淀城(京都市伏見区)
天守閣が復元されるかも?淀城
2006年09月09日
淀城は元和9(1623)年、桂川・宇治川・木津川の三川が合流するこの地に徳川秀忠が松平定綱に築城を命じ、2年後の寛永2(1625)年に完成しました。旧伏見城の廃材や二条城の天守などを転用し築城されたそうです。松平定綱の後は、永井・石川・戸田・松平(大給)氏と次々に城主が変わりましたが、享保8(1723)年に稲葉正知が下総佐倉から十万二千石で入封し、幕末まで稲葉氏の居城でした。江戸時代の淀城は周囲に二重三重の濠をめぐらし「淀の川瀬の水車誰を待つやらくるくると」のうたで名高い水車は直径8mもあり城の西南と北の二ヶ所に取り付けらていました。
淀城とその城下町の盛観は延享5(1748)年5月2日に来着した朝鮮通信使(将軍への祝賀使節)の様相を写した「朝鮮聘礼使淀城着来図」に詳しく描かれています。
昭和62(1987)年夏に天守台の石垣解体修理に伴い、発掘調査が伏見城研究会によって行われ大小の礎石を含む石蔵が発見されました。これは四隅に櫓を持つ白亜五層の天守閣の地下室と基礎であり、宝暦6(1756)年の雷火で炎上する以前の雄姿を偲ばせるものです。
ちなみに、戦国時代に細川氏に築城され、豊臣秀吉が改修し、淀殿に与えた淀城はここより北側約500mの納所にありました。
淀城跡は現在は公園となっています。
京阪本線淀駅のホームのすぐそばにありましたが、京阪本線は淀駅周辺で立体交差事業が進められ、京都側に移りました。
また、淀城には復元整備構想があり、水車などが復元されるかも知れません。
H18.9.9
Photo Canon EOS M6
H30.12.15(写真差し替え)
住所: 京都市伏見区淀本町
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