昔ダイハツの軽自動車にフェローというクルマがあって、1970年にモデルチェンジしてフェローMAXになりました。その頃丁度ピーターマックスというイラストレーターの絵が流行し彼がボディ全体にイラストを描いたフェローMAXを確か晴海の東京モーターショーで見た記憶があります。彼の絵は非常にカラフルでポップな色彩で、ビートルズのイエローサブマリンの絵や当時イラストレーターだった横尾忠則も強い近似性を感じます。恐らくかなり影響を受けたのではないかと思います。
その写真をネットで探したのですが見つかりませんでした。
フェローMAXはそれまでのおとなしいデザインからガラっとイメチェンして革新的なデザインになったと感じたので強く記憶に残っていました。
ついでに思い出したのが山本リンダです。
何かのクルマの前で当時ヒットしていた歌を歌うのを目の前で目撃しました。
曲は最大のヒット曲「どうにもとまらない」(1972)ではなくその次の「狙い撃ち」(1973)だったような気がします。
どっちにしても、真っ赤なドレスにハーフならではのハデな顔にドギツく毒々しい歌とアクションで強烈な印象でした。私は中学生で初めて見た芸能人だったので余計にそう思ったのでしょう。
山本リンダといえば「困っちゃうな」(1966)でちょっと頭の軽そうな女の子の印象で売り出しましたがこっちもガラッとイメチェンして「どうにもとまらない」が大ヒットしました。その間には長い低迷期があったのだと思います。
1966年といえばクリームが誕生した年ですが私は小学3年くらいでいわゆるニューロックの事など全然知りませんでしたが山本リンダはテレビでしょっちゅう見た記憶があります。
その頃はまだ白黒テレビだったと思います。ウチにカラーテレビが来たのはその次の年あたりだったと思います。ウチに間借りしていた若い電気屋さんが大きくて重いテレビを社長と2人がかりで運んで家に上がって脚を取り付けたりカラーアンテナを屋根に登って取り付けたりチューニングを一生懸命してた事を覚えています。買ったのは日立の「キドカラー」です。キドとは輝度の事だったようです。当時のカラーテレビ購入は一大イベントでした。
キドカラーは大々的なキャンペーンを行いました。日本中を飛行船で巡ったのです。私も何回も日立の飛行船を見ました。
その日立もだいぶ前にテレビ事業から撤退してしまいました。プラズマテレビに手を出したあたりから陰りが見え始めたのかと思います。
日立ファンの私には結構ショックでした。もう日立のテレビを買うことはできなくなったのです。
話が脱線しましたが昔も今も容姿に恵まれているハーフのタレントが日本に多い事は変わりはありません。
こうやって書くと両者には東京モーターショーというキーワードを通じて私の中では共通点があったのだと思います。
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2023/07/09 21:45:19