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川瀞庵の庵主のブログ一覧

2024年05月04日 イイね!

池の名前になったお寺

池の名前になったお寺武蔵野三十三観音 第三番 亀頂山 三寳寺
真言宗智山派 です。

伝聖徳太子造の如意輪観音像

地元に親しまれる開運出世 大黒天

見どころは、細部にいたるまで見事に彫られた本殿の彫刻です。

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鐘楼

後ろに見えるのは、道場寺の三重塔

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宝篋院塔

見辛いが、根本本堂のすぐ左手に木の枝に重なるように見える古いものと、右手に見える新しいもの

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本堂

彫刻よりも桜を入れて撮りたかったので、こんなアングル

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大黒天

最後に開運出世を願ってお参りしてきました。
Posted at 2024/05/04 09:06:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2024年05月03日 イイね!

所沢道に面したお寺

所沢道に面したお寺武蔵野三十三観音 第二番 豊嶋山 道場寺 

曹洞宗 です。

石神井池の豊かな湧水 

都内にありながら、豊かな境内の自然

重厚な三重塔・石仏群などがみどころ。

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三重塔は、真下から見上げられるが、写真では入らなかったw

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春なのに、紅葉?

トイレ休憩をしなければ気がつきませんでした。

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所沢道から見た、三重塔



Posted at 2024/05/03 09:11:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2023年05月27日 イイね!

霊場内唯一 時宗のお寺

霊場内唯一 時宗のお寺武相卯年観音霊場 第三十一番 聲音山

観心寺 時宗です。

康安元年(1361年)遠藤左近景宗が創建、慶長十九年(1614年)には、中島・落合両氏らが開拓した当地に移転したと言われています。

ここは、なんと無人でのご開扉。

と言っても、観音像がものすごく小さくガラス越しに見てもわかりません。

駐車不可、コロナ禍で無人、堂内には入れずガラス越し、御朱印はセルフで監視カメラで見張っているというような所。

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観音像は、アップの写真が飾ってあるのみ。
これ、知らない人なら怒ると思います。


近くに時宗の本山、当麻山無量光寺があります。

近くには、「九坊」という地名があり、おそらくその9坊のうちの1つが残っているのではないでしょうか?

※第三十二番 補陀山 清水寺は、過去に訪問したので、そちらのブログを見て下さい。
 清水寺は、もうパンフレットなども在庫がなくなり、終了間際の訪問でした。

と言うことで、一応結願

観心寺の詳しいことは↓


Posted at 2023/05/27 09:12:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2023年05月26日 イイね!

北相模総鎮守の別当寺

北相模総鎮守の別当寺武相卯年観音霊場 第三十番 白瀧山

高厳寺 です。

相模原市中央区にある云われのよく解らないお寺です。

南部山南覚院縁起によると、

創建不祥、上溝堂ケ谷戸に南蔵院南部山高厳寺有り。

正応二年(1288年)に南部山高厳寺に南覚院遷化とあり。

村社八幡宮は、康永二年(1343年)に社建と地元の家の古文書「高橋道覚覚書」に書かれている。

この村社は上溝八幡宮で、この別当になる。とある。

別当寺=神仏習合説に基づいた神社の管理に当たる寺のこと。



この後、室町時代の関東は応仁の乱よりも早く戦国時代に突入したので、

大永五年(1525年)権僧都円重の代にお社出来と有り、
文禄四年(1596年)康永二年より二百五十三年後の時に宮再興、願主南蔵坊慶高

などとあるのみです。

延宝八年(1680年)八幡宮拝殿建造願主南蔵坊玄山、
元禄五年(1692年)南覚院玄山導師神道を修める
宝暦三年(1753年)社殿・拝殿・末社などの修繕、別当寛祐の尽力によるとあり、

以前より村社八幡宮は、別当寺南覚院の所有となっている。


はたまた、南部山高厳寺は、宝暦九年(1759年)の武相観音霊場巡りの創建に参画して、山号を「観音様縁起」のいわれの白瀧山に改名したと言う。

そして結局廃仏毀釈令により、南部山南覚院が廃寺となってしまったので、この記録を残すために文久三年(1865年)に南部山南覚院の石柱が建てられたとあり、なにがどうなったかは煩雑です。

明治二年、村社上溝八幡宮は、亀ケ池八幡宮と改名され(これが北相模総鎮守)、明治の末期には南部山高厳寺観音堂は、現地に移され、 

で、結局今は、上溝元町自治会館の改築に併せて観音堂が現在の形になったという。



観音様はというと、奈良・平安時代のものだといわれており、なるほどそんな気もしますが、観音様の世話人がご開扉をやっているので、お寺自体は名前だけ残っている感じです。








Posted at 2023/05/26 21:43:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記
2023年05月25日 イイね!

片倉城主ゆらいの名刹

片倉城主ゆらいの名刹武相卯年観音霊場 第十八番 龍雲山

高乘寺 曹洞宗です。

応永元年(1394年)法光圓融禅師 峻扇令山大和尚によって開基されました。

その後、現在の地に移築され臨済宗から曹洞宗に改宗を経て、永正二年(1505年)通庵浩達大和尚によって改めて開山しました。

開創に関して、当時の片倉城主永井大膳太夫髙乘公が深く関わっており、寺名はここから採っています。



当寺は、三多摩の曹洞宗の名刹で、多摩八大寺の一つに数えられています。

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本堂に隣接する大慈閣には、観音像が奉られていますが、京都の古仏商から買って集めた三十三体観音像が安置されています。

この三十三間体観音像が秘仏で、卯年のご開扉の時にしか見られないようです。

正面にあるご仏前の十一面観音は、いつでも見られるのかな?

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見にくいかもしれませんが、龍の上には、片倉城主の家紋、毛利氏と同じ家紋がw

また、高尾霊園になっており忌野清志郎のお墓があるそうです。

今回も、観音様メインなので、霊園の方は行きませんでした。




Posted at 2023/05/25 20:43:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 観世音菩薩霊場巡礼 | 日記

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「光岡のM55がかっこいいと思う」
何シテル?   11/29 20:10
74式戦車と同じ年です 相模川の瀞庵の庵主で、日本文化の継承をしています 三増峠(信玄道) 戦車道路 行幸道路 大山街道等をうろついて...
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