金ヶ崎城・月見御殿(敦賀市)
源平・南北朝・戦国時代と常に戦いの舞台となった城
2006年08月27日
金ヶ崎城は、海抜86mの敦賀湾に突き出した小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城で、平通盛が木曽義仲との戦いのために築いたのが始まりといわれています。南北朝時代の延元元(1336)年10月、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて当時気比氏冶の居城であったここ金ヶ崎城に入城し、約半年間越前国守護斯波高経と激しい戦いを繰り広げました。
延元2(1337)年3月6日遂に落城し、尊良親王、新田義顕(義貞嫡子)以下将士300余名が亡くなったと伝えられます。
戦国時代の元亀元(1570)年4月には、織田信長が朝倉義景討伐の軍を起こして徳川家康、木下藤吉郎(豊臣秀吉)等が敦賀に進軍、天筒城、金ヶ崎城を落とし越前に攻め入ろうとした時、近江浅井氏が朝倉氏に味方するとの報告があり、信長は朝倉氏と浅井氏との間に挟まれ窮地に陥り急遽総退却しました。
この時金ヶ崎城に残り殿を務めてこの難関を救ったのが秀吉で、その活躍で無事帰京できたと伝えられます。またこの殿での危機を救ったのは家康で、後の天正14(1586)年、家康上洛にあたり、秀吉は金ヶ崎城での戦いの救援に謝意を表したとされています。
すでに15、6年前のことで、天下人に一歩近づいた秀吉からすると、金ヶ崎の戦いはその後の二人の関係に大きな影響を与えたといえます。
現在は三つの城戸跡などを残し、急峻な斜面は当時の面影を偲ばせます。また、最高地(標高86m)を月見御殿といい、近くには金ヶ崎古城跡の碑があり、この辺り一帯の平地が本丸の跡といわれます。ここからの眺めは素晴らしく天候がよければ越前海岸まで望むことができます。
Photo Canon EOS 30D
H18.8.25
住所: 福井県敦賀市金ヶ崎町1
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