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2019年08月12日

極私的に絶賛『天気の子』

極私的に絶賛『天気の子』 3回観てきて、観る毎に涙腺の緩みがひろがり、終劇後がたいへん(-_-;)
めちゃくちゃツボにハマった作品なので、ここらへんで一度気持ちを纏めてみます。
あくまで個人的主観の映画感想なのであしからず。


まず、ストーリープロット自体は使われ尽くして手垢にまみれた展開のお話です。
ま、ポンコツな物語と言い切ってもいいくらい。
ただ、この手のお話が量産されていたのは、今から30~40年前。
その当時の作品群を知らなければ、逆に新鮮さを感じるかもしれません。
直球ど真ん中の愚直な恋愛物語。
こっぱずかし過ぎて今更描かないような物語を、大真面目に描き切った事にまず脱帽です。
ただ、むかし量産されていたこの手の物語は、社会背景的に悲恋で終わるのが常でした。
70年代後半から80年代初めにかけての時代、まさに『しらけ世代』と呼ばれる事になる
時代の世相を反映した『頑張っても努力しても報われないで終わる物語』
この映画をその頃のプロットに当てはめれば、
『自暴自棄の3発目を発射して、終わり』となるでしょう。
しかしこの物語は、自暴自棄にならず、ひたすら一途に走り抜けました。
この一途さこそがこの映画の描こうとした主題。
映画タイトルも『天気の子』としていますが、こちらはミスリードを誘う仮タイトル。
この映画の本当のタイトルは英語訳の方
『WEATHERING WITH YOU』 君と乗り越える
まさに物語を体現しているのは英語訳タイトルの方です。



主人公の帆高(ホダカ)は家出して東京にやって来ます。
そこで出会うヒロインの陽菜(ヒナ)と
帆高の協力者となる須賀(スガ) 
彼は帆高と対比させる人物(大人代表)としての役割を担います。
ここで興味深いのは、この作品に登場した主要人物の中で、唯一帰る場所を持っているが帆高である点。
そして帆高は、家出しますが不良少年ではない設定。
物語では後年、改めて自分の意志で東京に戻りますが、その手段としての進学先も一流大学であることが描かれてます。
田舎の(映画では離島群の)優等生が、自分を取巻く社会の閉塞感から逃避し、東京にやってきた訳です。



その帆高が出会った少女・陽菜。
彼女は1年前に母親を亡くし、小学生の弟と二人暮らしを続けています。
帆高には18歳だと年齢を偽りますが実際は15歳。
児童相談所ケースワーカーのケース対象者となっています。
陽菜のキャラクターを映画で初見した時に、その容姿にとても違和感を覚えました。
首に巻いた宝飾品。
輝く小石がひとつ。それを首にピタッと帯紐で首に巻いています。
まるで首輪のように思いました。
この装飾品は、母親がブレスレットとして身に着けていたモノである事は映画冒頭から描かれています。
母親の形見を身に着けている。
ただそれだけの事ですが、首に窮屈そうに巻いた首輪のような姿に、自分は別な意味を感じました。



そしてもう一人、帆高に係る重要人物、須賀。
彼は、子供(ガキ)の帆高に対しての大人(常識人)として描かれますが、物語が進み彼も帆高と同じく家出して東京に来た人物である事が判ります。
帆高の将来像のひとつである訳です。
須賀は、家出して東京で暮らし始める中で嫁さんとなる女性と出会い大恋愛。
周囲(たぶんに嫁さん側親族)の大反対を押し切って結婚。
愛娘を授かり家族3人での生活を送り始めたが、数年前に嫁さんが事故死。
愛娘は義父母側に引き取られてしまった状況。
マンション半地下にある元スナック店舗内で暮らしながら、そこで小さな雑誌編集社を経営しています。
愛娘を自分の元に戻すべく、真っ当な社会人(?)として立ち振る舞う努力をしながら法的手続き(親権者変更申出?)を行い始めています。
この元スナック跡の雑誌編集社兼須賀の家は、入り口横に古びた三輪車が置いてあったりしています。物語の後半に、子供の成長を刻んだ「柱の傷」の描写があり、ココこそが須賀の守ろうとしていた家庭の跡であった事が判ります。
須賀は左手薬指に指輪をふたつしています。
愛する嫁さんとのペアリングだったのでしょう。
自身でふたつの指輪をはめる事で『いまでも一緒。だからこそ愛娘は自分の傍らに』と決意しているのだと受け取りました。

この映画には、愛する人を失ったふたりの人物が登場し、ふたりとも形見を身に着け、そして、ふたりとも『幸せだったその生活の場』を守って(死守)しています。

陽菜は、母親が築いてきた母子3人の暮らしを維持する為に義務教育を受けず年齢詐称してバイト暮らしを続けていました。年齢詐称がバイト先にばれクビになった後には、風俗系スカウトの話に乗り、契約しに事務所に行く事を決めました。
ここまでして守りたかったのは『母親との思い出』を維持したいがため。
陽菜はアパートに訪問した婦警に言い放ちました。
「誰にも迷惑かけてないのに、どうしてココで(弟とふたりで)暮らしてはいけないの!!」
やがて陽菜たち姉弟の元へ帆高が加わり、
「逃げよう!このまま三人で暮らそう!!」と云う展開になりクライマックスへ突入する訳です。
この逃避行の始まりは、まるで『火垂るの墓』での清太のそれと同じく、愚かだけど涙を誘います。


と、ここまで書いていて『これはアニメ映画の感想か?』と自問してしまいます。
実はこの作品は、ファンタジー要素部分とリアルを目指した物語展開部分のアンバランスさが特徴です。
どちらの立ち位置で観賞するかによって感想が大きく別れる映画です。
自分は直観的に『ファンタジー要素は有っても無くてもいい』と云う鑑賞をしています。
もう少し踏み込めば、ファンタジー要素をそのまま描いた通りに受け取るのではなく、なにかの比喩として観ている。という立場です。

母親との思い出の暮らしを守るために風俗系の仕事に足を踏み入れようとした陽菜は、帆高の勘違いの暴走によりアンダーグラウンドに踏み込む事を止めます。
その替わりのお金稼ぎとして、帆高のアイデアの『100%の晴れ女』を始める訳です。
晴れる事で人が笑顔になる事を知った陽菜は、初めて自分の存在意義を感じます。
しかし、天気を操る事には代償が伴う事が判り、陽菜は人柱として消滅してしまう運命だと判ります。
この、映画のキモである重要なファンタジー要素も、このまま受け取るのではなく比喩として観てみたい。
一度はお金の為に自身のカラダを売ろうとした陽菜。帆高に助けられ勧められ、別な仕事を始めました。しかし、この仕事も結局は自身の身を削る仕事だった。ただ、この仕事の方が多くの人たちの感謝と笑顔を得られ自分の存在意義を確かめられた。
だから、このまま自身のカラダが犠牲になっても、それは本望かも…

陽菜に仕事を勧めた結果がこんなカタチとなり、すべてを知った帆高がパトカーの中で慟哭するシーンは感極まります。
「なんだよ。俺が一番年上じゃないか」
あのセリフは刺さります。


主人公の帆高は、愚かです。そして優しく一途。まさに愚直の塊。
推定・池袋駅付近から代々木駅付近まで山手線の上を走るクライマックス導入部。
顎が上がり背中が反りながら必死に走る姿。
めちゃくちゃかっこ悪い走り。だからこそ本人の体力限界を超えている事が伝わります。
それでも陽菜の元へ行く。
その必死さが伝わります。

帆高の愚直さは、大人代表の須賀のココロも突き動かします。
須賀の設定自体が『可能性としての帆高の将来像のひとつ』ですから、逆に須賀から見れば帆高は『若かりし頃の自分』そのもの。
そのもう一人の若い自分が、過去に自分が選択しなかった道を必死に行こうとしている。
警察に言わせれば『自分の将来を犠牲にして』でも。

帆高の放つ絶叫
『どうして邪魔をするんだ!! もう一度あの人に会いたいんだ!!!』
あれこそ3発目の発砲ですわ。
30~40年前の『報われない悲恋ストーリー』だったら自暴自棄的に発砲していた3発目を、
新海誠監督は撃たせず、魂の叫びで表現してきました。
この3発目は多くの観客の心を撃ち抜いたと思います。
とりわけ劇中の須賀のココロを撃ち抜き、その直後の須賀の魂の叫び
『てめぇら 帆高に触るな!!』 にはココロが震えます。
須賀にとっては、俺に触るな!! でもあったのでしょう。
むかし、『愛する人の為』だと思い社会に迎合していった自分と、同じ目的でありながら自分の将来を犠牲にしてでも真逆な行動を起こしている帆高に自分を投影して。

直後の陽菜の弟の絶叫
『みんなお前(帆高)のせいじゃねぇか。ねぇちゃんを還せぇ!』
これもまた、ココロに刺さります。

帆高の元へ還ってきた陽菜。
彼女の首に巻かれた母親の形見が切れていました。
陽菜の人生が、帆高によって動き始めた事を象徴するシーンでした。

めちゃめちゃベタな展開ですが、全く違和感なく入ってきます。
元々使い古されたストーリープロットだから展開に違和感を感じないのが所以だと思います。逆に、そのように計算されているのだと思いました。
クライマックスでの帆高と須賀の対峙までが、古きストーリープロット。
ここから以降が、いまの時代に新海誠監督が投げかけてきた物語だったのだと思います。
これをどう受けとったか?
観客ひとりひとりが自分で受け取り消化すべき事だと思います。


物語はクライマックスの後に3年経過します。
帆高の保護観察処分期間です。
彼は何も変わらず、静かに処分期間を親元で過ごしてきました。
そして処分期間が終わり、社会通念的に問題ない方法、進学する事で親元を離れ東京へ向かいます。

須賀は、半地下の元スナック跡の事務所からビルの一室の事務所へと移し、スタッフを抱えた雑誌編集社へと事業を拡大させています。
愛娘との関係は3年前と変わらず自分の元にはいないようですが、良好な関係を築いているようです。
須賀は、過去を大事にしながら一歩を踏み出しています。

この3年間で東京は変わりました。
クライマックス以降、東京の雨は降りやむことなく降り続け、かつての干拓エリアはことごとく海に沈みました。
帆高は3年前の出来事で、自分の選択の結果もたらされた事象だと責任を感じますが、同時に劇中では「元々天気なんて狂ってる」「江戸時代は海だった場所。元に戻っただけ」というセリフも出てきます。
この描写の受け取り方は、ファンタジー要素に軸足を置いて鑑賞した比重によって変わってくると思います。
自分は、劇中のセリフ『観測史上初なんて、たかが数十年の観測。天気は何千年も前から続いている事』の通りの受け取り方をしています。

そして帆高は、陽菜に3年ぶりに再会します。
彼女は18歳になりました。
年齢詐称していた18歳に、陽菜はなりました。
3年前、母親との思い出の呪縛を自ら課して義務教育を受けず学校に行かず、生活維持の為にバイトに必死だった彼女。
再会した陽菜は制服姿でした。
陽菜は祈ってます。水没した東京に。
彼女にはもう能力はないのに。
心を込めて祈ってました。

陽菜の首には母親の形見はありません。
その代わり、指には3年前に帆高がプレゼントした指輪が輝いています。



もう、こっぱずかしほどベタベタな恋愛物語です。
使い古されたポンコツなストーリープロットです。
でも、今だからこそ新しい。
ここまで描き切ったからココロを揺さぶります。
まさに『好きな人の為に世界を犠牲にしたって構わない』は正義だと思いますわ。
書き忘れましたが、ラブホテルのシーンはこの映画最大の感動シーンです。
あのシーンは、見事としか言いようがありません。

作品の完成度とか、テーマ性とかではなく、純粋に好き嫌いの好みだけで云えば、
この作品は今まで何百本と観てきた映画の中で3本の指に入るくらい好きな映画です。
映画は好みなので感想は千差万別ですが、良くできた映画であることは間違いありません。
監督の前作と、ストーリー展開の重複さを指摘する事がある事も知ってますが、これこそが映像作家らしい所業の現れだと思ってます。

映像作家なら前作を満足してないでしょう。
あえて上書きしたんですね。
絵画を上書きして消すように。

もう数回、劇場に観に行こうと思っています。
作品が気になったら、ぜひ観に行ってください。
間違いなく損はない良作です。
↓の楽曲が流れると、毎回堪えていた涙腺が崩壊してしまいます。
皆さんも、ご注意を(^-^;




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Posted at 2019/08/12 23:17:25

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