RMS-108 マラサイ
グリプス戦役勃発当初、エゥーゴは主力MSとしてRGM-179ジムII程度しか保有しておらず、ティターンズに対抗しうる主力MSの開発をアナハイム・エレクトロニクス社に要請した。それをうけたアナハイムは、マラサイとネモの開発に着手。中でもこのマラサイの開発は旧ジオニック系の技術者を中心に行われたため、ジオン系MSの意匠を強く残している。連邦軍のRMS-106ハイザックをベースとし、ジェネレーター出力を強化し、さらにエゥーゴ側から供与されたガンダリウムγを採用するなどの改良が進められた。本機は試作型 (RX-107) のテストを経て型式番号MSA-002を与えられ、発注主であるエゥーゴに納入予定であった。しかしティターンズからグリプスにおける「ガンダムMk-II強奪事件」への関与を疑われ、その追及をかわすため MSA-003 ネモ より先に完成していた本機はその発注主を秘匿しながらティターンズに譲渡されることとなった。その後正式に型式番号が割り振られ、グラナダ開発基地が8番目に開発した機体として量産が開始された。この機体は特にハイザック隊の指揮官機として配備されていった。頭部はザク系の意匠に加え耐弾性の強化が図られ大型の装甲で覆われている。また、アンテナの大型化により通信機能も向上している。ハイザックでは外装式の脚部スラスターユニットは内蔵式に改められた。左肩のスパイクシールドは大型化、右肩のシールドも大型化し、2枚で構成され基部で折りたたむ事も可能。頭部にはバルカン砲を2門有する。シールド裏面にはビームサーベル2基を装備し、ハイザックと同型のビームライフルを携帯する。 本機はハイザックでは見送られたジェネレーター出力の向上に成功しており、ビーム兵器の2基同時運用が可能となっている。
MS-09F/TROP ドムトローペン
ジオン公国軍の量産型陸戦用重モビルスーツ MS-09 ドムの熱帯戦用改装タイプ。トロピカルテストタイプをベースに、さらに砂漠・熱帯などの局地戦用に開発された機体で、ホバーシステムの効率化や防塵機能の向上を始めとする足回りの強化、装甲の大部分に対し耐弾性を高める意図でよりブロック形状に近づけるなどの工夫が見て取れる。 設計母機である MS-09 ドム は脚部に内蔵されたホバーにより高速移動が可能であり、重装甲のわりに高機動である。また、十文字状のモノアイレールを利用している頭部も特徴的。ドムを宇宙用に改造したMS-09R リック・ドムも存在し、MS-14 ゲルググが実戦配備されるまでの間は宇宙での主力となった。ツィマッド社はグフをベースにしたグフ試作実験機(MS-07C-5)を経てプロトタイプドム(YMS-09)を試作し、脚部に熱核ジェットエンジンによるホバーユニットを有し、高速移動する事で陸戦用モビルスーツとしての機動力を格段に向上させることで新型開発の方向性が決定された。本機のテスト結果は非常に良好で、空力や耐弾性の向上を目的とした外装の改良やエネルギー経路(動力パイプ)の変更を施され、直ちにドムとして正式採用された。ドムはジオン本国で先行して量産され、キャリフォルニア・ベースで本格的に量産された。実戦配備されたドムは従来の倍以上の移動力を存分に生かし、ザクの数倍の戦果を挙げた。しかし一方では生産ラインの確立に時間を要し、戦線への配備が遅れ戦力としては十分に貢献できなかったとされる。またその運用方法から脚部の関節疲労が少なく、メンテナンス面で歓迎された。また、MS-09Rはそれぞれの局面に応じた改造機が多数生まれることとなる。大戦後期にグラナダの統合整備計画によって生産されたMS-09R-2 リック・ドムⅡ(ツヴァイ)は後のAMX-009 ドライセンの設計母体となった機体である。武装は360mmジャイアント・バズを主に装備。近接兵装としてヒート・サーベルを用い、背部ラックには試作型では水平となっていたものを斜めに装着する。固定兵装として、胸部に拡散ビーム砲が内蔵されているが出力が弱く、拡散放射による目くらましに用いられた。MS-09(R)は各部に施された装甲が厚く、基本的にシールドを持たない。
MSM-10 ゾック
ジオン公国軍の水陸両用試作型MS。攻撃力に主眼を置いて開発された機体で、実質的にはMSとMAとの中間的な存在である。反応炉の大幅な出力向上によって前後に4門ずつ、頭部に1門のメガ粒子砲を装備し、装甲はジオン軍MSの中でも最強クラスである。それに伴って全備重量は200tを軽く越えてしまい、陸上での移動はホバー走行によって行う。従って脚部は可動せず、腕部もほぼバランサーである。更にその機動性の低さを補う為、前後対象という特異な形状を取った。最早機動兵器とは言い難く、その役割は上陸部隊を支援する為の移動砲台に近い。ジャブロー襲撃作戦に試作機が投入され、基地の秘密ハッチを発見するという殊勲を上げたが、その後の戦闘で撃破されている。主なパイロットはボラスキニフ