初めに、このブログは長文すぎるので、読むの面倒だと思います。
自分でもそう思う(笑)
昨日から令和になりましたね。
昭和・平成・令和と3つの時代を生きてきましたが、この3つの時代を経験出来たことは、ある意味貴重な経験が出来たと光栄に思っています。
自身が生まれた昭和時代には明治・大正生まれの方が、まだ多く健在していましたが、今となっては昭和元年生まれの人達も94歳になってしまうので、昭和元年生まれの人達すらどれだけ健在しているかな?と言う時代になってしまいました。
うちの祖父母は共に大正生まれでしたが、祖父は大正・昭和の2つの時代のみ経験で亡くなってしまいました。祖母は平成まで生きていましたが、平成初期で亡くなってしまいまいた。
考えてみれば伯父伯母も昭和・平成の2つの時代しか経験なく無くなってしまいました。
そう言えば同級生も平成時代に脳腫瘍で亡くなっている。
もうあれから20年以上経つけど、当時子供が生まれたばかりだったのに亡くなってしまい残念です。
そう言ったことでも3つの時代を経験出来ることは本当に貴重な経験だと思います。
平成時代は色々な物が劇的に進化(発展)した時代だと思いますが、昭和時代も負けてはいませんね。
記憶になる限りでは、テレビは家具のような作りになっていたし、洗濯機は2槽式が主流だった、掃除機は紙パック式なんて無かったし、8ミリカメラ(動画撮影用カメラ)もあったし使っていたし、静止画のカメラも撮影する度にフィルムを手で回して2枚目を撮影しないとダブって撮っちゃうと言う。ピント合わせも面倒。
カセットデッキもデカイし、オートリバース機能なんて付いていなかったから、カセットのA面とB面の再生は、手で入れ替えだった。
ウォークマンも初期のはデカかった。
昭和最後の頃にCDウォークマンってのも出たけど、音飛びが酷かった。
ポータブルゲームは任天堂のゲームウォッチだ!!今のようなオンラインゲームなんて時代じゃなかったから、個(本田圭祐の言葉みたいな)
車もパワステ付きじゃなかったし、パワステ付き車はリアガラスにパワステ付きってステッカーが貼られていた。
ラジオは付いていたけどカセットは再生出来なかった。
バブル時代は経験していないけど、その時代に生きていたので記憶にある。
当時、3つの下部を率いる女性が居て、アッシーくん、メッシーくん、ミツグくんと言う、
それぞれに役割を与えられ、それ遂行する男性たちだ。
アッシーくんは、車で送迎をする、人メッシーくんはサッカー選手ではない、飲食の支払いをする人、ミツグくんは、高級ブランド品を購入支払いする人たちです。
バビル2世の3つの下部とは役割が違うな(笑)
そんな時代の男性のアッシーくんは、絶対に初心者マークを付けない、軽自動車は買わない、
なぜならば女性が乗車してくれないから。
そんな大見えをはる男性たちが多く存在した時代だったと記憶しています。
同級生にも居たんだ、初心者マークなんてカッコ悪くて付けねぇーよってのが、下手くそなくせに(男の人にとって、この下手くそっていうキーワードは、ある意味NGワードだww、どういうことか各々で察してください)
話しが逸れてしまいましたが、昭和時代は今のような技術力は無いものの、物凄い執念で進化(発展)させた時代だったと思う。
平成初期は、まだ個人で携帯電話を持つような時代ではなかった、アナログ携帯だったし、極一部の企業がレンタルで携帯電話を使っていた記憶があり、レンタル料だけで月額7万円とか言っていたような?通話料は1秒30円とか。
社会人になった頃、会社にあった携帯電話がそれだった気が。
僕自身が初めて携帯電話を買った頃もまだレンタル契約か買い取りか選べたような?
初めて買った頃は、アナログ携帯からデジタル携帯に変わるころで、デジタル携帯を購入。
でも、今のようにかけ放題とか定額制ではなかったから、基本使用料だけで月額7,000円代で別途通話料がかかったので、現場に行くことが多かったので購入したものの、個人負担が大きかった。(後々、仕事で使った分の請求が出来るようになったけど)
あと通話出来るエリアも狭かったから圏外になる所も多かった。
令和時代はどんな時代になるかですが、逆に退化するんじゃないかって、今あらゆる物がオーバースペック傾向にあって、どう考えてもそこまで使わんって言う機能や性能を装備しすぎて高額化している傾向にあると思うので、便利さを追求しすぎてそうなったにしても、
人間味が無い。
車にしても人間としての感覚で運転しているのではなく、プログラムされた体感ゲームを運転しているような感覚。
ブレーキもすっかりABSに慣れてしまって、凍結路を平然と突っ込んで行き、ABSのガリガリって音でロックしそうになっていることに気付くとか、アクセルも電子スロットルになっていて、何だかゲームコントローラーのABボタンみたいに、AがアクセルでBがブレーキみたいな。
F1レースをまったく見なくなったのも、セミオートマ化による人間味の無さ、シフトミスとか、そう言った人間味。
それ考えると、リタイヤしたのを車のせいにする先駆者は鈴木亜久里さんかな?
リタイヤした時、エンジン系とか電気系とかよく言って、人間的なものによるリタイヤでは無いと(そういうことではないけど)
昭和時代と平成時代を見て来て思うこと。
家の近所は高齢者ばかりで、子供が少ないです。
最近そんな高齢者を見て思うことは、杖以外に歩行車を使っている人が多いこと。
昭和時代や平成初期の頃の高齢者で歩行車を使っている人ってあまり見なかったようの気がするのだが、気のせいか。
あらゆる物が便利になっているが、使いこなせていないと言う矛盾
一時、あらゆる物が軽量コンパクトを追求していた(携帯電話も、物凄く小さいのがあった)けど、今は逆に大型化している。
テレビは液晶になって薄くなったけど、画面が大きいという矛盾
洗濯機もドラム式がデカイ
冷蔵庫も業務用か?ってくらいデカイ
建物を設計する時は、ある程度、床に置く物の荷重を想定、病院とかだとMRIとか医療機器がとてつもなく重たい物はその重量を考慮しておくわけだけど、最近の家電はデカイ・重い。
建物の地震力って建物自体の自重にも影響するわけだから、軽い方が地震力は小さい。
だから地震に強い建物を作っているのに、建物に入っている家電とかがデカイ・重いという矛盾
車にしもて軽量コンパクトで燃費が良いのが日本車の売りだったのに、大型化して低燃費車って言っても昔のカローラの方が燃費が良いしと言う矛盾
節電と言いながらも、会社にPCやプリンターなどが多く、それらから発生する熱量が高く室内が暑いから空調を使うけど、空調機を使うことで室外機から発生する熱量で外の空気が暑くなり温暖化すると言う矛盾
人間の美学としては、医療の発達とか、生活する上での利便性とか性能とかそう言ったことを追求することで、人間が生活しやすい環境を作ることなんだろうけど、逆にそれを追求しないと人間は滅びるくらいの考えがあるんだろうけど、そう思っているのは人間だけで、自然動物は、そんなことを追求しなくても生きているし滅びていない動物が居る。
昭和・平成・令和と生きてきたけど、上野動物園にいるパンダが進化しているようには見えないし、逆に退化しているようにも見えない。
カブトガニは昭和時代と令和時代で何が違う。
現在のカブトガニはGPS搭載しているけど、昭和時代GPS搭載していないとか無いでしょ(いや実はGPS搭載しているのかも知れないけど、しかもWi-Fiにも対応しているとか)
何かを見失っているように思えるし、その何かを見失ったままの方が逆に滅びる原因のように思える。
とか言っちゃったりして、何だか哲学者みたいな(笑)