真田氏居館跡〔御屋敷公園〕(上田市・旧真田町)
上田城築城以前の真田氏の館跡
2006年09月21日
真田氏館跡は、真田氏本城跡から800m南西に位置する、東西に長い梯形の一画です。地元では一般に御屋敷と呼ばれています。
この遺跡は真田昌幸が天正11(1583)年、上田城を築城する以前の居館とされており、昌幸の父幸隆(幸綱)、兄信綱の代から用いられていたと考えられます。
北東に真田氏本城、東に天白城、北に神川を隔てて尾引城(横尾城)、西方に砥石城などを巡らしている要害の地です。
敷地は西辺130m、東辺150m、南辺160mの台形で東側から西側にかけてゆるやかに傾斜しています。 敷地の周りには土塁を回らせているが、南東隅の土塁は内方に折れ曲がって角を欠いています。対角の北西隅には厩跡と呼ばれる土塁で囲まれた一郭があります。東側には堀があり、北側は大沢川を自然の堀としています。
南方が表正面(大手口)で、石積みで固めた土塁を築き、枡形も残っていますが、北側土塁に設けられた裏面(搦手口)と考えられる虎口には枡形はありません。
居館内の東半分には、真田昌幸が居館の荒廃を憂いて勧進したと伝わる皇太神社が祀られています。
真田氏の居館と称するものは角間や甲石等にもあったとされるが、山家の館跡とともに遺構が現存しているこの御屋敷は貴重な史跡です。(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 30D
H18.9.14
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