第六話
病棟の食堂で幼馴染と共に茶を飲む。
窓の外には町並みを縫って走るアニメキャラが鮮やかにラッピングされたローカル列車がが映える。
術後の痛みもだいぶ楽になり、もうすぐ退院であろう。
歯は完治したのだが、大腸ポリープ切除の後、胆管石となり急遽入院手術となった。
全く踏んだり蹴ったりの出来事ばかりであるが、入院中嬉しい出来事は広島東洋カープV3。本拠地マツダスタジアムでのセリーグ優勝だった。
愉しみにしていた同窓会はキャンセル。見舞いに来てくれた友人からよもやま話を聞く。
事業に成功し、手広く頑張っている者。行方知れずや亡くなった者もおるとか。
そういえば、後輩にやたら何かと知ったかぶりし、何かにつけ能書きタラタラ、ボロが出るのに才女ぶり、挙句の果てに自ら美女と思い込み、嫌われ者のナルシスト独り者が居たが、二分の一世紀経過した現在もさらに磨き?をかけているようだ。
生涯鼻つまみ者、貰い手等現れない一人寂しい哀れな女だが、まぁ当の本人は気付いているのかいないのか・・・おそらく気付いていないだろう、彼女のような性格のまま老後になるのは御免だと友人共々苦笑い。
術後の腹が痛んだ。
実るほど頭の下がる稲穂かな。謙虚な老後を過ごしたいものだ。
若い頃キリスト教礼拝堂の建設工事に携わったことがあった。打ち合わせの際、聖職者との会話を想い出した。
目には目をという諺がある。やられたらやり返す。大切な人を失えば敵討ちを認めるという事である。
「あなたが他人を殺したとします。遺族はあなたに復讐を企てるが誤って、あなた以外の無関係な者を殺してしまった。あなたはまだ遺族らの復讐を恐れますか。」聖職者は私に尋ねた。
「遺族は私を探し出し、必ず復讐するでしょう。」私は当然な回答を述べた。
「いいえ、当時の掟で遺族には、もはやあなたに復讐する事は出来ません。なぜなら人違いであろうと、無関係で殺された彼の命と引き換えに、あなたの罪は赦されるのです。」
「そんな馬鹿な事があるのですか?人違いの復讐で私の罪が赦される事など納得できませんし、第一私の代わりに殺されてしまった者はあまりに理不尽じゃありませんか。」
憤慨する私に対し聖職者は宣べた。「かつて人間は自分の犯した罪の償いとして神に罪無き幼い動物の命をささげてきたのです。動物は身代わりの犠牲です。しかし人間の罪は、そのような事では到底償えぬことを神は知っておられ全能であられながら自ら人間となり地上生涯を歩み、十字架上で自ら全人類の罪の代償となられたのです。だからあなたもすでに赦されている。」のだと。
全能者なのに自らへりくだり自ら懲らしめを受け私たちを赦す・・・理解不能の愛。分からない、理解できない深い愛。
しかし深い愛が理解出来なくても神の愛を知る事により人間は救われるのだと。
歴史をさかのぼれば、他人の命を救う為、自ら命を落としていった鉄道員長野政雄、洞爺丸乗船の宣教師達、アウシュビッツのコルベ神父他、数々の愛の殉教者達。
彼らは只々、神の愛を実行しているのだ。
「皆が神の愛を知ったら・・・人類同士の争いは無くなるな。これこそオペが必要だ。簡単な事だよ、只、知ることだけだ。」友人はポツリと言った。
※添付写真:コルベ神父
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庄助『今日の出来事』 | 日記
Posted at
2018/10/08 05:54:09