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U-TAN(う~たん)のブログ一覧

2019年01月25日 イイね!

山中徘徊時々エリーゼ・・・土肥桜

翌25日は、一足早いお花見。
伊豆では、土肥桜、河津桜、修善寺寒桜の順に開花していくという。

土肥桜は本数はそれほど多くは無く(約4百本)、町内のあちらこちらに点在している。


松原公園にエリを放置して出発。


まずは、目印の郵便ポストを曲がり


静かな萬福寺で最初の1本を愛でる。


土肥山川沿いは、快適なランニングロード。


土肥神社も桜は1本だけ。


樹齢千年、楠の巨木に思わず手を合わせる。


神社前の煙草屋、昔懐かしい佇まいだ。


ちょっと人気の多い土肥金山は素通り。


丸山運動公園にある土肥桜の古木に会うべくR136を南下。


途中、八木沢地区の山手、三島神社に立派な桜が見えたので寄り道。


思いがけず歴史がありそうな立派な社殿だが由緒不明。


さらに山腹に大きな桜が見えたので息を切らして坂道を上がる。


八木沢集落を見下ろす絶好のロケーションだが、もちろん観光客は一人もいない。


R136に戻り、土肥南小学校跡地へ向かう。


跡地の1本。
かっての小学生達の作品だろうか?樹下の塑像が却って物悲しい。


円山公園の古木、今回、見た中では一番立派な木だった。
河津のような桜並木も見事だけど、1本づつ点在する桜をこうして訪ねて回るのも悪くない。


元祖土肥桜かな?


紅色が濃いものだけが「土肥桜」として品種登録されるらしい。


R136で再び土肥港に戻り


砂浜を走って松原公園へ。


本日の走行約13km。
小腹がすいたので土肥金山売店の鹿饅頭と猪饅頭で取り敢えずのエネルギー充填。


遅めのランチは、以前から山神様が食べたがっていた土肥小下田の「きびなご」寿司。
丁寧に捌いた「きびなご」3尾で1貫。一人前は「生」と「漬け」が4貫ずつでネタとしゃりの
間には、胡麻、大葉、紅ショウガ、ミョウガなどを挟んだ数種のバリエーションがある。
「きびなご」は小型の魚で「生」も「漬け」も非常に淡白な味わいだが、本当に新鮮なもの
でないと生では食べられないだけに伊豆ならではの料理のひとつと言えるかも。


夕陽、土肥桜、「きびなご」寿司・・・帰りがけに戸田の温泉で脚の疲れを癒して誕生日は終了。
これで山神様も今日から立派な高齢者!


Posted at 2019/02/02 12:13:41 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2019年01月24日 イイね!

山中徘徊時々エリーゼ・・・戸田造船郷土資料博物館

1月24日は、家の山神様の御誕生日。

どこか行こか~?とあれこれ考えたが、遠出は億劫だし、年越しの際にまだ咲いて
いなかった土肥桜も気になるので、再び西伊豆へ向かう。

昨年暮れに下田で勉強した1854年の日露和親条約の締結にまつわる洋式船建造物語
に心惹かれていたので、まずはその舞台である戸田へ立ち寄る。

その物語とは・・・
日露交渉のために下田に寄港した露西亜軍艦「ディアナ」は、安政東海地震の津波に
見舞われて大破、修理地の戸田村へ回航中に今度は嵐に襲われ、1855年1月に沈没。
提督プチャーチンは、帰国のために洋式船を新造することを決意、日本側に洋式船の
建造経験は乏しかったにもかかわらず、日露の共同作業は順調に進み、起工より
約3カ月後の4月には無事に進水式を終え、建造地の戸田にちなんで船名は「ヘダ号」
と命名された。
そして、プチャーチンは「ヘダ号」により無事に帰国、1881年(明治14年)には日露友好
に貢献した功績によって日本政府から勲一等旭日章が贈られた。
一方、プチャーチン死後の1887年(明治20年)には、娘のオリガ・プチャーチナ女伯が
戸田村を訪ねプチャーチンの遺言により、当時の村人の好意に感謝して100ルーブル
の寄付をしている。
その後の歴史の激動の中にも交流は続き、昭和44(1969)年、旧戸田村が造船郷土
資料博物館を建設するにあたり、当時のソビエト連邦政府から500万円の寄付を受け、
2008年にも日露修好150年の祝典が開かれている。

いつの時代にも集団としての国家、民族の協調には避け難い壁が存在する一方、人と人、
個人のレベルでは心温まる交流がなされるものだ。
現日ロ首脳による北方領土返還交渉は難航の模様だが、こんな日露友好の歴史を伝える
造船郷土資料博物館を訪ねてみるのも一興かと考えた次第。

博物館は、戸田港を抱え込む御浜岬の先端に見える松林の中にある。


車を戸田港岸壁に駐車、片道2.5kmを走り


博物館に到着・・・想像以上に手作り感あふれる雰囲気。


富士市田子の浦で引き揚げられたディアナ号の錨、もうひとつは富士市に現存する。


ディアナ号(2000t、乗船500名)と


ヘダ号(87t、乗船50名)


ヘダ号建造に関わった人々


プチャーチン提督と


娘のオリガ・プチャーチナ女伯。


深海魚の聖地とも呼ばれる戸田、併設の駿河湾深海生物館で深海鮫「ラブカ」にも対面。


ランチは、深海魚の天丼「どん底丼」。
名前の通り、深海魚の天麩羅がどんぶりの表面と底に二層になっておさまっていた。


泊りは、土肥。
西伊豆名物の夕陽タイムは、露天風呂で。


部屋の灯りを消し、夜の帳が下りるまで朱色から青紫への変化を飽くことなく眺める。
これがBirthday present。
刺すような強い朝陽よりも穏やかに消え入る夕陽の方が好きになったのは何歳頃からだろう?
Posted at 2019/02/01 11:18:24 | コメント(7) | トラックバック(0) | 日記
2019年01月01日 イイね!

山中徘徊時々エリーゼ・・・伊豆open走行・西伊豆歩道編

明けて1日。
西伊豆では、初の日の出は拝めない。
その代わり、宿から新春の光に白く輝く南アルプスを望むことが出来る。


伊豆半島は、2018年4月にユネスコ世界ジオパークになった。
ジオパークとは、地質学的にみて国際的に価値のあるサイトが、「保護、教育、持続可能な
開発」が一体となった概念により管理されたエリアを指すのだそうだ。
西伊豆の海岸線には西伊豆歩道と呼ばれる長いトレイルがあり、各所でその価値ある景観
を見ることが出来る。

今日の目的ルートは、田子港と浮島海岸をむすぶ燈明ヶ崎遊歩道と浮島海岸、堂ヶ島周辺。
まずは、堂ヶ島の西伊豆観光協会でマップを入手し、出発。


車道を走り燈明ヶ崎遊歩道の出発点、田子へ。


田子港。こじんまりとした静かな港だ。


歩道入口のある瀬浜海岸までもう一走り。


廃墟のような造船所の脇を通り


ようやく歩道へ。


急な階段の径を一登りで


田子湾を守る尊之島。


燈明ヶ崎は、灯台の前身としての「燈明堂」があったことから名付けられた。
展望台で小休止、汗ばむような良い陽気。


これから向かう浮島海岸方面。


小さな岬の突端に一羽の鳥。


鳥になった気分の山の神。


辿ってきた田子方面の海岸線。
海底火山の噴出物が作り出した何層もの重なりが見える。


眼下にシーカヤック、父子のようだ。
楽しい思い出になるだろうなぁ・・・。


急な階段を下ると浮島海岸。


これらの奇岩は、太古の昔上昇してきたマグマの通り道が固まったもの、言わば「火山の根」
だと言う。


干潮になると海の中から道が現れて陸とつながる「トンボロ現象」で有名な三四郎島。
生憎、満潮。


最後に堂ヶ島に戻り、多くの観光客と一緒に天窓洞を眺め、


これで年越し伊豆open走行を終了。


本日の走行距離約10km。
思い出深い旅Runとなった。v(^^

Posted at 2019/01/07 21:48:14 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

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「良く曲がる ^_^ http://cvw.jp/b/1240840/48330458/
何シテル?   03/24 11:23
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