
報道や天気予報図を見ると 2 つの台風がほぼ同時に接近し今後は全国的に大きな影響を受けそうな雰囲気です 。
小学生時代は「 暴風警報が出れば学校が休みになる ! 」 なんてのんきなことを考えていたような気がしますが 、 社会人になってからは警報が出ようが関係有りませんので影響が少ないにこしたことは無く 。
水不足にならない程度に雨が降ってくれれば ・・・ とは思いますけれども 。
幸い水害で苦労した経験は少ないのですが唯一の思い出が ちょうど今の時期にも近い 2000 年 9 月の
" 東海豪雨 " によるものでした 。 東海豪雨については Wiki にもかなり詳しく紹介されていて台風14 号の影響により 「 名古屋市では11日の日降水量だけで平年の9月の月降水量の2倍となる428ミリが降った 」 ともされ
" 100年に一度のレベル " なんて説明が当時されたりもしました 。
名古屋市全体の多くの場所で大小様々な浸水被害が有りましたが特に被害が大きかった場所の一つが図の天白川 ( 赤い線 ) 流域 で当時住んでいた自分のアパート は青い
← の先端辺りになると思います 。
これは当時の名古屋の地下鉄路線図ですが自分のアパート は画面右下の 野並に有り赤の桜通線で名古屋まで通勤していまして次の鶴里駅までの間に天白川が有りました 。 この野並 ⇔ 鶴里間はやや特徴的な地形で野並駅に面した野並交差点から西へずっと下っており地下鉄はこの川の下をくぐるように走っていて ちょうど
W のような地形で 中央に天白川が有り堤防の東西両側は川底よりやや低くなっています 。
11日夕方から雨が強くなり始め予報でも夜間にかけてかなり雨がひどくなりそうでしたので会社も珍しく ? 女子社員を主に 早く帰宅するように指示を出し自分も最後のほうでしたがいつもよりは早く 20時 30 分頃には会社を出ました 。 名古屋駅につく頃には靴は中までズブ濡れだったと思いましたが 、 まあ それくらいは仕方無いでしょう 。
驚いたのは名古屋駅に着いてから ・・・ 既に交通機関への影響は出始めていて詳しくは憶えていませんが電車が動いていない為帰宅困難になった人達が公衆電話の前に数珠繋ぎに列を作っていて初めて見るような光景でした 。
「 皆さんお気の毒だなぁ ・・・ 」
なんてことを思いつつ 地下鉄の改札まで辿りつくと
桜通線はほぼ中間に有る 桜山駅までしか動いていませんでした !
「 地下鉄なら地下だから雨の影響も少ないだろう 」 などと甘いことを考えていたのが失敗の元 でしたね 。 ただこの時 名城線 ( 茶色 ) は終点の新瑞橋まで動いておりここから歩くので有ればまだ雨の中でもなんとかなります ので迷わず途中で乗り換えながら新瑞橋までは辿り着けました 。
ここからは歩道を歩いていても足首からその後膝下あたりまで水に浸かりながらだった気がしますが 一路 野並のアパート を目指します 。 時間は 22:00 前後だったかと思います 、 停電しているのか灯りが消えて真っ暗になっているマンション の駐車場の車が水に浸かったのか クラクション が鳴りっぱなしになっていたりしてちょっと不気味な雰囲気でも有りました 。
1時間近く歩いたかやっと天白川にかかる橋までくると異様な光景が ・・・
水かさがかなり増えていたのでそれまで車は既にほとんど走っていませんでしたが2 車線道路のちょうど橋の上だけに 2 列になって無人の車が大量に停まっていました ( 後で分かりましたがこの橋の先で通行止めになっていて身動きがとれない車の列でした )
橋を渡りながら 「 後少しでアパート だ 、 シャワー を浴びて早く寝たい ・・・ 」
と思いつつ 歩いていると 前方の人だかりが目に入りました 。
人だかりの前には警察官がいて
「 この先水深 2 m 程有りますので通行出来ません 」
「 ! 」
アパート までは直線で 後 1 km も無い距離かと思いますが帰宅出来なくなりました 。
( ちょうど一部のロータスオーナーの皆さんにもお馴染みのタイヤショップ 前です ・・・ )
腰くらいまでなら濡れても渡ろうとしたと 思いますけれども 、 さすがに 泳ぐのは不可能でしょう ( 泳ぐような距離は数十m 程度だったでしょうが )
これが翌日朝と思われる天白川堤防の東側 白い柵の右側写真外に天白川が流れています 。 この池 ・・・ の下はタイヤショップ 近くの自動車学校のコースで大きな被害が出たエリア 、 赤い
↓ 下あたりが後で出てきます GS の場所になります 。
これもその近くで奥に写る
材木屋さんは母親の姪が嫁いでいる先でした 。 ロータス に乗るようになってから知りあった あるオーナーさんのお住まいがこのすぐ近くでやはり当時乗っていた車や作業場で使っていた機械が水没して駄目になったそうで ・・・
近くに有る大昔 ? 自分も通っていた小学校も 1 F はここまで水がきたようです 。
野並交差点付近から見た西方面 。 三菱マーク の GS が先ほどの赤い矢印のあたりですがやはりとても歩いては ( 泳いでは ? ) 渡れませんでしたね 。 後日父親が翌朝撮影してきたビデオを見る機会が有りましたが かなり急に水かさが増えた為か パトカー も 1 台水没しているのが映っていました 。 ( 回転灯 はなぜか回っていましたね )
野並地区に自衛隊が災害出動したのは現在まで含め この 1 回だけだと思います 。
完全に水がひいたのは2 ~ 3 日 かかったかもしれません 。 こちら向きの車は通行車両では無く水没して動けない車です 。
これが野並交差点を西側から見たところで ファミリーマート の看板下あたりに地下鉄野並駅が有り ピンク の看板 ( アビバ ? ) の建物横が自分のアパート の場所でした 。
通行止めになった後は歩いて渡れないので どうするか暫く考え 、 渡れる橋を探そうと一旦戻り大きく北方面へ迂回する形で再び歩くことに 。
次に試みた 橋も先ほど同様水かさが有って先に進めず 断念
更に迂回した先の橋はなんとか先まで進めそうでしたので 「 やれやれ 」 と歩いていると 、
ギョッ とする物が目に入ってきました ・・・
橋を渡って多分膝下まで水に浸かりながら歩いていると 少し先に 電話BOX のような箱が流れていきます 。
最初はなにかよく分かりませんでしたが 、 仮設○○○ でした ・・・
さすがに一度足が止まりましたが ここで引きかえすことも出来ませんので考えるのを止め目の前を 流れ過ぎた後 は大通りを目指して歩くことに 。
大通りまで出ると歩道までは水がきておらずかなり大回りになりましたが なんとかアパート まで辿り着きました 。
一刻も早く寝たいところでしたが 気になっていることを確認に 。
自分の部屋は 2 F でしたので安心していましたが 駐車場に有るインプレッサ がどうなっているかが気になりました 。
アパート の駐車場はやや前下がりになっていてエンジン や前輪はやや水に浸かりかけていましたがまだマフラー等には余裕が有りました 。 しかし増えてきた水はドア の前端付近まで近づいてきていて後少し増水するとサイドシル を越えそうです 。 ただ場所を移動するには前の道路を走らねばならず その場合水位はサイドシル を越えるので車内に浸水するおそれが 大 、 又 マフラーも水に浸かるので万一エンスト した場合はそこで動けなくなる 。
なによりぐしょ濡れになりながら 4 ~ 5 時間歩き続けたことも有って疲れ果て ・・・
「 後はなるようになれ 」
と 移動は諦め シャワー を浴びて寝てしまいました 。
朝目が覚めると雨はあがっていましたがニュース を見るとまだ 桜通線は止まったままでした 。 名城線は動いていましたので 6:00 頃には家を出て昨日夜 ( ・・・ 今朝 ? ) 歩いたルート を逆に辿る形でほぼ定時には出勤することに 。 豪雨の影響で出勤出来ない社員も多く 自宅に浸水被害が有った同僚も何名か有りました 。
出勤前に気になって車を見てみると既に周りの水はひいていましたが 、 ドアを開けると車内は独特などこか埃っぽく泥くさい臭いがし 床を触るとカーペット はびっしょりでした 。 この当時車両保険には入っていませんでしたので頭が痛い形でしたがとりあえず 一度ディーラー へ預けることに ・・・
自分が受けた被害は車を乗れるようにする為の多少の出費と スラックス ・ 靴 等程度で済みましたが 、 後日多くの歩道上には被害を受け回収を待つ家財道具が道路脇に並べられ 数多くの車両水没や 家屋の浸水被害 、 亡くなられた方も数名有りました 。
今回の台風接近の被害が最小で有ることを願いまして 。