いや 2年近くでしょうか ・・・ ?
改元を控え 「 平成を振りかえる ~ 」 的な話題を幾つか見るなか ちょうど興味のわく資料を目にする機会もありましたので 平成 7 年 ( 1995 年 ) の フランクフルト ショー にて発表された Elise に因み ? タイトル の様な話題で久しぶりにブログを書いてみようと 、 5月初めより書き始めていたのですが 改元までには残念ながら間に合わず ・・・
まあ 昭和も一部含む内容ですので こだわることもありませんかね ?
40年間分の Lotus Cars の生産台数状況から見えてくるもの
毎年 多額の 赤字 を計上してきた
ともされる Lotus Cars
自分のブログでもそれに因る Lotus Cars の経営問題をこれまで何回か話題にしてきたのですけれども 、 「 なぜ そんなに赤字が続いてしまうのか 、 そうならば これまでには毎年どれ位の台数を生産・販売してきたのだろうか ? 」 というのが ずっと感じてきた疑問点の一つでした 。
これについては最近でも AUTOCAR JAPAN において 3月19・20日 の記事 ロータス最新情報 2 で 現 Lotus Cars CEO フィル ・ ポッパム 氏 により 「 昨年は ( 2018年 ? ) 1630 台を販売し 、 工場の生産能力は 5000 台 である 」 と語られていたり、 これまでにも Lotus Cars のウェブサイト や自動車メディア 等の記事で 「 何年は何台 」 或いは 「 この年は何年に対して 何% 増加した ~ 」 等と時折書かれていたりするのですけれども 、 こうした実績は単年での比較だけでは意味が薄く 「 もっと長いスパン で検証してみないと意味が無いのではないか 」 というのが自分の感じるところでした 。
( 実際には生産数だけでは無く そのどれだけが販売出来たのか や 経営状況を判断するには他にも考慮すべき箇所が数多くあって バランスシート 等も見たいところですが 、 自分の様な一般人には多分無理でしょうから 今回は主に生産台数に注目することにします )
一番良いのはある程度の期間を纏めた統計資料の様な形のものだと思いますが これまで自動車メディア の記事を見たり ネット を検索してもあまり良い資料を目にすることが無く 、 今までで一番参考になったのは マークラインズ という会社の 自動車に関係する情報を纏めた サイト で ここに Lotus Cars を含む 世界各国の自動車メーカー 生産台数が出ていたのですが 元々が法人向けのサイトで 個人でも利用は可能なのですけれども利用する為の利用料金が確か月々\ 30.000 ~ 40.000 程必要で 自動車業界等に勤めていて資料として有用であるならまだしも 、 個人的興味から知りたいだけなのでたまに見れれば良い ・・・ といった レベル で利用するには費用的にハードル が高すぎる ? !
一応無料でのお試し登録というものが出来これをすると 24H に限り 全内容にアクセス可能で そこで確認出来た 2003 年から2011 年までの実績に自分が自動車メディア等で見聞きしてきたものを前後に付け加える形で纏めたものを2015年10月のブログに書いたりしてきたのですけれども 、 特に S1 Elise 登場以前と以降ではどう変わったのか 等 新たな疑問のほうがかえってわいてくる形に ?
今回自分が豊田市中央図書館にて見ることが出来た資料は日本自動車工業会 から発行されている 世界自動車統計年報 というもので 2017 年から2000年代初めまでの実績が掲載されていて 又 この資料内の 英国メーカーに関しては 自動車製造販売者協会 ( SMMT ) という 英国の団体が纏めているデータ が使われているのですが 、 このSMMTが発行している年報も 2007 年から以前のものが収蔵されていて ( 勿論 ? 英文 ) これらを組み合わせることで まだチャップマン が存命であった 1977 年 まで生産数については 遡ることが出来ました 。
今回は それを一覧にしてみたいと思います 。
年報 掲載内容 例
この中から今回引用したのは 各年の 総計 と モデル別の生産台数 、 輸出された台数 、 英国内での新車登録数 ( 比較用に以前掲載した同時期の日本での登録数 JAIA 発表より も併記 ) になりますが 、 一部 データが無く不明な部分も有りますのでその点はご了承下さい 。
又 新車登録数 と 輸出数 の合計は生産数 と必ずしも一致しません。
81 ・ 82 年に関しては Lotusが開発に関与した デロリアン の生産台数も掲載されていましたのでこれも併せて 、 又 ケータハム も掲載されていたので確認出来た範囲の部分を参考用に載せてあります ( 車種は オール 7 シリーズ として )
生産されたモデル の年代別 目安 ( 英 Wiki より )
生産台数 一覧
( 表をクリックして拡大して見て下さい )
この10年間で一番気になったのが 1980 81 年の生産台数の落ち込みでした 。
1976年以前の状況がわかりませんので一概に言えないものの 1977 ~ 79 年の間は 1.000台 を超えているので、 40~30% 程になってしまったことによりかなり経営への影響が出たのではないでしょうか 。 その後 87年の段階でも 1.000 台を超えるところまでは回復出来ていません 。
原因としては 1979年から80年にかけて起きた第2次オイルショック の影響が大だったのではないか と感じます 。 後述しますが 日本でもスーパーカーブームやサーキットの狼の影響からか それまで二桁だったものが三桁になっていた登録数がこの時再び二桁に落ち それが 1984年まで続くことになります 。
1982年末 に チャップマン が亡くなり その後急速に経営状況は悪化していき チャップマン 家は Group Lotus 売却を決断することになった 等と Lotus に関する書籍等には書かれていますが 、 1981 年には ディーラー の問題により一時北米での販売が ゼロ にもなっていることもあり Group Lotus の経営危機は 既に チャップマン 存命時に始まっていたのかもしれませんね 。
1979 年と言えば F1 では Team Lotus が タイプ80 の失敗により前年の天国から地獄 ・・・ ?技術の袋小路 に入り込んでいく時期にも重なっていきますので 、 まさにチャップマン にとっては弱り目に祟り目 な状況だった可能性も大きかったのではないでしょうか 。
1976年以前の日本の登録状況を改めて紹介しておきますと
( JAIA の記録では 1968 年から確認出来ますがそれについては以前のブログを参照下さい )
1972年 16 台 アトランテック商事がインポーター に
1973年 32 台 第一次オイルショック
1974年 53 台 スーパーカーブーム 1974 ~ 78 年頃まで
1975年 91 台 サーキットの狼 連載 1975 ~ 79 年
1976年 136 台 F1 イン ジャパン 開催
となりますが 、 やはり スーパーカーブーム とサーキット の狼の影響は非常に大きかったと感じますね 。
追記
デロリアン DMC-12 の生産台数に関して
生産自体は別の工場で行なわれており Lotus との契約内容も把握していないので直接経営面に影響は無かったかもしれませんが 、 生産台数によっては何がしか エンジニアリング面での収入にも繋がったのではないか とも感じられ 、 又後のスキャンダルの際には Lotus 関係者 にも捜査の手が及んだり これにより P ・ ウォー 氏が Team Lotus を離れる決断をする等 良くも悪くも 様々な影響があったのだろうと感じられます 。
以下 2 へ 続く 。