西光寺(阿南市・旧那賀川町)
阿波公方(平島公方)の菩提寺・西光寺
2007年05月06日
室町幕府10代将軍の養子、義冬(義維・11代将軍義澄の次男、12代将軍義晴の弟)は天竜寺の荘園平島荘西光寺に入りました。やがて、古津の平島館を修築し、天下を窺いました。初代阿波公方(平島公方)といわれます。嫡子義栄は三好氏に擁せられて上洛し、14代将軍になりますが、織田信長に擁せられた15代将軍足利義昭に追われて阿波に戻りました。その後、弟義助が2代阿波公方と称せられ、義種、義次、義景、義辰、義武、義宣、義智、義根と九代約250年続きました。
10代将軍足利義稙(恵林院殿贈一品征夷大将軍巌山道寂大禅定門)及び初代阿波公方義冬(慶林院殿実山道詮大居士)、第14代将軍義栄の墓など23基の一族の墓があります。ただし昭和17(1942)年の西光寺の火災で国宝の阿弥陀如来をはじめ、貴重な古文書を焼失し、さらに過去帳も灰燼に帰したため、公方の墓も困難を極め、現在判明しているのは14基(案内標柱あり)のみです。
八代公方義宣が京都の名儒島津崋山を招き、九代公方義根の時代には、阿波国南方地域における漢文学の中心地の観を呈していましたが、その当時平島館に出入りしていた数多くの文人のうち、医者であり儒学者でもあった高橋赤水の墓もあり、その壁面には江戸末期の大書家貫名菘翁(ぬきなすうおう)による書が刻まれています。
Photo Canon EOS 30D
H19.5.3
住所: 徳島県阿南市那賀川町赤池185
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