関ヶ原古戦場・小早川秀秋陣跡〔松尾山城・長亭軒〕(関ヶ原町)
松尾山城跡に関ヶ原の戦いで陣を構えた小早川秀秋
2007年03月31日
応永年間(1394~1428)年に美濃の小守護(守護代)の富島氏が築城したと言われています。永禄12(1569)年には織田信長に帰属しました。元亀元(1570)年に浅井長政が修築し樋口氏が守将としますが樋口氏は織田氏に寝返りました。天正元(1573)年に浅井氏が織田信長に滅ばされた後は不破河内守光治が守備したと伝えられます。天正4(1567)年頃に境城の役目は終わり、天正7(1579)年には廃城とされました。
松尾山城が廃城となった後、慶長5(1600)年関ヶ原の戦いでは小早川秀秋が陣を置いた場所として有名です。
小早川秀秋は高台院(豊臣秀吉の正室)の兄、木下家定の5男として生まれ、木下秀俊と名乗りました。羽柴秀吉の養子となり、羽柴秀俊と名乗りましたが、実子秀頼が生まれたため、小早川隆景の養子となり、隆景が隠居したため筑前名島城主(30万7千石)となりました。
関ヶ原の戦いでは最初は西軍(石田三成方)につき、伏見城攻めに参戦しましたが、はじめから東軍(徳川家康方)に内通していたといわれています。
決戦では、1万5千の兵を率い松尾山に布陣しました。
西軍優位で戦況が進む中、東軍から催促の鉄砲を打ち込まれ、西軍の大谷吉継の軍勢に攻めかかりました。これがきっかけで東軍勝利となりました。
関ヶ原の戦い後、備前岡山城主(55万石)となりましたが、2年後の慶長7(1602)年、21歳で死去。小早川家は無嗣断絶となりました。
松尾山山頂へは車では行くことができず、麓の駐車場に車をとめて徒歩で登ることとなります。登山道が整備されていますが、だいたい30~40分程度かかります。
(関連情報URLは登城口・駐車場付近のMapです。)
Photo Canon EOS 30D
H19.3.27
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