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アスロックのブログ一覧

2013年04月17日 イイね!

第六潜水艇事故と鯛乃宮神社

この記事は、第六潜水艇の遭難について書いています。

もうすぐGWですが、連休に広島県呉市を観光にいかれる方もいらっしゃると思います。
もしよければここを訪れてはいかがでしょう?

鯛乃宮神社です。

呉市西三津田町にある小さな神社なのですが、ここにはひとつの慰霊碑が建っています。

高さ19メートルの塔です。
これは何でしょう?

これは明治43年4月15日に発生した第六潜水艇事故の慰霊碑です。

日本は潜水艦の能力は世界トップクラスの技術をもっています。
先の大戦でも潜水空母と呼ばれる伊号四〇〇型等、高い技術力を持っていました。
そのさらに前、まさに日本が潜水艦事業に着手した黎明期です。
当時はまだ潜水艦技術も運用も手探りの状態でした。

この時期外国でも似たような潜水艇事故は発生しています。
引き揚げてみるとわれ先にと逃げようと乱闘したりパニックになっていたり、折り重なるような状態で亡くなっていたようです。
無理もありません。

潜水艇は海の中に潜ります。
つまり密室ということになります。
脱出ができない状態ということは段々酸素がなくなっていき、しかも有毒なガスが充満していくわけです。
まさに絶望的な状況だったでしょう。



大日本帝国海軍の第六潜水艇は潜航実験の訓練のために岩国から広島湾に向けて出航しました。
このとき潜水艇に故障が発生して海底に沈降、そこから脱出ができなくなるという事故が発生してしまいました。
薄れゆく意識と苦しさ、想像できないほどの苦痛だったに違いありません。
第六潜水艇も殉職された乗組員は外国での事例のような状態だったと思われました。
引き揚げを行い、ハッチを開けてみると・・・・
「見事!」と言いながら担当士官は涙を流して泣いたそうです。

殉職されたのは佐久間艇長をはじめ14名。
14名全員が持ち場につくか、なんとか復旧できないかと最期の最期まで任務をまっとうしていたそうです。
佐久間艇長は事故の状況を詳細に記し、また薄れゆく意識の中で部下と艇を失うことになってしまったことを詫び、この事故が後の潜水艦の発展を妨げることがないことを希望し、そして乗組員の家族が困窮しないよう遺書に記しています。



この事故が知られると日本中で話題になるばかりか、世界中からすばらしい潜水艦乗りだと称えられ、弔電が届いたといわれています。
各国の潜水艦教育でもこの事故は教えられ語り継がれています。


毎年4月15日に慰霊と追悼式典が今でも行われているようです。

この第六潜水艇事故の慰霊碑が呉市の西三津田町にある鯛乃宮神社です。
豊漁祈願のため、漁業関係者が建てた神社ですが、googleマップで探してもちょっとわかりづらい場所にあります。
駐車場もないのでちょっと不便かもしれませんが、呉に遊びに行くのでしたら是非訪れていただきたいと思います。


Posted at 2013/04/17 01:05:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 呉探索 | 日記
2012年06月07日 イイね!

そうだ呉に行こう1日目(5月2日)

ちょっと遅くなりましたが、GWに行った自分探しの旅2012GWです。

新幹線で広島に到着すると雨が降っていたため、当初予定していた宮島観光をとりやめて呉市にある海上保安大学校にある海上保安資料館に行きました。


海上保安大学校の海上保安資料館は土日旗日が閉館日なのでなかなか見学ができません。
やはり来てよかったですね(^^)

海上保安大学校までは吉浦駅からバスという手がありますが、バス停からかなりあるのでタクシーを使いました。
お金はかかりますがやはりタクシーは欠かせませんね。
吉浦には造船所がありますが、造船所のある風景はやはり我々艦船ファンにとってはオアシスですね。
ちなみに吉浦駅から呉駅の間に金比羅山公園がありますが、戦時中には海軍の対空機関銃が設置されていたそうです。


さて、いよいよ呉駅に到着です。
まずはホテルに荷物をあずけます。
今回もってきた荷物は海外旅行用スーツケース1個分近くもあってか~なり邪魔ですものね。
ホテルは駅から徒歩数分の場所です。


チェックインは午后3時からなのでそれまでは部屋に入ることはできません。
ということは・・・・
まぁ観光ですよね。

まず向かったところは

ではなく、


入船山記念館です。
呉は海軍の街といわれますが、終戦前までは呉に呉鎮守府がおかれていました。
その長官官舎を復元したものを中心に展示されているんですよ。


入り口から入るとこんな感じです。
雰囲気良いですね(^^)


入船山記念館のシンボルともいえる時計塔です。
これは呉海軍工廠の造機部庁舎の屋上に設置されていたもので、昭和46年に入船山に移設された後に昭和56年に復元されました。
時計塔の高さは10メートル。
風格ありますね。




番兵塔です。
歩哨につかってたんですね。
足元の石がすりへっていますが、この場所に昼夜問わず立っていたんでしょうね。



こちらは火薬庫です。
もともと高烏山砲台にあった火薬庫だったのを昭和42年に移築したもののようです。
高烏山には大東亜戦争時には12.7サンチ高角砲の砲台が設置されていましたが、現在は公園として整備されているようですね。


火薬庫らしく中では弾薬が展示されていました。
こちらは陸軍が使っていた九七式手りゅう弾です。
使用には安全ピンを抜いて筒状になってる部分を強く叩いて内部の導火線に引火させて投擲、4~5秒で爆発するようになっていたようです。




機関銃、機関砲、小銃の銃弾、さらに記念砲弾、陶器製の手りゅう弾です。
大東亜戦争末期になると物資が不足したため、手りゅう弾に使う鉄も不足してきました。
そこで陶器でケースを作った手りゅう弾が製造されましたが、鉄製に比べると破片効果が弱く威力も小さかったようです。



こちらは十式12サンチ高角砲の砲身です。
砲架工場跡の土中から発見されたものです。



この砲身は・・・・なんでしょう?
かなり古そうに見えます。



郷土館の中に貼ってあった呉市観光のポスターですが・・・
左側のものが妙に物々しく見えるのですが(^^;


入船山記念館のメイン展示になるのがこの呉鎮守府司令長官官舎です。



この建物は非常にユニークなんです。
英国風のハーフティンバ様式の外観をもつ洋館なのですが

入り口は純和風なんです。
洋館部と和館部からなってるんですね。
応接や執務を洋館部でおこない、住居が和館部となっていました。



ではあがってみましょうか。
平屋になってるんですがやはり和室は落ち着きますね。


洋館部への廊下です。
ガラっと雰囲気が変わるのが面白いです。
この官舎は明治25年から使用されましたが明治38年の芸予地震で崩壊したためその廃材の一部を使って建て直されました。



食堂です。
やはり鎮守府司令長官ともなれば応接も重要な仕事になります。
非常に格調高いつくりになっています。



こちらは客室になります。
この壁紙は金唐革紙とよばれるもので我が国の伝統工芸品で、和紙に金箔を貼り、打ち出して文様をつくるものです。
昭和中期には途絶えてしまった伝統技術ですが、入船山記念館でこの官舎を解体・復元する際に研究が行われて技術の復活に大きなきっかけになりました。
それでもこの金唐革紙を本格的に作れるのはほんの数名だけなんだそうです。



マンホールですが、ただのマンホールではありません。
海軍燃料タンク基地にあった水蓄式油槽です。
湧き出る地下水を利用した油槽で、穴を深く掘り地下水で満たしその上に重油を浮かべています。
重油の量にかかわらず液面が常に一定になるようになっているようです。
よく考えましたね・・・・・


この柱は要塞地帯標です。
軍港だった呉は超重要機密地帯でした。
そのため一般人の立ち入りを制限していました。
それを示すための石柱ですね。


歴史民族資料館です。
ここには金唐革紙が展示されています。


庭園です。
なんだか海軍時代の雰囲気がありますね。


休憩所です。
旧東郷邸ですね。
東郷平八郎が呉鎮守府参謀長として明治23年から24年に呉に在任中に住んだ住居の離れ座敷なんだそいうです。


さて、入船山記念館を一通り見学しました。
まだ時間はありますが、大和ミュージアムや鉄のくじら館を見学するにはちょっと時間が足りないそんな微妙な時間です。
となれば・・・・



呉港を見に行きましょう(笑)
大和ミュージアムの近くに第101掃海隊が置かれていますが、所属している掃海管制艇MCL-727”さくしま”とMCL-728”いえしま”が停泊していました。



海上自衛隊呉基地の支援船バースです。
数多くの支援船が停泊していますが、もう胸がときめきますね♪
曳船73号、89号、65号、91号、水中処分船4号、交通船2137号、2152号などが停泊していますね。


造船所の近くに桟橋中央ターミナルがある関係でタンカーの巨体を横にこのような風景を見ることができます。

さぁ、まだ時間がありますよ。
聖地にいきましょう。


潜水艦桟橋があります。
ということはここは・・・?


ここはパラダイスですか?(^^)
呉といえばやはり聖地、アレイからすこじまです。
日本で唯一間近で潜水艦を見ることができる公園として有名ですね。
何気に3タイプの潜水艦が並んでいますね。
”はるしお”型、”おやしお”型、”そうりゅう”型ですが、こうして並ぶとセイルの形がずいぶん違うことが判ります。


実にユニークな形をしていますね。
音響測定艦AOS-5202”はりま”です。
その奥にはあぶくま型護衛艦のDE-229”あぶくま”、DE-234”とね”がみえますね。


振り返って道路を挟んだところに赤レンガの倉庫が並んでいます。
今は民間企業が使用していますが、ここは呉海軍工廠の電気部関係の建物が並んでいました。
赤レンガは海軍の趣がありますね。


こちらは海軍時代に魚雷の陸揚げをしていたクレーンです。
今は稼働していませんが何十年という時を経てたたずむ姿は風格を感じますね。


アレイからすこじまに置かれていたモニュメント。
この大砲は実際に使われていたものなんでしょうか?



正岡子規の句碑ですね。
「陽炎に心許すな草枕」
日清戦争で従軍記者として仲間が出航する際に詠んだ句だそうです。


この聖地アレイからすこじまには結局2泊3日の滞在中、4回訪れることになりました(笑)
だって何度来てもいいんだもん。

このあとはさすがに疲れたのでホテルに戻って休みました。
夕食は海軍グルメを・・・といきたかったのですが、残念ながら有名どころがある場所はホテルからかなり離れていて、しかも混雑してるとのことだったのであきらめました。
食事はお約束のコンビニ弁当だお(^^)

といいうことで1日目がおわりました。
Posted at 2012/06/07 00:25:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 呉探索 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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