
クルマ好きには時計好きが多い、と言うデータがあるそうです。
時計と言ってもスマホの液晶に映る時計を眺めて悦に入るとか、駅の大きな時計をみてグッと来るみたいなマニアックなことではなく、いわゆる腕時計。
それも機能性より個性やステイタスに重きを置く機械式と呼ばれる時計や、アンティークが好きなんだそうです。画像はその機械式時計の心臓部、所謂ムーブメントです。
かくいう私も一時期、世間では高級時計というジャンルに入る時計を数本持っていました。
とは言えそこは庶民ですから、高級時計と言っても手の届く範囲の「実用時計」の少し高価な価格帯のものです。分かる人には分かると思いますが、PATE○とかヴァシュロ○とかではなく、○レックスやIW○等です。今は人に譲ったり売却して他のものを購入したりで、安価なものが2・3本残っているのみで、代わりにその当時から好きなクルマの方にのめり込んでる感じです(笑)
その「機械式時計」の衰退・苦難と現在までの歴史が、どことなくクルマの歴史と似ているなと思って、ちょっと書いてみました。
もともと腕時計は、ぜんまいと歯車を組み合わせて動かす懐中時計を小型化して、腕に巻けるサイズにしたものです。当時の技術では困難を極め、その製造の難しさと相まって宝飾品と同列に扱われたそうです。貴金属のケースに収められ宝石をあしらったそれは、ステイタスの証でした。
しかし、時計としての機能は日に+-数分の誤差であれば良い方で、性能的には当然まだまだでした。
それから数十年の歳月をかけて、様々な新機構が開発されて性能も良くなり、日差+-数秒程度の精度まで向上し、価格も製造技術の発展と機械化によってずいぶん下がりました。しかし、性能面でもコスト面でも、ぜんまいと歯車を組み合わせて機械的に時間を測る機構では、限界も見えていました。
そこに、かの日本が誇るセイ○ーが、「クオーツ」なる電気式のシステムを開発したのです。今から40数年前それまで時計と言えば機械仕掛けが当たり前の時代、まさに革命だったそうです。開発当初は「機械式の数倍の精度、電池が切れるまで数年は放って置いても駆動する利便性、オーバーホールのサイクルの延長」などで、それまでの機械式よりもより高価で高級なものとして売られました。
参考画像:クオーツモジュール(いかにも安価に大量に作れそう・・・)
しかし、それからまもなく、時計の価格破壊を起こします。クオーツショックと呼ばれたそれは、工場と製造機械さえあれば誰でも大量に、そして安価でそれなりに高性能な時計が作れてしまうようになり、実用時計であっても数万円していた腕時計を、使い捨てすら惜しくない程度のものに変えてしまいました。
この時、欧州の某時計大国の名門も含めた多数の時計メーカーが、規模の縮小・休眠・廃業など、惨憺たる状況となったそうです。そして頑なに機械式の伝統的な時計を作っていた名門もクオーツ時計を生産するようになり、それでも大規模な工場を持った普及品を作るメーカーには太刀打ちできず、青息吐息で細々とやっている状態だったそうです。
それでも機械式時計は宝飾品・高級品・趣味と言う限られたシェアの中で生き続けます。そしてここ10数年、機械式時計は復権してきました。機能的・性能的・価格でも足元にも及ばないのに何故?
それは電気仕掛けとは違う温かみ、オーバーホールさえ適切に行えば何十年でも使え、壊れても必ず直せる、歯車と螺子と発条で時間を測ることを可能とした先人の英知を感じられる・・・など、「感性」に訴える理由ばかりだそうです。
クルマ好きは時計好き。車好きの好きな時計も、ほとんどの場合機械式時計のようです。
機械式時計の歴史を見た時、クルマの今昔物語に似てはいないでしょうか。
参考画像:ポルシェM64型 空冷水平対向6気筒OHC12バルブ3,600ccエンジン
今から100年以上前に開発されたガソリンエンジン自動車は、時とともに改良されて現在に至っています。出力も燃費も耐久性も、もうこれ以上ないくらい向上し、庶民にも一般的にレベルまでコストも下がりました。しかしながらその当時から現在まで、量産車であっても相応の資産としての側面も持ち合わせています。
そしてここに来て環境問題やエネルギー問題から、ハイブリッド車が一般的になりつつありEV・電気自動車も普及を始めようとしています。EVはまだ性能的な側面、技術的な理由によりレシプロエンジン車と立場が逆転するには至っていませんが、電気技術の発展は機械物理のそれより格段に早いと予想されます。↑の時計の歴史になぞらえれば、まさにクオーツショックの前夜位でしょうか。
参考画像:VW製電気自動車EVモジュール
そうなった場合、設備と工場と部品さえあれば、比較的簡単に作れ量産性も高いEVは、量産効果によりコストも急速に下がりあっという間に普及すると思われます。自動車会社がトライアンドエラーにより日々積み重ねた内燃機関のノウハウ蓄積のような苦労を払わずして、電気的理論さえ分かっていて適当な部品を購入できれば、車を知らない会社でも作れるようになる可能性があります。
モーター駆動は、回転開始から最大トルクに近い出力を発揮できることから、トランスミッションも不要になる可能性がありインバーターの高周波音など多少の音はありますが、エンジンとは比較にならないほどの静粛性があります。電気エネルギーの確保の方法にもよりますが、少なくとも電気でモーターを回すことに限って言えば、排気ガスや有害物質を出しません。廃熱も格段に少なく、車自体の部品点数も減少するでしょう。そしてステイタスや資産や趣味から離れ、乗り潰し・使い捨て的な接し方が浸透するかもしれないと思います。なにしろ電気部品の世代交代の速さは驚くべきもので、一昔前の電気製品はちょっとした故障でも部品が無く、無理して調達しても次世代の新品製品本体を購入した方が安く上がるなんてことは日常茶飯事です。
しかし、私たち車好きの好きなクルマ、愛すべきクルマの姿はそれなのでしょうか?
アンティークとしてなのか、高尚な趣味の対象なのか、その存在価値はどのような側面から量られるのか分かりませんが、レシプロエンジンの車はなくならない。一時的に無くなっても、きっと復活するように思います。
所有する喜び。
ガレージに入った時のガソリンとオイルの香り。
エンジンをかけた時の音と、排ガスと焼けたオイルの匂い。
アクセルを煽った時のメカノイズ、排気音、エンジンの咆哮。
走り終えた時の熱気。
オーナーとの意思疎通があるかのような、機械仕掛けの温かみ。
行政や司法、環境やエネルギー問題、世論など様々な事情が複雑に絡み合い、メーカーだけの意向では難しいことは重々承知していますが、車は便利で快適なだけの移動の道具・手段ではないと、自動車メーカーが分かっていてくれることを願っています。
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Posted at
2013/02/07 14:53:40