は非常に高いのに、何故あんな馬鹿みたいなことをしなくちゃならないのか、と当時の音楽評論家達からは相当言われたらしいが、そのエンターティメント性を日本でいち早く音楽に取り入れたステージは新しい何かを求めていた一部の若者達に強く支持されて行った。
活動開始前から温めていたコンセプトを一気に放出する様にもの凄い早いペースで楽曲を制作し、矢継ぎ早に発表したシングルで次第に認知度を広めて行き、お茶の間の人気アーティストにのし上がるまでに至った。
活動期間わずか2年の間にアルバム6枚を出し、「やれることは全てやった」と潔く解散を決意する。
80年代初頭、高度成長期も安定し少しづつ余裕が出始めた日本人が彼等のやっていることにようやく追い付いたかな?と思われた頃、スペクトラムはあまりにも早過ぎる勢いで駆け抜けていなくなってしまった。
中心人物だった新田一郎をはじめ、他のメンバーもミージシャン、プロデューサー、ディレクター等として、現在でも日本の音楽シーンで活躍している者も多い。
そして彼等は伝説になった・・・。
な~んて、エラそうなこと書いてますが、私がソロとして活動をしていた新田一郎さんの音楽に触れたのはもう少し後で、遡る様にスペクトラムを聴くことになったので実のところ当時の活躍は殆ど記憶していない(爆)。
既にアルバムやシングルも普通に売っていない状況で、中古レコード屋で探して手に入れるしかなかったんだよねェ・・・。
新田一郎さんのブラスロックを聴いていたからすんなりスペクトラムの音楽には入っていけたし、本物のミュージシャン達が真剣に馬鹿馬鹿しいことやってるんだってことは理解出来たし好きな世界だった。
スペクトラムを聴いていた頃、ほぼ同時に聖飢魔Ⅱも聴き始めるので、音楽にエンターティメント的要素を取り入れたサウンドが好きになって行くのも当然と言えば当然と言える。
また、今でも自分が16ビートのカッティングばかりやっていたり、ベースのスラッピング奏法とか聴くと最初はやっぱりベーシストになりたかったと思えるのはスペクトラムを聴いていたからだなと再確認出来る。
時代は急速にデジタル化し音楽業界もシンセサイザーの導入で彼等の様なアナログサウンドはナリを潜め、トランペットも機械で代用出来る悲しい状況が訪れ、新田一郎自身もミュージシャンとしての活動を休止してしまう・・・。
ところが、MTV等が普及し始め、ビジュアルやパフォーマンスにおけるエンターティメント性は強くなっていく傾向にあり、黒人音楽であるR&Bを取り入れたファンキーな音楽も多く輩出されるようになってきた。
その彼等が口々にスペクトラムの影響を各所で発言するようになり再認識される機会も増え、レコードがCDに移り代わって久しい90年代初頭にようやく彼等の音源がCDで聴ける様になる。
勿論、全部購入して聴きまくったよ。
少しづつではあるがその頃またブラスの入ったアレンジが見直される様になり始めていて、なんで今スペクトラムがいないんだと悔しさを噛み締めながらね・・・。
それから既に20年以上の月日が流れた2013年のこの春、スペクトラムの音源が再びCDとなって発売された。
実は以前の商品は待ち望んでいたファンにとっては嬉しいモノではあったが音質や収録内容に不満を残した状態でのCD化であり、今回はその点を踏まえての再発売となるニュースが飛び込んで来てファンの間でも話題となっていた。
・スペクトラム
・オプティカル・サンライズ
・タイム・ブレイク
・セカンド・ナビゲーション
ラインナップは上記4作品。
音質的にはデジタルリマスターを施し、幾重にも重なる音の一つ一つの輪郭がハッキリと浮かび上がるモノとなり、シングルテイク等のアルバム未収録の楽曲もボーナストラックとしてキチンと収められている点がファンを狂喜させる。
ただ残念なことに遊びに遊びまくった5枚目とライヴ音源の6枚目の再CD化は見送られてしまっており、素直に手放しで喜べないところがまた彼等らしいと言えば彼等らしいのだが・・・。
その点を補うべく、ソロとして活躍し始めた新田一郎の1stアルバムも同様の仕様で再発売となっているので、我慢(?)かな、と。
何はともあれ、「ガンダム」等のアニメ作品や「太陽にほえろ!」の劇判音楽しか聴いていなかった私にとって「音楽とはなんぞや」というモノを教えてくれたスペクトラムと新田一郎の音楽がまた世の中に出てきたということは素直に嬉しい話題であり、まさかその頃自分が楽器を扱う様になるとは思ってみなかったけれども、もう少し違った観点で彼等の音楽に耳を傾けられるというのはなんとも刺激的なことである。
唯一無二というか、その特異性のあるサウンドは今聴いても凄いとしか言いようがない。
収録時間やジャケットアートワークからもわかるように、洋楽を強く意識したアルバム構成などもそれに拍車を掛ける。
曲間が著しく無かったり、シングルとアルバムではテイクを変えてあったりと今では当たり前のことをこの時点でやっているし、ウチワ受けのネタとかふんだんに入っていたりする。
早過ぎたんだよね、やっぱり。
3枚目のアルバムでブラスロックをオーケストレーションするという当初の目的を実現させて、次の段階に入ろうという段階で様々な事情により解散・・・。
その解散から既に30年。
実はスペクトラムのメンバーは現在でも存命である為(笑)活動再開を望む声も多い。
しかしながら、中心人物である新田一郎本人が音楽業界を離れて久しく、頑なにそれを拒否し続けている現状なのだ。
「スペクトラムありきの自分の音楽だった」と懐述している彼らしく、オリジナルのメンバー全員が揃っての再結成という彼の頭の中にある構想に決着が付かない限りそれはあり得ない。
ファンも重々それをわかっており、プロアマ問わず多くの彼等のフォロワー達が作り出すサウンドを楽しみながらその時を待っている。
中には自分が生まれる前の音楽であるにも関わらず、影響を受けてコピーバンドを始めている若い連中もいる位だ。
どんだけ長い月日が流れようとも、日本の音楽の歴史に刻まれているスペクトラムの残したモノは色褪せることはなく、今でも生き続けているワケだ。
勿論、私の中にもね。
学生時代、出席番号(?)が隣ということで知り合ったY・O君が偶然にもスペクトラムの大ファンだった。
こんなことがあるのかってことでお互い驚き、喜んだ日々。
卒業を間近に控えた頃からお互い距離を置き、あまり話さなくなっていったけど。
前回のCD化の際、その翌年に届いた年賀状には「買ったぜ!」と書いてあったっけ。
その彼とももう十何年会っていないが、きっと彼も今回の再CD化のニュースを知って喜んでいると思う。
これを機に私のことを同じ様に思い出してくれるだろうか・・・?
そして、今でもあの頃とちっとも変わっていない私をどう思うのか・・・?。
当時と同じ耳のまま、彼等の音楽を楽しんでいるのだろうか・・・?。
「スペクトラム」という単語を耳にする度に私の中に浮かび上がるY・O君の顔。
もしスペクトラムが再結成してライヴをするなんてことがあったら、会場で会おうぜ。
ちょっと音楽観とは違う方向に行っちゃったけど、この“みんカラ”ブログを始めてからいつかはキチンとスペクトラムのこと記しておきたいと思っていたので良い機会を得られたよ。