• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

プゥーのブログ一覧

2007年12月31日 イイね!

一年に一度のですね。

 今年も皆様、お付き合い有難う御座いました、

年に一度の禁酒解禁日で、紅白なんて見ながら、酔っ払いのプゥーですwww

 本当に今年は、日本自体もあやふや、プゥーの私生活もあやふや、

まぁ~人生色々と有りますwwwww

 でも、それで良いんです!
平坦で、平凡でも良いし、不安定で先が見えない人生、それもでも、いいんです、

自分に、それなりの、自覚や覚悟が有れば、ソレをやってしまったら、どんな事が

起きて、どうなるか、解っていれば、

 本年、皆様とのやり取り、実際に会えた方、会えなかった方、色々と有ります

が、皆さんに、本当に感謝、感謝です!

 人生なんて、本当は幻影?なんて事も感じる事も有りましたがね。

来年のプゥーは楽して!

『ザック!』

『ザック!』
と、儲けて

『グフ』ふ♪~!
と、行きたいですが、

現実は来年も、厳しい年になりそうです。

 でも、自分の限界って物は、自分が思ってるより、高い所に有ったりします、

無理は禁物、でも無理をしなければならない時も有ります、無理して、頑張ったと

思っても、評価されない時も有りますが、それでも

いいんです!

 現実の世界ってのは、そんなもんです、でも、自分で何を成し遂げたか、

何をやれたか、それが一番大事だと思います、

 ナンテね!

 本年も、下らないネタにお付き合い頂有難う御座いました。

新しい年、皆様にとって、今年より、飛躍の年になりますように。

来年のプゥーの行動は、全くもって、相変わらずですが、

よろしくお願いします。

2007年大晦日 酔っ払いプゥー。







 
Posted at 2007/12/31 23:15:22 | コメント(12) | トラックバック(0) | 日記
2007年12月30日 イイね!

日産スーパーシルエット

マーチ スーパーシルエット…'81年:初代のキャラクター近藤真彦選手用にニスモが製作したグループ5仕様。1.5リッターE15型搭載で160ps/17.5kgmを発揮

マッチのマーチ!のキャッチコピーで有名でしたよね、今のマーチとはイメージが全然違いますよね。

スカイライン スーパーシルエット…'83年:長谷見昌弘選手が'82-'83シーズンに参戦したマシン

マフラーから炎を噴く、あの迫力のシーン今だ強烈に覚えてますね。

シルビア スーパーシルエット…'83年:星野一義選手が駆ったマシン。

エンジンはスカイライン同様にLZ20B型ターボ(570ps)を搭載
「LZ」エンジンは追浜ワークスが開発した。

4バルブ、チェーンと組み合わせたカムギヤ・トレーン。
コンパクトにして高回転。以降様々なレースシーンで潜在ポテンシャルを発揮してゆく。
その年の後半、次のモデルPA10のバイオレット・ターボが追浜のファクトリーで開発され、シリーズ戦に投入された。
約500ps。

「わずかなパワーバンドに入った瞬間、カーン!と加速した。」
つっけんどんなターボパワーに軋むパイプフレームを、柳田春人は何ラップも何ラップも刻みながらねじ伏せてゆく。

ターボをねじ伏せる「腕」にパワーアップし、’80年バイオレット・ターボで3勝を上げ、シリーズチャンピオンを奪取した。

’81年、その名の通り美しきシルエットを持った、
S110ガゼールがデビューする。

写真はZ-SPORTガゼールターボ。
全く同型のシルビアは星野一義がドライブ。

富士グランチャンピオンシリーズ第2戦、優勝。
この頃、ライバルマシンは、トヨタはセリカ・ターボ、
マツダはサバンナRX-7、他にBMW M1等。

公に日産ワークス・チームが国内レース活動に
復帰したわけではなかった。
しかし、この頃発売となったスカイラインRSの登場は、
全国のスカイライン、日産レースファンを沸かせた。
これを受け、日産はレース支援の体制を強化した。

星野一義のホシノインパルはシルビア、
長谷見昌弘のハセミモータースポーツは
スカイラインRSターボ、
そして、柳田春人のセントラル20はブルーバード。
それぞれの市販車のシルエットカーが出揃った。

写真は’82年コカ・コーラ・ブルーバードターボ。
ベースモデルはKY910。

といっても中身はアルミパネルをリベット止めしたパイプフレームにレース用LZ20Bターボ・エンジンの完全なスプリントレース用レーシングカーだそうです。

まぁ~今のスーパーGTの500クラスも同じ感じですよね、

 でも、昔のスーパーシルエットの方が、親近感が有ったと思うのは自分だけですかね?

Posted at 2007/12/30 03:50:27 | コメント(9) | トラックバック(0) | クルマ
2007年12月30日 イイね!

日産とル・マン

 1986年に初めてル・マン24時間レースに出場し、ル・マン制覇に向けて数多くのマシンを出走させてきた日産、95年、96年のル・マンにエントリーしたのが、日産R33スカイラインGTRをベースにしたマシン、ニスモGTR-LM。

NISMO GT-R LM /23号車
■ドライバー:星野一義・鈴木利男・影山正彦 ■全長×全幅×全高:4675mm ×1880mm ×1300mm ■ホイールベース:2720mm ■トレッド 前/後:1560mm/1535mm ■車両重量:1150kg以上 ■エンジン型式:RB26DETT ■総排気量:2568cc ■ボア×ストローク86.0mm×73.7mm ■最高出力:600ps以上/7000rpm ■最大トルク:67.0kg-m/5500rpm ■燃料系・点火系:ECCS・NDIS ■ターボチャージャー:ツインターボ ■クラッチ:AP製メタル ■トランスミッション型式:X-TRAC製シーケンシャル6速 ■ブレーキ 前/後:ベンチレーテッドディスク ■サスペンション 前/後:ダブルウィッシュボーン ■駆動方式:2WD(FR)■ホイール 前/後:12.0J×18 12.75J×18 ■タイヤ 前/後:315/40R18 335/40R18

1994年に現在のスーパーGTの前身である、全日本GT選手権「JGTC」が
始まり、トヨタはいち早くGT仕様のスープラをデビューさせましたが、
日産陣営はGr.A仕様を改良したR32スカイラインGTRをGT仕様に仕立てたマシンでニスモ、ハセミモータースポーツ、インパルなどからエントリーしていましたよね。
駆動方式もチームで変更して、ニスモ、ハセミ・チームは後輪駆動のFR、
インパルは4WDを採用でしたっけ。
 R33スカイラインGTRがデビューし、同時にJGTCにも参戦を決定、JGTC仕様のGTRでル・マン24時間レースに復帰するという事で話題になって期待しまたまた期待してました当時。

GT仕様のR33GTRはFR方式の駆動システムをとった、ル・マンには2台のR33GTRが主役になる、GT1クラスにエントリーしていましたとね。
但し、ル・マンの規定で最低1台は、ヨーロッパ規格で保安基準を満たした公認を
取得している事が条件だったので、ニスモはこのGT仕様のGTRを乗用車仕様に
仕立てた「ニスモGTR-LM」を製作した事も話題になりましたよね。
その為、ル・マンの出場時には登録名がスカイラインではなく、ニスモGTRだったらしです。
 95年のル・マンでは、1台がエンジンがGr.A仕様、シーケンシャルミッションのGTーR、もう1台がN1耐久ベースのエンジン、Hパターンミッションを持つR33GTーRという、スペックの違うGTーRでの出場で、Gr.A仕様の方は一時、5位を走行していたものの、ミッショントラブルでリタイア・・・・
Hパターンの変速機を持つN1ベースのGTーRは総合10位で初完走でしたよね。

翌96年もGTRでル・マンに出場しました。
ベースは96年・JGTC仕様で、95年型に比べるとボディはスリムになり。
大きな変更点は、ミッションで、2台とも95年のXトラック製から、日産内製の
シーケンシャルミッションを採用したらしいですね。
 しかし、ル・マンでは95年から既に、マクラーレンF1-GTR、更に96年からはポルシェAGの911GT1も加わって最速スポーツカーがル・マンの主導権を・・・・・・
 GTーRは2台が出走しましたが、ナンバー・22をつけたGTーRがブレーキトラブルでリタイア・・・・・・
ナンバー・23をつけたGTRが総合15位で完走したにとどまり、GTーRでの参戦は2年で終了してしまいましたよね、後にR390GT1へ引き継がれていきますが、ル・マンのコースをGTーRが走った事は、GT-Rの念願が叶った事に違いありません。
そして
 R390は、日産自動車が1990年代後半にル・マン24時間レース制覇のために、トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)の協力のもと開発されたレーシングカーである。 マシン名称はかつて1960年代の日本グランプリで活躍した日産・R380~382の系譜を継ぐものということで付けられた。

 建前上はグランドツーリングカーということになっているが、単にナンバーを取って公道を走ることができるというだけで、実質的な中身はプロトタイプレーシングカーである。(ちなみにこの手法が取り入れられたのは、1994年のル・マンに参戦したダウアーポルシェ(ポルシェ962Cをロードゴーイングカーとして改造したもの)が先駆けである)

当初はTWRがポルシェと組み、1996年にルマンを制したLMP1クラスのオープンプロトタイプであるポルシェWSC95をベースに開発する計画であったが、日産車内より「自動車メーカーとして出る以上は、オープンではなく市販車のイメージを持つクローズドで出るべき」という意見が出された。 そのため、WSC95ではなくTWRに保管されていたジャガーXJR-15がベースカーとなり、出走するクラスはLMP1からGT1へと変更されることとなった。

エンジンは、90年代グループCで活躍した名機3.5リッター・V8ツインターボのVRH35Zをベースに開発されたVRH35Lが搭載された。VRH35Lと型式こそ違ってはいるが、実際には開発は行われずにVRH35Zにリストリクターを装着し、ブースト圧を下げただけでエンジンそのものはVRH35Zそのままである。そのためグループC最強とまで言われたエンジンではあったが、下げられたブーストなどに最適化されておらず戦闘力はかなり低くなってしまった。 RB26DETTも搭載が検討されたと言われたいるが、ニスモの柿元総監督が「現場では全くそういった話は出ていない」と述べていることからただの噂にしか過ぎない。


ロードカー

当初はLMP1クラスでの参戦が計画されていたため、レース車両の作成しか考えられていなかった。しかしGT1規定へと変更がなされたため、当時の規定により、レースカーの原型とされるロードカー(市販車)も開発された。1997年に1台のみが製作・発表され、翌年には1997年に製作された1台を改装して1998年仕様車として発表したが、R390のロードカーが実際に販売されることはなかった。このロードカーは、現在は日産座間記念車庫にレースカーと共に保管されている。

レースでの成績
ル・マン24時間には1997年に初参戦する。予備予選ではポールポジションを獲得するという順調なスタートだった。しかしレギュレーション解釈の違いによって、ギアボックストラブルが発生し思うような結果が残せなかった。97年型R390はリヤトランクをメッシュとし、ギアボックスの冷却ダクトの内部に収容していたが、現地でこれがレギュレーション違反と指摘されてしまったのである。そこで、急遽トランクを密閉構造の箱形に変更したため、ギアボックスへの冷却風の流れが阻害されてしまったことが原因であった。

翌1998年には97年のマシンの弱点であったギアボックスの改善、ロングテール化などの空力改善、ウィリアムズF1チームからTCSやABSなどを導入し戦闘力を向上して参戦。ポルシェやトヨタに比べると一発の速さは無かったものの、堅実なマシン作りで抜群の安定性をみせ、星野一義・鈴木亜久里・影山正彦の乗るマシンで総合3位を獲得し、出走した4台全車がノートラブルで完走して10位以内に入る健闘をみせた。
翌2000年もNISMOの手によるル・マン参戦が計画されていたが、日産本社の経営不振を理由に参戦は取りやめとなり、以後レースへの参戦は行われていない。

1997年のル・マン24時間でのポールポジションを取った時には、本当に期待して見ていたんですが、残念な結果でした、この先日産は、またル・マンに挑戦して欲しいですね、クラス優勝でも良いですから、是非ル・マンでの日産車の優勝見てみたいものです。
  
Posted at 2007/12/30 03:00:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | ネオヒストリックカー | クルマ
2007年12月30日 イイね!

訳有って、保存用画像

プゥーのPCの問題で一時保存用で
で、27日の富士の走行の時の
おいちゃんBG5さん↓の素晴らしい

走行中の撮影画像をブログに保存








おいちゃん、寒い中サンキュウデツ!
 良い記念になりました!!!

Posted at 2007/12/30 02:12:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | Z | クルマ
2007年12月29日 イイね!

200㎞オーバーの世界、

自分のZ嬢を客観的に200㎞オーバーで走る姿を見る。
(撮影:byおいちゃん

この時、S2000のスリップから抜けた時だったんですが、多分210㎞くらだと?
リヤウィングのダウンホースって効いてますねぇ~普段前下がりのプゥーZ嬢がアゴ上がってます、まだ加速中って事も有あるんでしょうが、

ローウィングで、GTウィングに比べて小さいんですが、効果十分、馬力負けしてますね・・・・・・・・・・・(遠い目)
 そして、カーボンボンネット

 空気の抵抗って、やっぱ凄いですよね、

(撮影:byおいちゃん
 ボンピン無しでも許容範囲なんですが、浮き上がってますね。
おいちゃんBGさんの、画像で自分のZ嬢を客観的に見れる事ができました、有り難い事です、自分の車を自分でドライブして居る所なんて、見れませんからね、風圧の凄さって良く解りますね、寒い中、バイクで富士まで下道で来てくれた、
おいちゃんBGさんに感謝、感謝です。
 まぁ何かの、ついでだったって言ってたけど
 神様にこの画像がバレ降臨して来ない事を祈ります・・・
後で口止め料の請求が来るとか・・・(恐)
Posted at 2007/12/29 04:16:20 | コメント(7) | トラックバック(0) | Z | クルマ

プロフィール

「【訃報】老舗チューニングショップBee-R代表・今井清則さんが死去 http://cvw.jp/b/150598/47488735/
何シテル?   01/22 22:18
左足膝上から義体化してまぁ~すヾ(^Д^) 2ペダル車でも楽しいカーライフ出来るかな?+:。(ノ^∇^)ノ゜ 今は解体予定だった走行18万キロオ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2007/12 >>

       1
2345 6 78
9 10 1112131415
16 17 18 19 20 21 22
23 24 2526 27 28 29
30 31     

リンク・クリップ

ハイスペックエンジンオイルのT-MAN Brothers 
カテゴリ:メンテナンス、チューニング
2010/06/28 23:35:37
 
ブレーキ強化のグローバル 
カテゴリ:メンテナンス、チューニング
2008/03/04 01:34:29
 
PIRELLI TYRE 
カテゴリ:タイヤメーカ・ホームページ
2008/02/29 15:37:10
 

愛車一覧

トヨタ スープラ boro (トヨタ スープラ)
スープラA70型 先代のセリカXX(A60型)はスポーティーに振ったキャラクターではあっ ...
ホンダ オデッセイ ホンダ オデッセイ
低床プラットフォームにより、ミニバンとしては異例の立体駐車場に入庫可能な1,550mmに ...
日産 フェアレディZ 日産 フェアレディZ
02モデル、超ド初期型Z33、AT、標準車を 新車で購入、はじめに困ったのが電子スロット ...
日産 スカイライン 日産 スカイライン
 事情により、3ヶ月だけのお付き合いでしたが、妻所有の、真っ赤なC10の45モデルのセダ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation