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アスロックのブログ一覧

2015年03月01日 イイね!

明野駐屯地航空祭2014 その1

もうか~な~り遅くなったどころか年あけちゃいましたが、去る10月19日、三重県伊勢市にある陸上自衛隊明野駐屯地にて恒例の航空祭が行われました。

今回は駐屯地開設59周年の記念行事ではありますが、航空学校創立62周年でもあります。


陸上自衛隊明野駐屯地は戦前の大正9年に陸軍浜松飛行場に置かれていた射撃班が三重県の明野ケ原に移動して開設されたところからはじまります。
大正13年には明野陸軍飛行学校が発足しています。



今は記念館(資料館)になっているこの建物が陸軍飛行学校の将校集会所です。
この建物は当時から今まで現存しているんですね。
あの有名な加藤隼戦闘隊長が教官を務めていたそうです。
戦後は陸上自衛隊の航空学校が昭和30年に浜松から移動して陸上自衛隊明野駐屯地が開設されました。



この忠魂塔が明野の歴史を物語っています。
忠魂塔が建てられたのは昭和17年。
戦時中です。
明野陸軍飛行学校は戦闘機の教育、運用戦法の研究を行い陸軍航空隊に普及させ航空戦力の増強に大きく貢献しました。
同時に職務で殉職されたり国を護ろうと数多くの航空戦士が散華しています。
その方々の英霊を慰めるため建立されました。
戦後は荒廃していましたが昭和30年に陸上自衛隊の明野駐屯地が開設されると庭園として整備されています。
昭和46年には殉職された陸上自衛隊航空学校関係者の魂も合祀して今に至ります。
写真の横に写っている忠魂塔顕彰之誌にはこうしめくくられています。
「我が国の伝統と平和を護ることは、日本国民に課された最大の責務であることを肝に銘じ、先輩勇士の忠魂を顕彰し、ここにこの塔建立の由来と、その変遷を誌し、以って後世に伝える次第である」
国を護ることは並大抵の努力ではできません。
そのために数多くの犠牲の上に成り立っています。
刻まれた言葉の1文字1文字の持っている重さが伝わってきますね。
前日には忠魂塔前で慰霊祭も行われていたようです。



さぁはじまりました。
中部方面音楽隊が入場してきました。
中部方面音楽隊は東は北陸・東海・近畿・四国・中国の広い範囲を警備区域にもつ中部方面隊の直轄部隊で記念行事などで音楽演奏を行う部隊です。




まずはじめに祝賀飛行です。
航空自衛隊のT-4中等練習機が会場上空を航過していきます。
浜松基地の第1航空団第32教育飛行隊からの参加になります。




「エンジン一斉始動!」
記念行事の編隊飛行に参加する航空機がいっせいにエンジンを始動します。
異なるさまざまな機種、それもかなりの数の航空機のエンジンスタートは圧巻です。



AH-1S対戦車ヘリコプター

OH-1観測ヘリコプター


AH-64D戦闘ヘリコプター

UH-60JA多用途ヘリコプター

CH-47JA輸送ヘリコプター



編隊飛行を行うため次々と航空機が離陸していきます。
離陸していく航空機は実に23機!
瞬きする暇もなく次から次へと離陸が続きます。
多機種の離陸を同時に見ることができるのは
陸上自衛隊が保有するほとんどの種類のヘリコプターが配備されている明野駐屯地だからこそですね。




会場にUH-1J多用途ヘリコプターが飛来してきました。
駐屯地司令と来賓が降りてきました。



駐屯地司令の式辞です。
明野駐屯地司令は航空学校長も兼任しています。
明野駐屯地航空祭は「航空祭」ではありますが、航空自衛隊の航空祭とはずいぶん違っていて、陸上自衛隊の駐屯地祭に準じています。
記念式典があり、その一環として観閲行進があり、アトラクション、訓練展示という流れになります。
陸上自衛隊の駐屯地祭が訓練展示までをお昼前までに終わらせてしまうのと同じように明野駐屯地の航空祭も飛行展示そのものは午前中にはすべて終了します。
時間にすれば2時間ちょっとと短いものの、非常に凝縮されて充実したた内容になります。




さぁ編隊がもどってきました。
TH-480B×5機、UH-1×3機、AH-1S×4機、OH-1×5機、AH-64D×1機、UH-60JA×2機、CH-47J×1機、OH-6D×2合計23機の異機種大編隊は大迫力の一言です。



第1編隊は航空学校のUH-1J多用途ヘリコプター




第2編隊は航空学校のTH-480B練習ヘリコプター5機



第3編隊は航空学校のAH-1S対戦車ヘリコプターを編隊長に、AH-64D戦闘ヘリコプター、OH-1観測ヘリコプター計4機



第4編隊は飛行実験隊のOH-1観測ヘリコプター2機


第5編隊は第10飛行隊のUH-1J多用途ヘリコプターとOH-6D観測ヘリコプター計3機
第6編隊は第5対戦車ヘリコプター隊のOH-1観測ヘリコプターとAH-1S対戦車ヘリコプター計3機




第7編隊は教育支援飛行隊のOH-1観測ヘリコプター、Uh-1J多用途ヘリコプター、UH-60JA多用途ヘリコプター、CH-47J輸送ヘリコプター計4機です。


その2に続くよ




明野駐屯地航空祭その1/その2/その3/その4/その5

Posted at 2015/03/01 19:47:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記
2015年02月18日 イイね!

であごすてぃーに51

2月?
2月って何もやることないから豆なげるっぐらいしかないなーな2月ですよね。
バレンタインなんてのもありますよね。
あれってお菓子会社の陰謀でしたっけ?
(はい、このネタわかる人はひだまらん話をしようぜ)


(もじもじ)
「ん?どうしたんだい?であごちゃん。トイレ?」
「ち、ちがうわよ。今日は何の日か知ってるわよね?」
「2月・・・・19日?」
「そうよ・・・はい」
「バレン・・・タインデーはもう終わったけど」
「う、うるさいわね。いいから受け取りなさいよ」
「あ、自衛隊モデルコレクション・・・・」
「か、勘違いしないでよ。あ。あなたのために作ったんじゃ・・・な、ないんだからねっ!」
であごの指を見る・・・・
絆創膏だらけの指だ
「指・・・・」
「な、なんでもないわよ。こんなモデル作るのなんてお茶の子さいさいなんだからっ!」
パッケージを開くと少し塗装のはみ出たモデルがそこにあった。
「か、勘違いしないでよ!別に・・・・別にちょっと失敗したけど捨てるのもったいないからあんたに上げるだけなんだからねっ!」
「であご・・・・」
「な、なによ・・・・・つ、次はちゃんとしたもの持ってくるからまってなさい!2週間後ぐらい・・・・」
「であご!」



・・・・・なんだこれ。



であごすてぃーに


第51号はまさかのF-4EJ。
あれ?でも第6号でF-4はモデル化されたよね?
と思ったら第6号はF-4EJ改。
第51号はF-4EJということで別物らしい。
まぁ確かに自衛隊装備年鑑でも別扱いされてますが。



今回の機体は#400。
ダブルナッツの機体のモデル化は何気に珍しいかも。
でも不思議と違和感があるのはなぜ?
この#400は後にF-4EJ改に近代改修されていますが、千歳基地時代の302飛行隊を再現してるとのことです。



コクピットの中が灰色のままで黒塗装されてないのでどうにも雰囲気が・・・
これぐらい塗ろうぜ?
第6号のF-4EJ改のときはちゃんとコクピット黒く塗ってあったじゃん。
でもモデリングが多少甘いことをのぞけばさほど悪くありませんね。
見たところ第6号のF-4EJ改と金型は同じものを使って翼端など部分部分を変更させてる感じです。



武装はAIM-9L(かな?)が2発装備されています。
どうせならファルコン積んでてほしかったですけどそれは贅沢かな。
サイドワインダーのフェアリングがやけにぶっといのが気になりますが。



横から。
キャノピーはもう少しがんばってもらいたかったですが、全体的にモデリングは悪くないと思います。
機首の溝の彫りがきつすぎるのはちょっとお茶目かな。
塗装をいろいろみていくと・・・
タービンラインがちょっと細すぎない?
しかも位置がちょっと後ろ過ぎ。
(ちなみに本誌の3Dはもっと変な位置にあるぞ)


それと尾部の銀色部分ですが、ここは広すぎます。
長さにして水平尾翼の9割ぐらいに見えますが、実際は6割ぐらいの長さですものね。
細かく見ていくと垂直尾翼のシリアルナンバーがちょっと小さすぎるとかありますが、一番目につくのが主翼上面。
位置にすると胴体の編隊灯の横ぐらいの場所ですが、ここにはウォークライン(だったかな?)が引かれて、濃い灰色に塗られています。
結構目立つ部分な上に面積も広いのですが、このモデルにはそれがまったくな~い!
なぜ手を抜く?
全体的な雰囲気は再現されてるだけにこれは残念。



第6号のF-4EJ改と並べてみました。
基本は同じモデルですが、第6号と比べると塗装は・・・・
でもちゃんと翼端や胴体上部のUFHアンテナなどEJとEJ改の差は再現されてますね。



並べてみました。

前から見るとそれっぽくみえるんですよ。
特にF-15は・・・・



52号はP-2J・・・・だと・・・・
「買う」か「買います」か「絶対に買う」か「もう注文済み」しか選択肢ないじゃないか・・・

Posted at 2015/02/19 01:02:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2015年02月14日 イイね!

犬山城にいってみた

たまにはミリタリー関係から外れたブログ記事でも。

先月の23日、各務原航空宇宙博物館を見学した後、せっかく各務原にきたことなのでちょっと足を伸ばして犬山にいくことにしました。


各務原から犬山までF-4で数秒の距離。
速いよね。



犬山は活動行動範囲の割りに実は1回しかいったことがないんです。
しかもものすごく昔。
昭和57年に犬山モンキーパークで世界のパトカー展をやってた頃ですね。
あのときは西部警察PARTⅡやってたときですよ。
記憶にない(笑)



犬山には犬山城や神社仏閣が点在している観光地でもあります。
そこで三光稲荷神社へ。
ここは犬山城のある城山の麓に建てられています。


1586年創建の伝承があるこの神社ですが、以前は別の場所に建てられていたそうです。
それが昭和39年に今の場所に移築されたそうです。
犬山城はこの城山にあるので三光稲荷神社をぬけていくところにあります。




境内をぬけててくてくあるくと・・・・
キター!
石垣に建てられた城壁の建造物。
まぎれもなく城です。
ちなみに入場料は500円。
500万円あれば1万回入場できるよ。
この先に城門があります。
そこをくぐると・・・・



美しい。
そのほかに言葉が浮かばないぐらい美しい。
これが国宝の犬山城です。
犬山城は1537年織田信長の叔父にあたる織田信康によって創建されました。
現存する日本最古の木造天守閣です。
望楼型・三層四階地下二階・複合式天守で高さは19メートル。
意外と小柄なんですよ。
桜が咲く頃にきたら見事なツーショットがみられそうです。




犬山城は国内最古の現存する木造天守閣ではありますが、明治24年の濃尾地震で半壊するも修理され昭和10年に国宝指定されています。
名古屋に近い犬山市も戦時中は空襲をうけていますが、こうやって犬山城が現存してるのは奇跡といえるかもしれませんね。


もちろん天守閣の中にはいって昇りましたよ。

木曽川や飛騨木曽川国定公園がみえます。
まさに絶景!
・・・え?
最上階からの風景じゃないのかって?
実はですね・・・・
私は超高所恐怖症で急な階段はメチャクチャ怖いんですよ。
なので1層あがったところでこの写真写して降りたんです(苦笑)




御神木の大杉様です。
天守閣より少し背が高い木だったのですが、伊勢湾台風の際に落雷をうけて枯れてしまいました。
犬山城天守閣の身代わりになって天守閣を守ったとしてこうやって御神木として祀られているそうです。



天守閣のある城山を下山すると先ほどの三光稲荷神社に隣接する針綱神社が姿を現します。
ここは安産の神様で有名なのですが、創建は1000年ほど前らしく、今の場所には明治15年に移築されたそうです。



針綱神社でこの写真を写した直後、転倒してしまいました。
わずかにある段差(5センチぐらい?)があったのを知らず、ビタ~ン!と。
頭は打ちませんでしたが脚を強打。
まともに歩けませんでしたよ・・・・・
しかもここは狭いのでタクシーを呼ぶのもまた微妙。
犬山駅まで徒歩15分なら・・・・痛いけど歩くか。
参拝して怪我するとは。
トホホ。





犬山城下町の街並みはとても情緒があるのですが、腹が減ったし脚は激痛と、それどころじゃないのが悲しい。
普段なら歩ける距離も激痛走ってると結構きつい。
・・・休憩しよう。



途中立ち寄った店で豚丼たべました。
これはめちゃくちゃ美味!
(でも脚は痛い)

さぁ・・・・残り1キロ・・・歩くか・・・・・


と、なんとかふらふらになって犬山駅にたどりついたのでした。
1週間はまともに歩けませんでした・・・・
ちゃんちゃん。


ん?冒頭でミリタリー関連とは外れた記事と書いたけど、考えてみたら城は要塞だからおもいっきりミリタリー関係だった(笑)
Posted at 2015/02/14 23:28:29 | コメント(1) | トラックバック(0) | プチ旅行 | 日記
2015年02月08日 イイね!

掃海隊群 艦艇一般公開その3(掃海艦「つしま」)

さてラストです。
ここからは掃海艦「つしま」の一般公開の模様です。

掃海艦MSO-302「つしま」(満載排水量1200トン)は”やえやま”型掃海艦の2番艦として平成元年度計画で建造されました。
竣工は平成5年3月23日なので早くも20年のベテラン掃海艦になっています。
木造で腐食などを考えるとそろそろ代替艦の建造時期ですので平成25年度計画で”やえやま”型の後継になる690トン型掃海艦の建造が決まっています。
こちらは木造からGFRP化され、サイズも3割ほどダウンサイズ化されるとのことです。
ということはこの世界最大の木造船はこの”やえやま”型がラスト・・・・
少し寂しい気がしますね。
後部には他の掃海艇にはない掃海具がみてとれます。
ではみてきましょう。




艦首にあがってみました。
”やえやま”型は他の掃海艇に比べると2倍近く大きいのですが、意外にもそれを感じません。
とはいえ、”ひらしま”型が長さ57メートルに対して”やえやま”型は67メートルと10メートルも長いんですよ。
艦首旗竿には国旗(艦首旗)が掲げられています。




こちらは「つしま」の20ミリ多銃身機関砲です。
2枚目は同型艦「はちじょう」「やえやま」のものになります。
機関砲はターレットに乗せられていて旋回や射撃は手動で行うようです。



この艦首直前に設置された巨大なリールは?
これはSQQ-32機雷探知機の巻上機です。
このソナーは米海軍で使われているもので可変深度型で水面から海底までを捜索できるようです。




「つしま」の艦橋です。
2枚目は同型艦の「はちじょう」「やえやま」の艦橋になります。
やはり巨大なSQQ-32機雷探知機の巻上機が目を引きますね。



「つしま」のマストです。
マストの横に見える白いドームはスーパーバード衛星通信アンテナ。



「つしま」の艦構造物です。
こうしてみてみると掃海艇に比べて大型なんだなと感じます。
”やえやま”型掃海艦の主機は6NMU-TKI型ディーゼルエンジンを2基搭載していて出力は2400馬力になります。


こちらは機雷処分具S-7(2型)です。
第二世代の国産機雷処分具で、中深度用の1型と深深度用の2型があります。
”やえやま”型は2型を装備しています。
先端の大きな黒い部分は超音波映像装置、その下に水中テレビカメラがあります。
写真ではちょっとみにくいですが、下部にはアームのようなものがありますがこれは係維索カッタです。
S-7は自走式の有線誘導で目標の機雷まで接近させます。
係維索機雷ならカッタで切断して浮遊させ、沈底機雷の場合は爆雷を投下して機雷を処分します。



こちらは機雷処分具S-7(2型)の機雷処分用爆雷です。
これはもちろん訓練用になります。




「つしま」の艦尾です。
いろんな掃海具があるのがみてとれます。
左側の魚雷のようなものは深深度用フロート、その後ろは音響掃海具、その隣はフロートです。
2枚目は同型艦の「はちじょう」ですね。




深深度用フロートです。
掃海用艦艇はこのフロートとダビッドがやはり目を引きます。



「つしま」の搭載艇と水中処分艇。



「つしま」の艦尾。
フロートの後ろにある白いラックのようなものは係維掃海用の沈降機です。
”やえやま”型の係維掃海具は89式係維掃海具S-8と呼ばれています。



この巨大な黄色いロープが巻かれているのはオイルフェンス?
・・・・実はちょっとだけ近いんです。
これは磁気掃海具の掃海電線の巻上機です。
磁気に反応する機雷をこの電線でぐるっと取り囲んで電流を流します。
そうするとこの電線で磁場が発生するのでこの磁場を使って反応させて処分を行います。






以上、掃海隊群艦艇一般公開in松阪港でした。






掃海隊群艦艇一般公開in松阪 その1/その2/その3






















せっかく松阪にきたので帰りはカウを食べたぜ。

超絶美味だったけどあまりに高価なので松阪カウではなく、国産の和カウだぜ。
ワイルドだろ~?




Posted at 2015/02/08 22:07:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記
2015年02月08日 イイね!

掃海隊群 艦艇一般公開その2(掃海艇「とよしま」)

ではここからは甲板などの様子を少し。
今回の一般公開では多数の掃海艦艇が停泊していましたが、このなかで見学ができるのは「つしま」と「とよしま」の2隻です。



では掃海艇MSC-685「とよしま」をみていきましょう。
掃海艇「とよしま」は”すがしま”型掃海艇(満載排水量590トン)の5番艇で平成10年度計画で建造されました。
竣工は平成14年3月4日ですのでもうすぐ艦齢11年になるんですね。



「とよしま」の前部甲板にのぼってみました。
横付けされている同型艇の「うくしま」と「のとじま」の前部甲板です。
艦首には20ミリ多銃身機関砲が搭載されています。
F-15戦闘機などでおなじみのいわゆる20ミリヴァルカン砲を艦載型にしたもので、機雷の処分や警備活動などに用いられるようです。



こちらが「とよしま」の20ミリ多銃身機関砲JM61です。
20ミリヴァルカン砲は6本の銃身を高速で回転させて給弾・発射・装填・排出を行うため非常に高速で射撃ができますが、このJM61はそれほどの発射速度が求められていないためか発射速度は450発/分に抑えられているようです。


こちらは同型艇の「うくしま」の艇構造物です。
「すがしま」型掃海艇は前型の「うわじま」型に比べて長さを切りつめたので発電機を船体内の機械室から船首楼内に配置してるのでこのように艇橋からかなり延長したような形になっています。
ここにはCICとソナーを巻き上げるための機械室もあるようです。




「とよしま」の後部艇構造物と煙突です。
煙突は現役海上自衛隊の掃海艇では唯一並列2本を採用しています(写真ではわかりづらいですが)。
2基の6NMU-TA(B)EI型ディーゼルエンジンを搭載していて出力は1800馬力、速力14ノットなんだそうです。




では艇橋にのぼってみましょう。
羅針儀(いわゆるコンパス)がみえます。
これで方位を測ります。
2枚目は同型艇の「うくしま」「のとじま」の艇橋です。
手前に探照燈がありますね。
この探照燈はよくみると後部にレバーがついていて、レバーを動かすことでシャッタを開閉させてモールス信号をおくることができます。






「とよしま」の艇橋内です。
ここで艇の航行を行うわけです。
”すがしま”型からは機雷掃討時の自分の位置を一定にたもつために自走操艇装置で制御する定点保持システムを装備しているようです。
基本的に操艦関係の装備は護衛艦などとは同じですからちょっと窮屈そうな感じがしますね。
4枚目は艇内で火災や浸水、被弾など被害があった場合の艇内全体の状況を把握するための盤です。



艇橋後部をみてみましょう。
こちらには信号旗が並んでいます。
これをマストに掲げるわけですが、この旗の組み合わせでいろんなメッセージを作ることが出来ます。
艦艇一般公開のときに信号旗がズラリと並んで掲げられていたら何と言う意味なのかを調べてみると結構面白いですよ。



これな~んだ?
実はコレ訓練用の模擬機雷です。
なぜか「うくしま」のものですね。
機雷にはさまざまなタイプがあって船が機雷に触れると爆発する触発型や近くを船が通過すると反応して爆発する感応式などがあります。
感応式は船のもつ磁気に反応するタイプ(掃海艇はこれに対応するために磁性をおびない木造やGFRP製なのです)、船の出す音や水圧の変化などに反応するタイプなどさまざまな種類があります。
当然それに対処するため機雷の処分法もかわってきますし、年々機雷の性能も向上してくるので掃海も非常に複雑になってきます。




こちらはPAP104機雷処分具です。
”すがしま”型では英国製の対機雷戦システムが導入されたのですが、これにともなって導入されたのがPAP104です。
フランス製の機雷処分具で各国で採用されている実績があります。
300メートルまでの運用深度があり水中を6ノットの速力で移動することができます。
バッテリを内蔵していて有線で誘導された後にテレビカメラで目標に接近、係維機雷ならもっているワイヤカッタで切断して浮遊させ、沈底機雷の場合は機雷処分用爆雷を投下して機雷を処分します。




「とよしま」の艇尾です。
白い魚雷のようなものはフロート(浮識)でこれに電線や掃海索などを接続してさまざまな掃海作業を行います。
横のクレーンのようなものは掃海具を展開させるためのダビッドです。
艇尾からみると「えのしま」と「ちちじま」が係留されていますね。
こちらにはさらに高性能化したS-10掃海具が搭載されています。




次は掃海艦「つしま」だよ。


掃海隊群艦艇一般公開in松阪 その1/その2/その3
Posted at 2015/02/08 19:10:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリーイベント | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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