本当はであごすてぃーにの最終号70号に実機写真を載せるつもりだったのですが・・・
あんまりな出来だったのでやめました。
でも写真をスキャナで読んだものがいくつかあるのでそれをもってT-2ブルーの想い出を。

この1枚。
実はこれ、私が初めて行った航空祭で写したものです。
第1回エアフェスタ浜松なので1989年だったと思います。
当時小学6年生だったと思いますがとにかく衝撃的でした。
戦闘機などは図鑑で見たことはありましたが、それが目の前で轟音を残して飛んでいるわけです。
衝撃的なんてものじゃありませんでした。
当時はF-15やF-4もリモートではなく浜松基地から離陸して飛行展示を行い、地上展示機では米軍機が結構きてました。
そしてはじまるブルーインパルス。
驚きと衝撃で言葉を失いました。

何しろものすごい音とともにオレンジ色の炎を勢いよくふいて飛んでいくんですよ?
驚いたなんてもんじゃありません。
これはT-2ブルーインパルスだけの特徴で、他のアクロバット機にはないものです。
ブルーインパルスはスモークを引くわけですがそのスモークはスピンドル油という油を高温のエンジン排気に吹き付けて不完全燃焼させて発生させてるんです。
T-2はエンジンノズルのすぐ後ろにスモークオイル発生ノズルがあったわけですが、アフターバーナを使うとこのノズルが熱で溶けちゃうらしく、仕方なしにアフターバーナを使うときはスピンドル油を放出して熱の損傷を防いでいたようですね。
ところが高温に油を入れるので燃えて炎を引くわけです。

それがこのオレンジ色の炎。
インパクト抜群でした。
(ちなみに上の3枚は95年の浜松だったと思います)

オレンジ色の炎をひいて轟音で目の前から消え去ったとおもったら今度は「ヒャ~!」という音とともに赤、青、黄、緑、白の5色のスモークを引いて戻ってくるわけです。
轟音とともにものすごいスピードで5色のスモークを引くT-2はまさに「青い衝撃」の一言でした。
浜松はフライバイの浜松スペシャルではありましたが、一人の子供を航空機マニアに育てるには十分のきっかけでしたね。
(写真は93年の浜松)
この写真は今まで写した何万枚という写真の中で一番のお気に入りです。
いまだにこれを超えられる写真撮れませんね・・・

浜松基地はブルーインパルス発祥の地ということもあって、T-2になって松島がホームベースになってもブルーのファンは非常に多かったです。
最近こそ見ることがなくなりましたが、90年代にはブルーインパルスの帽子にブルーインパルスの自作ぬいぐるみやプラモを乗せている人が結構いて「名物」となっていました。
アクロのないフライバイとはいえ、スワンやピラミッドなど浜松でしか見ることの出来ない編隊航過をみることができました。
飛行展示が終わった後は4番機の垂直尾翼に赤い色がついてることもありました。
たぶん編隊で前にいる2番機の赤い色のスモーク(スピンドル油に顔料をまぜています)がついたんだろうななんて思いながら見事な編隊航過をみあげてました。
T-2ブルーインパルスが飛んでいたときは今ほど航空祭に人もいなかったので

このようにウォークダウンを見ることができました。
今では最前列は完全に埋まってて見ることができませんが、ウォークダウンもブルーインパルスの大切な科目だと思いますので一つ一つ見ていきたいですね。

私が高校で写真部に入って、高校で100-300の望遠レンズを手に入れるまでは主に地上展示がメインでした。
写真はたぶん90年の浜松だと思いますが、ここには2年後の事故で失われた機体が写っています。
なんだかとても複雑です・・・
とにかくT-2ブルーインパルスは事故とは切り離せない悲しさがありました。
地元のしかも公開展示中の事故だっただけにそれを生で見た人もやはり周囲にいましたし、今でもそれは言われ続けているのはあります。
91年の訓練中の事故は私が中学の頃で航空機ファンになっていた頃だったので大変ショッキングでした。
高校になると浜松だけでなく静浜にも航空祭をみにいくことになります。

写真は95年の静浜だったと思いますが、初めて見るブルーインパルスのアクロはほれぼれしました。
カリプソや巨大なデルタロールは見事の一言。
ますますブルーインパルスのファンになって行きました。
そしてわすれられないのが94年。

サンダーバーズとの競演です。
新幹線で東京まで行って、そこから夜行バスツアーで三沢までいきましたよ。

ちょっとガスっていましたがビシビシと難易度の高い科目をこなしていきました。
中でも上向き空中開花の後の4点交差は最高に好きな科目でしたね。
そんなT-2ブルーインパルスも95年でラストシーズンとなってしまいました。

これはそのときの浜松ですが、ローリングコンバットピッチではないですよね。
ピッチアンドランディングです。
ラストシーズンでさえもアクロができなかったのは残念でした。
それだけにT-4でアクロを浜松復活したときは歓喜しましたよ。
95年にラストシーズンを迎えたとはいえ、機体寿命がいくらかは残ってるわけで、所属していたT-2は各部隊に配備されました。

この#163もその1機。
岐阜基地の飛行開発実験団に配備されました。
ブルーインパルスの塗装にADTWマークをつけたちょっと不思議な状態でしたが

スモークを引いて飛んだときはうれしかったですね。

今ではT-2そのものが退役してしまい、もう二度とT-2ブルーインパルスを見ることができませんが、DVDやビデオで独特なエンジンサウンドをきくと懐かしく感じます。