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sulusumi-jpsのブログ一覧

2016年05月12日 イイね!

こちらも ( 出来るならば ・・・ ) 買いたい 1 台

こちらも ( 出来るならば ・・・ ) 買いたい 1 台
 ランボルギーニ ・ イオタ SVR 等個人的に思い入れの有る車がオークション 等に出ている との記事がこれまでも何回か掲載されている Autoblog サイト





先日も ソルベルグ が WRC で使用し C ・ マクレー が グッドウッド FoS のデモラン で生前最後に乗った ラリーカー で有る 2007 年型 インプレッサ WRC が紹介されていましたが





今回紹介されていたのは WR Car 登場初年度の " インプレッサ WRC 97 "

マクレーのドライブ で初戦モンテカルロ ラリー にエントリー ( リザルト は途中クラッシュ により リタイヤ でしたが ラリー自体はチームメイト の P ・ リアッティ が優勝し WR Car での初勝利をインプレッサ が挙げることに ) した個体で  価格は 28 万ユーロ

販売元は ドイツ の Mohr Klassik GmbH というところでした 。










2009 年に同型の インプレッサ WRC 97 が 85.000 GBP で販売された例が有るそうで当時とのレートの違いは有りますが今回の個体の値段は その倍程 ・・・


しかしこうしたヒストリックモデル の場合 F1 もそうですが相場的なものは有って無いようなものなので 、 予算が確保出来たとして提示価格に対しそれだけの価値が有ると見るか そこまでは出せない となるかのみ というところでしょう 。

( 個人的には予算が有れば買いたいですが ・・・ 逆立ちしても ○○ )

車両は翌シーズン に修復後 他のドライバーによって WRC に参戦し その後 2 つのプラーベート チーム で使用され 2008 ~ 09 年にかけてフルレストア が行われ以降のラリーエントリー はされておらず コンディション もかなりのもののようです 。





WR Car 規定導入によりやや残念だったのがレギュレーションの関係で 直接のラリーカー のベースモデルとしては 従来の WRX から 2 ドア モデル ながらスポーツグレード では無い リトナ になったこと 。

( まあ 直接はあまり関係有りませんでしたが 、 同時期のランサーエボリューション もWR Car となってからは ベースモデル は ランエボ では無く ランサー セディア になっています 。  他にも WR Car 規定になってからはほとんどのチーム が何らかの形の特例を受けており やや分かりにくいところでも有りました )





Gr A 時代を通じ懸案の一つだったインタークーラー の位置はこのモデルから ランエボ 同様フロント へ移設されますが




ボンネット のエアダクト はそのまま残される形に

本来 ターボモデル では無く インタークーラー の無い リトナにはこのダクト は無く規定上認められず 又 インタークーラー もフロントへ移設されているので必要も有りませんが 、  " インプレッサ WRX としてのシンボル " 的な意味合い として 特例承認を受け 、 その後のモデルチェンジ以降も残っていました 。

それ程大きくは無いと思いますが エアーの流れとしてはかえってマイナス になっていたのでは ?












ちょっと サビ も出ていますが このあたりはご愛嬌 ?





ミッションは 当時出始めていたシーケンシャルタイプ等も導入せず 通常の H パターン で 後に インプレッサ のややウィークポイント に 。 パドル 化は他チーム より遅れていました 。








ラリーコンピュータ も装備で ヒストリックラリー 参加も バッチリ ?



ドアノブ は市販パーツ なのかもしれませんね 。 窓の開閉はダイヤル を回して緩めた後上下させることで行う形だったような 。







当初は Gr A 改 という部分も多かった WR Car でしたがその後どんどん先鋭化する中で インプレッサ も " 偏執狂 " クリスチャン ・ ロリオー により 徹底した低重心下 がされることに 。 ロリオー がフォード に移籍してから徐々に インプレッサ WRC の苦戦が目立つようになっていった印象が個人的には有りますね 。








Gr B のランチア デルタ S4 のワークスカー でもナンバー取得し 公道を走行している例を見ますので 、 こうした WR Car でもやりようによってはナンバー取得も可能なんでしょうか 。


来年には 社名も " スバル " になるとの記事を見ましたが 、 いつかは こうした元ワークスラリーカー のオーナー になってみたいものですが  ・・・

(  永遠に叶わぬ夢ですけれども  )




今回お店のサイト を見ていて 「 このお店 もしかして 」 と感じ場所を確認してみますと







以前見た覚えが有った Stuttgart に有る Motorworld Region 内のお店でした 。





施設内には V8 ホテル という宿も有りますが自動車博物館内に宿泊出来る というようなコンセプト になっていて 、 自動車イベント等も開催されかなり有名な施設のようですね ( すぐそばには メルセデス ベンツ の工場が有り )







ホテル のフロント もただならぬ雰囲気 ? ですが ・・・




こちらのお部屋はやや普通っぽいものの





こんな部屋や ( 朝の目覚まし音は V8 エンジン の轟音 か表彰セレモニー でのドイツ国家 とか )





車好きには嬉しい作りになっているようですが 、 かえって落ち着かない ・・・ かも ?




こちらは英国風 ?





知らずに夜 初めて見ると ちょっと ビックリ しそうです 。





ホテルらしく 結婚式も出来たり





こうした会議施設的スペースも有るようで










施設の一部ではこうした 新旧型車の販売もされているようです 。

以前ここを訪問された方のブログ の写真に 一時期 箱根のアバルト美術館に有り その後海外に流出したと見られる ランチア ストラトス Gr 5 が写っていたことも有りました 。





施設紹介の動画

7 秒 程のところには 旧 Exige  S や Elise も映っています 。
元は飛行場だったようで展示ホールは格納庫を改造したもの 。



ドイツ なんて一生行ける機会は有りませんが 一度くらいは宿泊してみたいところですね 。

( トリバゴ でいくらか安く泊れるでしょうか )





中国にも V8 ホテル という名前のホテル が有るようですが こちらは車には関係無いんでしょうね  。
Posted at 2016/05/13 22:24:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロータス・フォーミュラ etc | クルマ
2016年05月07日 イイね!

Goodwood Members Meeting と type 80

Goodwood Members Meeting と type 80英国で発行されている " Motor Sport "

ヒストリック レースカー の記事や情報等が多く掲載されていて最初に自分が type 78 が販売されている という記事を見かけたのもこの誌面においてだったのですが 、 日本に入ってきている一番新しい号に 3 月に開催され日本からも CTLJ の久保田代表が type 78 で エキシビジョンラン に参加した " the 74 th Members Meeting "  の記事が Lotus type 80 の写真 と一緒に掲載されていました 。

 type 80 の特徴がよく分かると感じられる写真が何枚か掲載されていましたので 参考用に写真に撮らせてもらいまして ・・・











自動車イベント 等での出展ブース にはこうしたヒストリックレースカー の展示も有ったりします 。





今回の特別装丁として裏表紙側は欧州を主とした今年のヒストリックレース ・ イベント の解説と開催日一覧記事になっていて自分も是非見てみたいと思えるものも多く ・・・

写真は前回 2014 年 モナコヒストリック で日本人としてクラス初優勝した際の CTLJ  久保田代表と 以前 JLD でのデモラン 時にも一番快音を響かせていた type 72 E が使われていました 。 今年の活躍にも期待したいところです 。



今回の Members Meeting での呼び物の一つが 30 台あまりの グラウンドエフェクト F1 カー による エキシビジョンラン というプログラム で


個人的に非常に見てみたいと感じる ・・・


ものだったのですけれども 、 遠い ? 英国での開催ですし かつ  この " Menbers Meeting " の場合主催側から招待されるか Goodwood のメンバー でないと見ることが出来ないイベントらしく 今後雑誌に掲載される記事や写真等くらいでしか見る機会はないか と思っていたところ Goodwood オフィシャルサイト にデモラン 時の動画が UP されていましたので 引用させていただきますと当日はこんな様子






普段のヒストリック F1 レース ではほぼ コスワース DFV 搭載モデルしか見られませんが 、 今回のイベントではフェラーリ や アルファロメオ といった 12 気筒 マシン の参加も有ったのが嬉しいところですね 。


デモラン は 15 分程の 2 組に別れていてそれぞれの冒頭に 登場する F1 の車名が紹介されています 。 
 

グラウンドフェクトカー と言えば = Team Lotus


とも やはりなるのか コンストラクター別では Lotus F1 の種類と台数が一番多そうなのも嬉しいですね ( 80 の走行はどうやら無かったようですが )

しかし type 78 に関しては両グループ に 1 台ずつ登場していて 、 久保田代表が走るのは後半の組になるのですけれども ・・・

「 もう 1台別に出ていたので有ればこちらに参加せずに 、  JLD に参加して欲しかった 」

なんてお話も JLD にエントリーされた 皆さんからは出てしまうかもしれませんね 。


しかし 前半組のアロウズ ( ゼッケン 35 ) 確かに参戦は同時期なのですがこれもグラウンドエフェクトカー と言って良いんでしょうか ?
確かサイドポッド はベンチュリー 形状にはなっていなかったのでは ・・・ ?





type 80 は 2 台しか製造されておらず ボディ 形状がほぼ最初期型に近い形になっているので




CTL が所有している車両のようですね 。





若干車高が高めになっているのか かなりスカート が目立っているような 、 フロントノーズ下にもスライディングスカート が当初は存在していたのも特徴的でした 。





これが当時問題となったサイドスカート 部分


サイドポッド 幅を確保しようとすると リヤトレッド幅 との関係でこうならざるをえませんがうまく スライドしない原因に 。 type 80 も縮尺モデルでの風洞実験時には良好なダウンフォース が見込めたそうですが 、 実車を作って走らせてみると予想外の問題に直面 。
特に空力に関するパーツについては有効である筈のアイデアが実際に走らせてみるとそのとおりにならない ・・・ という問題として コンピュータ による解析技術が高度になった現在でも時に起きてしまうので 、 空力を重視した場合の難しい部分だと思います 。

又 空力デザイン の難しさは 全体をいかに高いレベルで纏めるかに有り 、  個々のパーツ ではそれぞれ効果が有っても 車全体として見た場合 1 + 1 + 1 が必ずしも  3 にならず 時には単体では効果が有りながら他の部分の効果にはマイナスの影響を与えている場合も有る というところだろうと思います 。



この当時はまだグラウンドエフェクト 技術の基本が確立されて間もない頃でしたのでこうした試行錯誤もやむを得ないところですが 、 この後暫く チームロータス が長い技術の迷路に入ってしまったのには 「 緑になったとは言え ( ? ) なんで ○ ジェ ごとき ( ・・・ ) にtype 79 が勝てないんだ ! 」 などと歯痒い思いをしていましたね 。








リアのサスストローク の関係上こうした切りかきもやはり必要になると思いますが エアーの流れから見るとマイナス面も有ったのかも 。





マルティーニライン が入っていない type 80

セカンドドライバー のロイテマン はほとんど type 80 の開発に興味をしめすことが無かったそうですので やや珍しいショット かもしれません 。





1979 年 シーズン途中に実戦デビュー した際には フロントノーズ 下部のスカート を削除 した上 ショートノーズ 化 、 前後 にもウイング を追加して 当初のコンセプト は完全に崩壊した形になっていました ( まるで登場して 2 年目 の ティレル P34 や 発表時の表面冷却が計算通りに機能しなかった ブラバム BT 46 を見るようです )





こちらの仕様の type 80 も以前欧州のヒストリック F1レース に参戦していました 。

ちょっと珍しく感じられるのが 後方の黒い 車両

形状からは type 81 だと思いますが 、 なぜか ? JPS カラー になっているようです 。
ヒストリックレース の場合当時の雰囲気も重要に思うのですけれども 、 オリジナルでは無いカラーリング でも良いようです ( JPS カラー ならば ○ ェラーリ でも ○ ィリアムズ でも オール OK ?  ・・・ な わけないですね )





このドライバー  今回の Members Meeting には Lotus では無く別のコンストラクター の車で参加していたような 。









フロント のトリムタブ ( ノーズ 部 ゼッケン 後方の小型のウイング状パーツ ) をつけない状態で走っているのは初めて見ました 。






この当時は クラッシュテストも無く ノーズ 部はほぼフロントカウル を支える程度の構造の為 200 km 以上でクラッシュ した場合等を考えると ・・・


78 年の ピーターソン の事故に際しても 「 旧型の type 78 では無く type 79 に乗っていたなら両脚を複雑骨折までしなかったのでは 」 という記述も見たことが有る気がしますが あまり結果は変わらなかったのでは 。








現在のサイズのディフューザー でも効果が有るわけですから このようなサイズ になると うまく機能した際には凄まじいダウンフォース が得られたんでしょうね 。


type 80 については個人的にこんな思い出も




小学生高学年から中学生初めにかけて自分も ラジコン に興味を持ち

初めて買ったのが タミヤ から発売されていた ポルシェ 935

この少し前に 同じく 1 / 12 の ポルシェ 934 のディスプレイモデル を作ったことから 、 ラジコンカー のほうはより迫力の有るボディデザイン の 935  ( 又当時はまだポリカーボネイトボディ が無く ディスプレイ ・ ラジコンカー モデル とも 同じプラスティックボディ を使用していた為 ) を選んだような気がします 。

当初は乾電池で走らせていたものの 、 その後下の写真 ( 白い箱状のもの ) に有る カドニカ 電池 ! が発売され更なるスピード を求めて自分も手を出すことに ・・・
確か " カドニカ " は タミヤ とバッテリー製造元の サンヨー の登録商標で 他社のラジコンでは同様な 物を ニッカド バッテリー と呼称してような 。 ニッカド のほうが 一般的な名称なのでしょうが タミヤ のラジコンから入った自分にとっては " カドニカ " のほうが自然で ニッカド という呼び方には 当時やや違和感 を感じていましたね 。









写真は 934 のものですが 935 の場合も内部のメカ 部分はほぼ同様だったと思います 。 このラジコン で自分も ホイールアライメント の重要性や 各部の調整等を学んだ気がしますね 。 デファレンシャルギア の仕組みを知ったのもこのラジコンからでしたが この当時は

「 片側のタイヤ を手で回すと なんで 同じ 1 本の シャフト に固定されている 反対側のタイヤ は逆に回るんだろう ・・・ ? 」

デフギア の仕組みの解説を読みながら首を傾げたものでした ( ・・・ 今もあまり変わらないのかも )



そんな中  " ラジコン技術 " などの雑誌を読みながら ヨコモ という日本のメーカー がラジコンカー の世界大会で 優勝した という記事を読むことに ( 40 年程前に対する記憶からになりますので多少事実と異なる部分も有るかもしれませんが御容赦を )



ヨコモ 製のラジコン を見るとタミヤ よりもかなり凝った作りで特にフロント の脚周りは調整の種類や範囲も広く 、 すぐスペック に目がいってしまう ! 自分にとってはとても魅力的に映りました 。


ちょうど この頃タミヤ からは タイレル P34 や ロータス 79 等の F1 マシン のラジコン も発売され始め ロータス 79 には個人的に興味も有ったのですけれども


「 どうせなら 自分で 自作してやろう ! 」


と 大それたことを考えてしまいます 。


この時の ボディ のイメージベース に選んだのが発表されてまだ間もない頃の初期型  type 80 でした 。 

ボディパーツ は全て自作で 基本 タミヤ が発売していたプラ板 から切り出し 母親から借りたヘアドライア と父親からもらった 100 円ライター で曲げる部分をあぶりながら曲げ加工をしていきます  ( 火が近過ぎたりあぶり過ぎて失敗すると変形を起こして使えなくなることも多かったので トライ & エラー の繰り返しでしたね )




 






こうした フルスクラッチビルド 程の再現度では勿論有りませんでしたが 発表時の type 80 は前後のウイング が無く type 79 とも違って主に平面的な形で構成されていた為 、 けっこう雰囲気は出せていたと思います 。 前後のトリムタブ については プラ板の間にシャフト を挟み 若干の翼断面状に加工しシャフト を支点に多少の角度調整が出来るようにして有りました 。


メカ部分についてはプロポ やサーボモータ は 935 で使用していた物を移植 フロント の脚周りや リヤ のモーター 部は 名古屋市内に有った全国的にも知られているらしいラジコン店 Rモデル へ出かけ ヨコモ 製の物を部品で購入 。 935 時にはメタル だった各部の軸受部も予算の許す範囲で ボールベアリング 化 。

シャシー については タミヤ が当時使っていたアルミ 板では無く ヨコモ なども使っていた FRP のほうが良いだろう と勝手に解釈し ・・・

市販のラジコン用長方形 FRP 板 を買ってきて 見よう見まねで中央部が細くなるように加工


他にも 市販品ですが モーター は 380 よりパワーの有る RS540 モーター ・ スピードコントロール については タミヤ が当時使っていたような スライドスイッチ では無く アンプ で 、 935 の時には 標準のゴムタイヤ でしたが入手し易いタミヤパーツから リヤ はスポンジ フロント は当時発売されていた サンドイッチタイヤ ! を初めて使ってみました 。


結果は ・・・

自分としては拘って完成させた 1 台でしたが同級生らとラジコンカー を走らせている河川敷で シェイクダウン を行うと ・・・


スタート させてすぐに気づきましたが


真っすぐ 走ってくれません !


直進状態で有っても走らせるうちにどちらかに寄っていってしまい プロポ側のトリム調整やフロントタイヤ側の 各部調整によりいくぶんましにはなったものの 、 コーナリング 時の扱い難さ はあまり変わらず


実車同様の 失敗作になってしまいました ・・・


こんなところまで似なくても良かったんですが 、 type 80 の実戦デビュー時期からすれば 自分が走らせたほうが先だったかもしれず もしかすると type 80 のその後 の状況の暗示だった とも言えるのか ? ?

根本的な原因は小中学生レベル が定規を頼りに鉛筆で寸法や 穴開けの位置を決めていたのではまともな形にはなっていなかった ということでしょうね 。
実際に製作は出来ませんでしたが 潜水艦や 飛行船等  この当時は 商品としては見かける 機会があまり無い と思える ジャンル のラジコン を自作出来ないか と 構想することも何回か有りました 。



何回か走らせてはみたもののある時 リヤ の翼端板 部分が走行中に リヤタイヤ に接触してしまい カウル のリヤ部分を破損 スポンジタイヤ も一部が欠けてしまい 、 それをきっかけに自分の type 80 もお蔵入りしてしまいました 。



さすがに 本物は買えませんが フルスクラッチ による自作なら時間をかければ出来るかもしれませんので ・・・









JLD 2026 くらいのエントリー を目指して  1 / 1 スケール で自作してみますかね 。
( さすがに動くようにして デモラン は無理 でしょうが人が座れるようにはしてみたいところ )

 Lotus 製では無いのでエントリー は出来なくても Lotus 岡崎さんブース の隅あたりくらいになら置いてもらえるかもしれませんので 。


Posted at 2016/05/07 19:37:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | ロータス・フォーミュラ etc | クルマ
2016年03月29日 イイね!

ズバリ 買いましょう ! ?

ズバリ 買いましょう ! ?
今回の JLDにエントリーしていると思われる F1 で現状明らかになっているものとしては タイプ 88 Bタイプ 97 T の 2 台


初めて JLD等で ロータス F1 をご覧になる皆さんには大変良い機会になると思うのですが 、 どちらもJLD に登場するのは 3 回目になり歴代の チームロータス の F1 マシン にはタイトル写真のようなモデル が有りますので以前にも参加されてご覧になられたことの有る皆さんの中には 「 別のモデル も見てみたいなぁ ~ 」 なんて場合も ?





英国で




" タイプ 78 が売ってました !  "

なんてのを以前掲載しましたけれども 、 他にもなにかこういった売り物が有れば





JLD 開催までの日にちは少なくなってきていますが 「 今年は F1 でエントリー したい ! 」 とご要望が有れば " ロータス界の マッコイ じいさん " が ・・・

たぶん 、 なんとかしてくれるでしょう ! ( 他力本願ですみません )



しかし 肝心の ブツ が無ければ いくら マッコイじいさんでもさすがに無理かもしれませんので


・・・ 何台か を見つけてまいりました !






いずれも英国でですが 、 まず 最初は今回の中では一番お手頃そうな 1 台ではないか というところで 、 こちらのお店の

1990 年シーズン に使用された ロータス ランボルギーニ タイプ 102







歴代 ロータス F1 の中では唯一の V12 エンジン 搭載車





エンジン の調子もバッチリ のようで もし JLD に参加してくれた際にはFSW のストレート でも快音を聞かせてくれそうです 。







イベント等での走行機会も有るかとは思いますが 、 レストア もしっかりされているのか各部もきれいな状態のようです 。


タイプ 102 は前年のジャッド V8 から ランボルギーニ V12 へ変更されパワーも上がったことから成績の向上が期待されたものの 、 獲得ポイントは 15 P から 3 P へと減少してしまい キャメル のスポンサー撤退の原因の一つにもなっていて歴代 ロータス F1 中の印象度としてはあまり強く無いながら 、 カーボンモノコックが激しいクラッシュによりバラバラ になってしまいコース上に ドライバー M ・ ドネリー が投げ出される という ショッキング なシーン によって 記録よりも記憶に残る 1 台になっているように感じられます 。


サイト内 の説明によればこの個体は ファーストドライバー で有る D ・ ワーウィック がハンガリーGP で タイプ 102 のリザルト としては最上位の5 位入賞を果たした時のものだそうで 、 タイプ 102 の中では 一番高評価にもなりそうな 個体ですね 。






この個体ではないかもしれませんが







バットマンディフューザー とも呼ばれた こうしたディフューザー を チームロータス も試していたとは知りませんでした ( この頃はもっぱら マクラーレンホンダ を応援していましたので印象が薄く覚えが無いだけなのか  ・・・ )






こちらのお店に有るのは 1982 年シーズン エントリー の タイプ 91 マンセル車





こちらは 1981 年シーズン の タイプ 87 マンセル 車







シャシー ナンバー は 87 - 4 号車で ラスベガス にて行われた US GP で マンセル のドライブ により 4 位 入賞時の車両


ご希望有れば CTL にて タイプ 88 仕様へ変更可能かも ?

( ただし 別途 オプション 要 ? ? )





こちらのお店には 1960 年モデル の タイプ 18 ( シャシー No 914 ) も有りますので 「 ウイング はいらねえ ! 空力パーツ の助けなんて 邪道 ! !  漢 は黙って葉巻型 」 な方にはおススメの 1 台です 。









タイプ 18 の場合はエンジンを載せかえることで 2.5 L の F1 仕様 と 1.5 L の F2 仕様が有り 構造を簡略化することにより FJ にも対応が可能 、 この個体は 1.5 L のコベントリークライマックス FPF エンジン を搭載する F 2 モデル のようですね 。





タイプ 18 は チームロータス 初のミッドシップ エンジン車



こうした ヒストリック モデル の場合 ほとんどの価格が P.O.A で問いあわせてみないと分かりませんが 、 以前 映画 " Rush " 公開時の プロモーション イベントの中で紹介されていたのが母方の家系が バッハ の子孫で 大富豪ながらなぜか本人は お笑い芸人になってしまった ? タイムボム の ニック さん 。


更にお母さんが F1 好きということで 購入されたのが ・・・




1977 年に ニキ ・ ラウダ が 乗った フェラーリ 312 T2

( ほぼ同時代ですので タイプ 78 もこれくらい  ? タイトル は取れませんでしたが )




こちらは マンセル がドライブ した ウィリアムズ ホンダ


ニック さんの為に JLD でのステージイベント に " F1 漫才 " ・・・ のコーナー を設けますので 、 是非 タイプ 78 をお母さんに購入していただき ロータスオーナー として エントリー していただけないでしょうかね ・・・ 。






ウイング が無いほうで良いですから 、 チャップマン さん是非  1 台 。




あの車は既に 日本に無かった ? !





今回検索していて驚いてしまったのがこの写真でした 。

昨年 10 月末の記事で英国ドニントンパーク サーキット に併設されているミュージアム に G ・ ビルヌーブ がドライブ した フェラーリ 312 T5 が新しくコレクション として加わった というもので 、 同じ写真を使った記事が 12 月の英国テレグラフ 紙 にも掲載されていました 。
それ自体はなんでも無いのですが後方の車両は " アンドレッティ のロータス 80 " と解説されているのですけれども ・・・




写真を拡大してみますと 、 タイプ 80 では無く タイプ 79 で有る ことがわかります 。


自分が驚いたのはこの タイプ 79 がグリーン で有ることで 、 JLD 2012 でご覧になった方はピン ときたかと思いますが











ドニントンの写真はこの 1 枚しか検索しても見つからず ミュージアム のウェブサイト を見ても収蔵車についての紹介等は見つけられなかったのでこれだけでは断定はし難いものの 、 カラーリング の特徴や ボディ の形状もよく似ているように見え もしかしたら JLD 2012 にエントリーされていた物と同一で有る可能性も非常に高そうです。

タイプ 79 は 1978 年用に 4 台が製作され タイプ 80 の失敗により急遽 79 年にも 1 台 ( シャシー No ML 23 ) が製作されていて 今でも全車が現存していますが 、 ESSEX カラー時代を経てその後は CTL のレストア 等により 最初から グリーン で有った ML 23 含め全車 が JPS カラー になっていた時期も有りました 。


その後 JPSカラー の ML 23 は日本に輸入されおそらくはオーナーさんの意向で このグリーンカラー に塗り直され レストア を受けますが 、 JPSカラー 時の様子は F1 モデリング 誌 Vol 42 の タイプ 79 特集や 2010 年にハセガワ が発売した ロータス 79 の初期生産分に付属した 製作資料用のカラー写真によって見ることが出来ます 。


JLD 2012 以降はこの タイプ 79 ( ML 23 ) がメディア 等に掲載されたのを見たことが無く 以前ご紹介したように オーナーさんがあまりイベント にエントリーさせることはしない意向のようだ というお話を聞いていたので 大切に保管されているのだろうか などと思っていましたが 、  他の 4 台の内の 1 台を人気も高い JPSカラーから  マルティーニカラー にしたとも考えにくく 、 これがまだ貸し出されているような形で有れば 今後日本に戻ってくるのでしょうけれども  相手がドニントン のコレクション でも有りますので 売却されてのことで有れば 今後日本で見ることは出来なくなった可能性が高そうです 。


JLD 2012 で数多くの ロータス F1 をご覧になれた皆さんは大変ラッキー だったかもしれません 。 同時に 本当に日本国内から タイプ 79 が無くなってしまっているのだとしたら自分としては大変残念に感じることでした 。



もし どなたか 英国ドニントン へ出かけられる機会が有り その時にも このグリーン の ロータス F1 が展示されていましたら ・・・


シャシープレート に ML 23 と刻印されているか ご確認いただけますでしょうか 。


出来ればそうでは無いことを祈りつつ 。

Posted at 2016/03/30 01:47:52 | コメント(3) | トラックバック(0) | ロータス・フォーミュラ etc | クルマ
2016年02月17日 イイね!

○ ○ ○ ○ まで売っていました

○ ○ ○ ○ まで売っていました 先日の自動車関連サイト等の記事で 今年2 月にオークション出品された 1957 年製 " フェラーリ 335 S " の話題がとり上げられていて 、 3200 万ユーロ ( 約 41 億 2.000 万円 ) で落札されたことが それまでのオークションでの最高落札価格と言われていた 2014 年 米国 ボナムス での 1962 年製 " フェラーリ 250 GTO " 3800 万ドル ( 当時の円換算では約 43 億 7.000 万円 ) を超えるのかどうか というのもその後記事になっていました 。

又 昨年 12 月には価格は不明ながら 英国では ロータス タイプ 78 が売られていたりも ・・・


フェラーリ はともかく そんな予算は勿論全く無いながらも タイプ 78 などは買えるものなら なんとかしたい ? という妄想に ついついかられてしまいますが 、 もう少し現実的 ? かもしれない金額の  こちらも個人的に興味をひかれてしまう車両の情報が掲載されていました 。


以前にも サーキット の狼 世代の琴線 にはどうしても触れてしまう 1 台であろう ランボルギーニ ミウラ
" イオタ SVR "
が販売されていると紹介されていた Autoblog  。





今回は インプレッサ  が紹介されていました 。


一見 カラーリング がされていないので ノーマル車にエアロパーツを装着した物にも見えなくも無いですが中身は バリバリ の元 ワークスカー で かなりの経歴を持つ個体でした 。

2007 年シーズンのWRC に P ・ ソルベルグ が主に使用した 1 台で 2 度の表彰台にも上がった実績も有る  " S 12 B " とのこと 。




そして 2007 年の グッドウッド FoS では C ・ マクレー がドライブ し その後マクレー は自家用ヘリ の事故で亡くなってしまっていることから この車が観客の前でマクレーがドライブした最後のラリーカー になるようですね 。

車のほうは一旦分解され新車同様に組み立て直されているそうです 。
エンジンはリビルトされてからほんの350kmしか走っておらず クラッチは270km走った時点で交換されていて新品のシートやハーネス 、 消火器 、ブレーキディスクとブレーキパッドが装備され サスペンションも完全にリビルト 。
ホイールもパウダーコーティングで塗り直されているということで まさに新車状態 ?


どうしても ワークスラリーカー と同じにしたい場合は購入後に プロドライブ へ頼めば あのカラーリング にも してくれるかもしれません 。







この頃のWR Car の場合IC は前へ移設されていたかと思いましたがエンジン上部に有るのは ?






直立しているのは サイドブレーキレバー なんでしょうね 。


販売しているのは 北アイルランドのオーマーにある C&M Motors


提示されている価格は 15 万 9.500 GBP でだいたい 約 2.600 万円くらい

けして買い易い価格では ・・・ 無いと思いますが 、 ラリーカーなのでワークス車と言えども製造された個体数は F1 より多く ヒストリック F1 よりはまだ現実的とも言えそうです 。



各モデルのデザインや 戦績の点等 の中で印象に残っており 自分のお気に入りとして一番な ラリーモデル インプレッサ としては




WRC 99 なのですけれども 、 今回紹介されているモデル にも 元 スバリスト の一人としては非常に憧れますね 。


グループ A での活躍を見ていてその後  インプレッサ WRX STi type - RA 発売が告知された際

「 ここまで 拘った造りの インプレッサはもう出ないかもしれない ・・・ 」

と CR - X の2 度めの車検を通した直後で有ったにもかかわらず 清水から 又も飛び降り ( 何回目だったでしょう ) 購入を決めたのですけれども 、 後に登場した WR Car の写真を初めて見た時は

「 なんてカッコイイ んだ ・・・ 」

と 超感動 ? しました 。



 

ボンネット のエア抜きが若干小さいのを除けば ほぼ外観は WR Car そっくりな 22B - STI 発売当時も非常に欲しいと思いましたが 、  さすがに 500 万円 では手が出ませんでしたね 。







97 年登場のWR Car 開発時の動画

冒頭 D ・ リチャーズ 、 D ・ ラップワース らと打ち合わせているピーター ・ スティーブンス は インプレッサ の WR Car デザイン を担当し マクラーレン F1 や ジャガー XJR- 15 のチーフデザイナー でも知られていますが 、 1985 年 頃には Lotus Cars のチーフデザイナー でも有り ニューシェイプ となった エスプリ や エクセル ・ M100 エラン 等のデザイン も手がけているので Lotus とも縁が有りますね 。


後半はレポーターさんが マクレー の ドライブするワークスカー に同乗していますが ・・・
胃の中はちゃんと空にして乗ったのでしょうか ?

こういう時はわざと失敗してみせたりするので かなりのスリル が味わえそうです 。

ちょっと驚いたのが レポーター氏がドライブ するラリーカー に マクレー のナビゲーター ニッキー ・ グリスト が同乗している シーン 。この時も観客がマクレー の時と同様コース にも出ているのには不謹慎ながら笑ってしまいます ?

・・・ ラリードライバーが運転している時ならまだしも 、 なんて命しらずな ! ?


けっこうなペースで走っているようにも見えますが ニッキー 氏 ・・・

もしかしたら けっこう 怖かったのでは ? ? ?


「 グラベル 」


と 警告もしてくれています 。

ラスト は ペースノート を読むニッキー 氏の ナビゲーション 付き

なぜか ドライバー のほうが多く喋って ? いるのには大爆笑 ! でした 。



WRC に復帰する トヨタ さん 、 4 WD ターボ とまでは言わない にしても





こんな外観の ヴィッツ も追加していただけると ありがたい ・・・

かも 。
Posted at 2016/02/17 23:56:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | ロータス・フォーミュラ etc | クルマ
2016年02月06日 イイね!

Lotus Toyota が在りえた可能性 ~ L9 エンジン の軌跡

Lotus Toyota が在りえた可能性 ~ L9 エンジン の軌跡

今年の初夢はこんな内容でした
( このブログを書き始めたのが1月初めでしたので  ・・・ )







"  1987年 F1 世界選手権 第 1 戦 ブラジル GP  ~

タイトルスポンサー が昨年までの JPS から キャメル に変わりその カラーリング がこれまでの ブラック から イエロー へと大きく変わったチーム ロータス  、 ドライバー は アイルトン ・ セナ と 初の日本人レギュラードライバーとなる  中嶋 悟

グリッド に並ぶ今年のマシン タイプ 99T 

話題の注目ポイントは 1982 年のタイプ 92 以来となる アクティブサスペンション の搭載 、  更に そのエンジン は前年までのルノー V6 ターボ では無く ・・・


 ホンダに続いてのエンジン供給という形による F1 GP  進出となった

トヨタ 初のF1 エンジン  が搭載です "





「 年明け早々からなに寝惚けたこと言っているんだ 、 いつも いかれた ? ことばかり言っていたけれど いよいよお迎えがきたか ! 」 と言われてしまいそうですが  ・・・


チームロータス の F1 に搭載されたエンジン として思いつくのは










































































おそらく多くの場合 最初に挙がるのではないか と思えるのが フォードDFV で  、 次にはターボエンジンの ホンダ or  ルノー 、 DFV登場以前の時代のほうが馴染み有る方の場合は クライマックス なんて場合も有るかもしれませんね 。

逆に あえてマイナーなほうから選ぶのならば  ジャッド ランボルギーニ 等 ・・・
 中には P&W のガスタービン や 少し前に話題が再沸騰した いすゞ ・・・  を挙げられるなんて場合も ?

( ここでどんなエンジンがイメージされるか ? でその方のお歳が分かりそうですね 、 自分の場合も ?
やはり フォード DFV です  )

しかしそこにはまず 100 % トヨタ の名前が挙がることは無いでしょう 。

勿論実際に搭載されたことまでは無いようですのでその通りなのですけれども  、 S1 エリーゼ 発売当初からのローバーエンジンが供給終了して以降 ヨーロッパ S でのGMエンジン搭載の事例を除き現在まで ロータス車の ロードモデル は全てトヨタエンジン になっていますが 、 「 英国車なのにトヨタ のエンジン  ? 」 とか 「 ロータス が日本のメーカーのエンジンを積むなら やっぱりそこは ホンダでしょう 」 というご意見も有るかもしれません 。
 
2004年にトヨタエンジン の エリーゼ 111R の日本導入を発表した際 当時のLCI 社長 南原氏 からは 「 トヨタエンジンを採用するロータス車が日本市場で受け入れられるかは未知数 。 売れ行きによっては今後の展開を考える 」 とも発言されていました 。

まあ歴代のロータスロードモデル が必ずしも自社製或いは英国メーカー製エンジンを搭載していたわけでは無いので そこに拘る必要はあまり無いのかもしれませんが 、日本での場合においては トヨタエンジン を搭載することでそれがユーザー側の安心感にも繋がりその後の売上を伸ばすプラス要素にも結果 なったように感じます 。

しかし自分の場合モディファイ する際のポイントの一つが " 自分の好きな タイプ 78 ・ 79 当時に使用されていたブランド名にパーツブランド等を極力合わせる " というのが有りまして 、 自車のエンジンについても 「 これが フォード か 或いは ( 黒では有りませんでしたが )  ホンダ だったらな ~ 」 なんて思うことも有りました 。

( 2ZZでもコスワース のピストン等ならアフターで組むことは出来ますし ホンダ の場合でもVTECへのエンジンスワップ という事例も有りますが いずれも費用が相当かかりますからあまり現実的では有りませんので )










ところが当時の状況次第では こうした87年シーズンあたりに トヨタエンジン搭載でチームロータス F1参戦 なんていうシーン が実際に見られたかもしれません 。 
 もし そうなっていたら現在のトヨタエンジン が載る ロータス車に対する私達のイメージ も多少違ったものになっていたかもしれませんね 。




実際に存在した チームロータス向けTOYOTA F1エンジン


年明けにたまたまトヨタ F1 の Wiki を見ていまして

" F1に関しては何度かエンジン供給の話が噂に上がっては幻となっていた 。
1980年代に ロータス と技術提携した際 チーム・ロータス へ供給するターボエンジンを試作したことがあったがチームの体制変動により計画は立ち消えとなった "

という記述に初めて気づき 「 えっ ~ そんな話知らないな 本当なのかな ? 」 と思える内容でしたが 、 チームロータス に関することですので個人的に非常に気になる内容でも有りました 。

この出典先として 赤井邦彦氏の " F1 トヨタ の挑戦 " という書籍 ( P 48 ) が紹介されていたので 実際に本を読んでみるとトヨタ関係者の証言も有ってどうやら試作されたことは間違い無さそうなもののどんなエンジンだったのかについてはあまりはっきりした内容は書かれていません 。
当時からはかなり時間が経っていることも有り関係者の記憶もやや曖昧なようで計画が立ち消えた理由もチャップマン の死や F1 で ホンダエンジン が勝ち始めていたことが挙げられていて 、 自分も読んだ際に感じたことでしたがこの2 つは時期的な差がそれなりに有り それを指摘するネットのコメントも見られ資料としての正確性にはやや不十分な印象が強いものでした 。




しかしこの件について みん友さんから 「 このエンジンについては " レーシング オン 471 号 2014年 7 月号 " に詳しく書かれている 」 との情報をもらい入手してみますと 、 1.5 L ターボ F1時代の特集記事の中で自分としては非常に驚いてしまうような内容が書かれていました 。

又 今回読み調べていく中で このトヨタエンジンについては以前にも レーシングオン 2009年 4 月号 で 小倉 茂徳 さんが取り上げられていて 主に 2009年記事ではチームロータス側への取材内容が 、 2014 年記事 ( こちらのライターは大串 信 さん ) では トヨタ 側が公表した内容についてが書かれていて 、 ライターさんが異なる為も有るのか片側の記事にしか書かれていないことが有ったり それぞれの内容に多少食い違いが感じられるような部分も有ったりと この F1用エンジンについて知りたい場合には両方をセット にして読まれたほうが良いようにも感じる形になっています 。




2009年の記事はこちらの アーカイブス vol 04 " レーシングエンジン "  にも収録されていますし併せて掲載されている いすゞ スバル HKS 等の 幻の F1 エンジン についての記事も読んでいただくと お好きな方にはおもしろい と感じられる内容かと思います 。



もしかすると自分同様初耳の方もいらっしゃるかもしれませんので 両誌の記事から引用させてもらいながら自分の感じるところもご紹介させていただこうと思いますのでご興味有る皆さん お付き合い下さい 。



知られているように1980年代初めには ロータス とトヨタ の関係が非常に親密になった時期が有りました 。 トヨタ 側はチャップマンの死後 ロータスカーズ の経営が深刻化していく中で支援の為株式を保有 ( 最終的に 16.5%  、 21 % と書かれている資料も有り ) トヨタ側からの自動車部品供給 GFRP の製法パテント購入 ( VARI ) 等を行っています 。


後年でもそのエンジンの存在は箝口令扱い ・・・ 2009 年 小倉さんの記事より

小倉さんがこのエンジンについて知ったのは 1999 年のこと

仏人ジャーナリスト J ・ クロンバック から 「 以前ロータスで " TOYOTA " のロゴが入ったエンジンを見た 、 興味は有るか 」 との連絡が有り 2 人でリサーチを開始 。

( このクロンバック というジャーナリストは日本とロータスとの関係を非常に深めた人物でも有り 、 第一回 日本GPにピーター ・ ウォー が参加したのも FIAを通じて " 欧州からのドライバーを招待したい " というJAFの意向を受けて クロンバック が ウォー に声をかけたからです 。  クロンバック の仲介により後にホンダ の第一期チーム監督となる 中村 良夫 氏がロータスを含む英国F1 コンストラクター を訪問 。 それが縁ともなったのかその後 チャップマン自身も一度来日しチームロータス向けエンジン開発交渉の為 ホンダ を訪問しています 。
又 タイプ 88 発表時のプレス向けチームリリース も作成しておりその和訳文が F1 モデリング 誌 vol.11 P73 に掲載されています 。 チームロータスの関係者では無かった筈ですがそんな関係からこうした極秘情報も持っていたんでしょうね  )

クロンバック が伝えてきた情報によれば エンジンの概要は

V6 ツインターボ に軸流式 SC を備えたもの

だそうで 、 これについて小倉氏が ロータスエンジニアリング に問い合わせてみたところ

「 そのエンジンの存在は確認出来ない 。 仮に存在したとしても共同開発ならばクライアント ( つまりは トヨタ ? ) の許可が無ければこちらから公表することは一切無い 」

という回答 。 そこで今度は当時所属していたエンジニア ピーター ・ ライト ( タイプ 78 ・ 79 等の空力デザイン も担当 ) に聞いてみると最初は 「 自分は別のプロジェクト を担当していたので 有ったとは思うがよくは知らない 」 と言われるも 、 クロンバックから聞いた内容を伝えると 「 そこまで知っているのなら ・・・ 」 という形で重い口を開いてくれたとのこと 。


ライト によれば " エンジンの仕様は 1.5 L の V6 ツインターボ 、 ターボには可変ベーン を備えて ターボラグ を抑え 、 ターボで過給された後軸流式SC で更に過給圧を高める " という仕組みだったそうです 。

ロータス側の開発トップ はロータスエンジニアリング のトニー ・ ラッド  ( こちらも タイプ 78 ・ 79 等の開発にも参加 ) で ラッド の下 過給システムを担当したのは ジェフリー ・ ワイルド 。

99 年時に取材出来たのはここまでだったそうですが 小倉さんは 2004年に P ・ ウォー に会った際このエンジンのことを質問されています 。 ウォー 氏のコメントでは

「 我々は エンジンを 6 基製作しトヨタからの要求は750馬力 、 日本からトヨタのエンジニアも来ていた 」

この 6 基が製作されたという件については P ・ ライト も証言していて、 燃料噴射は直噴式  900 ~ 1.000 馬力は発生した筈だ  とも語っていた とのこと 。

又 ウォー氏の記憶によれば 「 750馬力に達したことを伝えると トヨタは 6 基全てを日本に持って帰った 。 その後このエンジンについて 見聞きしたことは無い 」 そうで 、  この話をそのまま信じるならば1982 年以降のどこかでエンジン は全て日本に送られたことに  。

当時の状況としては 82 年 12 月 16 日 にチャップマン が亡くなり 、 この年は工販合併により現在の形の トヨタ自動車が誕生した年でも有ります 。
86 年半ばにトヨタ は所有する ロータス株を GM へ売却し提携関係が終了 、 直後の 7 月26 日に チームロータス から 87年シーズンは ホンダターボ エンジン を搭載することが発表されていますが 、 10 月 3 日 には FISA で F1 のターボエンジン は88 年までとすることが決定されています 。



小倉さんは偶然このエンジンかもしれない写真を見たことが有るそうです 。
2008 年 12 月ある学会での ロータスエンジニアリング による 2013 年以降の新 F1エンジン 規定に対するプレゼン資料に V6 ツインターボ + 軸流式 SC ! ながらメーカー名が入っていると思われるカムカバーは見えないように隠されているアングル の写真 ・・・ が使用されていたとのこと 。

これについてロータス側に質問してみたところ 「 当社が過去に製造したエンジンでは有るが当時の経緯は不明で 今回は写真を使っただけ 、 現物が存在するかも知らない 」 との返答 だったそうです 。

99 年 1 月に 当時の奥田社長から " トヨタ F1 参戦 " が発表されますが 、 参戦への決断にはこうした 80 年代の経緯も踏まえてのことも有っただろう ・・・ という形で記事は終わっています 。



トヨタ 側から見た事情 ・・・ 2014 年 大串 氏の記事より

後に書かれた大串 氏の記事を読むと 小倉氏が取材で入手された内容と幾つか異なる と思える部分も有るように感じます 。
( 当初こちらからブログを書き始めていたので一部内容や表現におかしく感じられる部分が有るかもしれませんが 御容赦を ・・・ )


両社の提携によりトヨタ との関係が親密化していく中で交渉の為に チャップマン も来日し帰国後は 以前ホンダ を訪れた際もそうだった そうですが ヘイゼル婦人や ウォー 氏に 「 日本の量産技術がいかに優れていて素晴らしいか 」 を夢中になって語っていたそうです 。 トヨタ と ロータスカーズでは チャップマン自身がCMにも出演した 81 年発売のセリカXX を筆頭に幾つかの共同プロジェクト を進めていて 、 こうしたコラボレーション は チャップマン と 豊田 英二氏が意気投合したことから始まったものだった とのこと 。


余談になりますが もし 後にロータスを買収することになったのが NUMMI 等でトヨタと提携していた GM で無ければこの時 トヨタ が他社と競合になったとしても ロータス買収を決断する可能性も十分有ったのではないかとも思えるのですが ・・・
残念ながら現在の状況下ではまず有り得ないことですね 。

以前トヨタ本社の中堅デザイナーの方 ( デビュー時の 86 の純正ホイールデザイン をされています ) から 「 若手や中堅クラスの社員からは ロータス を トヨタ が買収しては 、  との声も有る 」 と教えていただいたことが有ります 。
しかし現時点ではロータス側の負債が多過ぎて役員会 を通らないでしょうし 、 そんなことをすれば株主総会でも非難轟々 ? でしょうから  。。。



トヨタ と ロータスカーズ との共同プロジェクト は L1 から連番がつけられていて 乗用車用のV6 エンジン試作や セリカ XX以外のモデルの サスセッティング 等も有ったそうで 、  この連番の最後となる " Lotus - 9 " が F1 用エンジン の試作プロジェクト になり 終了後も長らくその内容が公にされることは無かったそうです 。


L9 計画は豊田 英二氏 直轄のものになりトヨタ社内でも極秘扱いになっていて

開発を担当したのは後にTMG で トヨタ F1 チーム を率いることにもなる 冨田 務 氏


L9 の 開発スタート はまだチャップマン が存命で有った 1982 年初め で

この当時の F1 エンジン の状況としては ルノー V6 ターボ が約 600 馬力 、 コスワース DFV が約 510 馬力程  。

一方 L9 によってロータス側が実現しようとしたスペック は驚くべきレベルで 構想時のエンジン出力は 750 馬力 !

エンジン本体は この当時の規則に合わせた他と同じ 1.5 L V6 エンジン ですが 、 750馬力を実現させる為の過給方法は遠心式圧縮機 に 軸流式圧縮機を加えた 2 段式
併せて 燃料は直噴式 という自動車用エンジンとしては非常に常識外れ ・・・ とも言える内容になっていました 。


Lotus -  9 とはどういうエンジン だったのか

L9 のエンジン仕様に関する提案は チームロータス側から行われ

その中心となったエンジニア は トニー ・ ラッド

元々は WWⅡ時にはロールスロイス に在籍し スピットファイア 等でも知られるマーリンエンジン の開発にも参加 。





その後 F1 に移りBRMでこれも特徴的な構造の H型16気筒エンジンの開発を手がけ 、 69年に チーム ロータス へ加入し タイプ 78 開発時にもキーマンの一人として参加しています 。

ラッド が構想したものはライバルより遥かに高い過給圧をかけることにより他を圧倒する馬力を得ること 。 その為 8000 から 10000 回転程度までを遠心式圧縮機で過給し その後軸流式圧縮機によって更に過給圧を高める というものだったそうです 。

2段過給については ターボ + SC  により異なる過給機を直列に繋ぐ方式が グループB時代のWRC での ランチア デルタ S4 や市販車でもマーチ スーパーターボ 等で見られますが これらはターボ の低回転時のデメリット を SC で補う という ものになる為 ラッド が目指したものとは目的が異なるようですね 。

特性の異なる過給機を組み合わせた多段過給の考え方は空気の薄い高高度での性能が必要とされる航空機用レシプロエンジン で既にWWⅡ時等から見られたもので 、 松本零士 氏の戦場まんがシリーズでも多段過給エンジンの描写が有ったような気がします 。

こうした発想は航空機エンジンも手がけた ラッド らしいとも言えると思いますが 、 自動車用エンジン エンジニア からは出てこない考え 同時に やはりレース専用エンジン とは言え自動車に応用するのは内容的に多くの点で無理が有った ・・・ というところかもしれません 。


通常自動車用に使われる圧縮機 で軸流式の採用はかなり珍しい例になるかと思えますけれども




現在のF1 エンジン の場合だと ホンダ だけがコンプレッサー側に採用しています 。




L9 の軸流式SCも " ジェットエンジン の前半部分を小型化したようなもの " とされていますので似たような形状だったのでしょうね 。


ただこうしたあまりにも従来の自動車用エンジンからかけ離れた内容に対し トヨタ側は将来F1への実戦参加の可能性は有ったにしても L9 はあくまで実験 レベルと捉えており 、 対する チーム ロータス側はこのエンジンを早く実戦投入しそのハイパワーによって タイプ 78 ・ 79 時のようなライバルチーム を圧倒するアドバンテージ を得たい ・・・

こうした認識のズレ が両社の間には存在したようです 。





( この時の トヨタ 側にしてみれば あくまで 実験 で有って 、 後の いすゞ製 V12 と同じレベルの位置づけだったようですね )

軸流式圧縮機については当時の英国軍ヘリ用のガスタービンエンジンを参考にしたロータス側の内部設計によるもの 。 小倉氏の記事に有る ジェフリー ・ ワイルド の名前はこちらには出てきませんが 、 ジェフリー ・ ワイルド もラッド同様 ロールスロイス から BRM に移籍していて この計画に参加したのも ラッド が声をかけたことによります 。


高回転に対応するCDI を使った点火システムは ロータス側では用意出来なかった為 日本電装 が開発を担当 。

遠心式圧縮機についてはロータス側がターボメーカーと交渉するも特殊なサイズなことも有って纏まらず トヨタ が内製することになったそうです 。 この点はほぼ同時期に開発されていたことになる WRC でのグループ B セリカ ・ ツインカムターボ のターボエンジン開発ノウハウ も活用されたとのこと 。


難航する開発 もう一つの課題 直噴化

高圧縮に対するノッキング対策ととして考慮されたガソリン直噴化でしたがこちらも開発が難航します 。 この当時トヨタ側でも量産エンジン向けの基礎研究は行われていたそうですがまだ初歩段階レベルでレーシングエンジンへの応用は無理 、 ロータス側は直噴の燃料制御をピエゾスタック ( PZT ) というアクチュエータ で考えていたそうですが現在は量産エンジンにも普及しているものの この当時は軍事技術に関わるような扱いの物だったとのこと 。

それでも 82 年 12 月には試作された単気筒エンジン が回り始めたそうです ( チャップマン の死が 82 年 12 月 16 日 )

そして83 年秋にようやく V6 エンジン の形になりますが ( 計画の3ヶ月遅れ ) 直噴エンジン による燃焼の問題の為にトラブルが多発 、 パワー や耐久性を見る以前のレベルだったようです 。

その後 85 年秋にトヨタ東富士研究所内にてチーム ロータス関係者を招いてのベンチテスト が行われたそうですが 、 この時の仕様は 直噴では無く通常のポート噴射に 2段過給も通常のターボのみになっていたとのこと 。
冨田氏によれば 「 高回転まで澄んだ見事な音色で回った 」 そうで 700馬力を発揮したとのことですが 、 既にこの時 F1 では厳しい燃費規制の時代に入りかけていて ラッド が狙った 「 とにかく高過給でハイパワー を得る 」 というコンセプト は時代に合わなくなりつつ有りました 。


 開発にあたってはあまりに困難で膨大な作業に冨田氏も音を上げたくなったそうですが 、 こうした直噴や 高過給 技術 ( 高圧コモンレール と ピエゾ制御 ) の開発時の苦労も 、 現在の高効率自動車用エンジン において不可欠なものとして活きているそうですので なにごとも万事塞翁が馬とも言えるのか ?


しかし F1 でのターボエンジン に対する規制の強化や ロータスエンジニアリング を含む グループロータス を GM が買収することによりトヨタ との提携が終了する形になったことも有り 、 この 85 年秋のベンチテスト が事実上の L9 プロジェクト 終了になったようです 。


2014 年の記事ではおそらく トヨタ側から公開されたと思われる L9 エンジン の写真が 1 枚掲載されていて エンジン自体は大変コンパクトに作られていたそうですが 、 自分も感じた点ですけれども エンジン上部に SC ユニット が有り重心が高いように思われ 大串さんが 冨田氏に質問したところ当然把握されていて 「 このままではレーシングエンジンとしては使いものにならず もし二次試作の機会が有れば給排気位置を逆にした 」 と答えられています 。
 
冒頭の自分の初夢はこの記事を読んだことでの (  さすがに SC を併用した2段過給は使用されなくなっていたかと思いますが ・・・ ) 86 年に実戦用に再設計された V6 ターボエンジン で 87 年 シーズン  F1 GP へ トヨタ がついにデビュー する ・・・
という妄想 ? からのものでした 。



それでも残る謎 ~  全貌はいまだ明らかになってはいない ?


今回 レーシングオン の両記事を読み チームロータス向けのトヨタ初の F1 エンジンについてそれまで未公開だった多くの部分が技術的な内容まで紹介されていて大変興味深く感じました 。

しかし 両記事の内容を比較してみると エンジンが発生した出力と仕様の表現にはかなり差が見られる 、 又  トヨタ 側が引き揚げたと ロータス側関係者が証言する 6 基のエンジン について 何故 冨田氏は全くふれていないのか ? 
ロータス側も参加した と冨田氏が言う 85 年秋のベンチテスト 時点では ターボ + SC のシステム はまだ完成していない にもかかわらず なぜ P98 に掲載されている開発着手時に計画されていた本来の仕様のエンジンの写真が存在するのか ?
この写真こそ 小倉氏が 2008 年に学会において見たものではないのか ?

・・・ 等 いろいろ疑問に感じる部分も残りました 。


技術レベル的に非常に困難な点が多かったことも有りトヨタ側が公開した内容のほうがどちらかと言えばより信憑性が高いようにも感じますけれども 、 他にも時期的なものや仕様面にもやや食い違いが感じられる部分にはチームロータス関係者が小倉氏に話した内容には事実では無かったものが多かったのか ? 或いは 冨田氏がかなり控え目な内容部分しか答えていなかったのか ・・・
両記事を同じ人物が もしくは共同で書いていればこうした点ももう少しクリア になっていたかもしれませんね  。


しかし 仮に ロータスの買収相手がGM では無く ロータス とトヨタ の関係が継続して 或いはより親密になっていたとしても Lotus Toyota 誕生は難しかったかもしれません 。


85 年終盤からは ホンダ V6 ターボ が連勝し始め 後にセナは 「 ホンダエンジン で戦いたい 」とホンダ側に直談判に出向いたとも聞きますので 仮に実戦型の TOYOTA V6 ターボ が完成したとしてもレースでの実力は未知数ですから当然 反対しそうです 。 実際 ウォー 氏のコメントでも 86 年にセナから 「 ホンダエンジン が欲しい 」 言われ 「 ルノーとの契約が残っているから駄目だ 」 「 ならもう ロータスでは走らない ! 」 という 遣り取りが有って 、 セナ を繋ぎとめる為に ルノー側に違約金を支払う破目になっています 。


実際 Lotus Toyota は 実現しなかった ・・・ 

 実走行可能なエンジンが完成したのかも怪しいレベル で有り 、  こちらも最初から試作のみが目的だったとは言え 一度はテストラン も行った " いすゞ V12 " にも及ばない形では有りますけれども トヨタエンジン が搭載された ロータス 車に乗った一人として 幻に終わってしまったこの L9 プロジェクト により造られたエンジンが 当初の構想通りのような トンデモ  仕様では無かったとしても


是非 ! 実現して欲しかった !! ・・・・


と どうしても感じてしまう " if " の出来事でした 。
Posted at 2016/02/06 17:58:23 | コメント(3) | トラックバック(0) | ロータス・フォーミュラ etc | クルマ

プロフィール

「reborn」
何シテル?   01/21 22:52
多くの方と同様にサーキットの狼でロータスを知りその後JPS時代のF1での活躍が強烈な思い出となり、いつかは乗ってみたいと思いつつついに夢がかないS2エキシージ...
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