鳥取藩台場跡・由良台場(北栄町・旧大栄町)
幕末鳥取藩の台場跡・由良台場跡
2006年11月13日
鳥取藩台場跡は、江戸時代末期、文化5(1808)年のフェートン号事件や文政8(1825)年の異国船打払令など、諸外国との緊張が高まる中で、沿岸防備のために築かれたものです。築造場所は、鳥取藩の海岸線約160キロメートル(約40里)のうち、重要な港湾を控えた八箇所(浦富・浜坂・賀露・橋津・由良・赤碕・淀江・境)に設けられました。
このうち由良台場跡は、藩の米蔵が置かれていた由良湊に築かれました。台場の築造は、高島秋帆に西洋砲術を学んだ武信潤太郎の総指揮のもと、文久3(1863)年から行われました。しかし、当時の藩財政は逼迫しており、藩からの資金援助はなく、工事は民間の寄付によって進められました。男女を問わず16歳から50歳までの農民が動員され、その延べ人数は7万5千人余りに達したと伝えられています。人夫賃などの費用は、中・大庄屋や豪農らの献金によってまかなわれました。
文久4(1864)年に完成した由良台場は、東西125メートル、南北83メートルの規模を誇り、周囲には高さ約4.5メートルの土塁が巡らされていました。周囲約400メートル、面積11,913平方メートルと規模が大きく、形の整った洋式の砲台場で、往時の原型を完全な姿で保存されています。
内部は三段構造となっており、中段から上段にかけて砲座が設けられ、計四門の大砲が据え付けられていました。これらの大砲は、由良湊近くの六尾反射炉で製造されたもので、六十斤砲・二十四斤砲・十八斤砲・五寸径砲の四種類が配置されていました。
由良台場跡は、幕末の動乱期における鳥取藩の防衛体制を今に伝える、資料的価値の高い貴重な史跡です。
昭和63(1988)年7月27日国史跡の指定を受けました。現在は、周辺が「お台場公園」として整備されています。
「道の駅大栄」のすぐそばにあります。
(現地説明板などより)
H18.11.3
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.11.8(写真差し替え)
住所: 鳥取県東伯郡北栄町由良宿
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