
武相卯年観音霊場 第三番 大峰山
松岳院 曹洞宗 です。
今から450年余り前の元亀三年(1572年)、当時は奈良村と呼ばれていたこの地に、青梅の名刹天寧寺の八世正翁長達和尚(1601年寂)によって開山。
元和五~六年(1616~1617年)頃、旗本石丸定政公、武蔵国都筑郡奈良村領主になりました。
門から入ると、石仏があります。
こちらが本来の参道なのか、小さな階段があり下には上の説明番がありましたが、門らしきものは何もなく、階段を上がってくると本堂が目の前に。
家紋が平家と同じ蝶です。
武相観音で他の人もブログにあげている有名な?
奥津城の碑
お墓なのか?
また、横浜らしく「嘉悦家」「姜家」などの珍しい名前もあります。
旗本石丸家のお墓が判らなかったので、もう一度本堂に行きお寺の方に聞いて教えてもらいました。
定政公の子、定次公が大阪町奉行へと出世。
定次公の子、定勝公は奈良村の盛円寺(日蓮宗)に梵鐘を寄進、定勝公は浅草の浄念寺に葬られのち石丸家代々の埋葬地になるため、
寛永八年(1631年)定政公の父、有定公没(開基として仰ぐ)と、
正保二年(1645年)定政公没
延寶七年(1679年)定次公没
の三代の墓である。
昭和五十三年、壇信徒の寄附により本堂を耐火造りに再建された。
ここは、パンフレットに卯年武相観音の写真が載っている、心の広いお寺です。
まぁ、これも耐火構造あってのことなんでしょうけど。
Posted at 2023/04/23 10:46:04 | |
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観世音菩薩霊場巡礼 | 日記