寺田屋(京都市伏見区)
寺田屋事件・坂本龍馬・お登勢・お龍・・・・寺田屋
2006年09月10日
寺田屋は伏見の船宿でした。
文久2(1862)年4月、尊皇攘夷派の先峰であった薩摩藩士9名が殺傷されるという明治維新史上有名な寺田屋騒動が起こった所です。当時、薩摩藩には藩主の父、島津久光を中心とする公武合体を奉ずる温和派と、勤王討幕を主張する急進派との二派がありましたが、久光は急進派の動きを押えようとして、兵千余名を率い京都へ入洛せんとしました。これを知った有馬新七ら30余名の急進派同志は、文久2(1862)年4月23日、関白九条尚忠、所司代酒井忠義を殺害すべく、薩摩藩の船宿であった寺田屋伊助方に集まりました。これを知った久光は藩士奈良原ら8名を派遣し、新七らの計画を断念さすべく説得に努めたが失敗、遂に乱闘となり新七ら7名が斬られ、2人は重傷を負い、翌日切腹しました。隣の広場にある殉難碑は明治27(1894)年の建立で、有栖川宮熾仁親王の筆になる篆額を掲げています。
慶応2(1866)年正月21日坂本龍馬も薩長連合を成し遂げた後、寺田屋で長府藩士三吉慎蔵といるところを伏見奉行所の捕方に襲われました。その気配に気づいた入浴中の龍馬の恋人・お龍は、急ぎ階段を駆け上がって龍馬に危急を告げました。龍馬は踏み込んだ幕吏たちに拳銃で応戦し、三吉慎蔵も槍をふるって戦いました。龍馬は左右の指を負傷しながら、からくも寺田屋を脱出し大手橋近くの材木小屋に隠れました。
その間にお龍は、薩摩藩邸に助けを求めて駆け込み、薩摩藩は小舟を出して龍馬を救出し藩邸に収容しました。
西郷隆盛は、龍馬とお龍を船で鹿児島へ逃し、龍馬は薩摩領内で療養しながらお龍とふたり旅を楽しんだといわれており、これが日本初の新婚旅行とも言われています。
寺田屋は鳥羽伏見の戦いに罹災し、焼失しました。現在の建物はその後再建されたものです。
(現地説明板などより)
開館時間 10:00~15:40
見学料 一般400円 高校、大学生300円 中学生200円
H18.9.9
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H31.1.5(写真差し替え)
住所: 京都府京都市伏見区南浜町263
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