桑折西山城(桑折町)
伊達稙宗・晴宗の居城だった桑折西山城
2007年07月08日
桑折西山城は、奥州合戦の戦功により伊達郡を与えられた常陸入道念西(伊達朝宗)が築いたと伝えられています。 応永年間、伊達氏中興の祖9代伊達大膳大夫政宗はに鎌倉公方足利満兼に反抗し立てこもった赤舘はこの桑折西山城のことといわれています。
天文元(1532)年、伊達稙宗は居城を梁川城から桑折西山城へと移し、城の修築拡張を行いました。稙宗は陸奥国守護に任ぜられており、天文5(1536)年には分国法「塵芥集」をこの城で制定し、勢力を拡大しました。
しかし、天文11(1542)年、伊達稙宗の三男、伊達実元の越後守護上杉定実への入嗣問題を巡り伊達稙宗は嫡男の伊達晴宗と対立しました。晴宗は父稙宗を桑折西山城へ幽閉しました。その後、稙宗は脱出しましたが、7年間伊達氏は稙宗方と晴宗方に別れて争いました。天文の乱といいます。
天文17(1548)年に将軍足利義輝の命により両軍は和睦し、稙宗は丸森城へ隠居、家督を相続した晴宗は出羽米沢城へ居城を移したため、桑折西山城は廃城となりました。
平成2(1990)年、桑折西山城は国の史跡に指定されました。
城跡は南側から登ります。案内の看板も出ています。
城跡までは車で登れそうな感じでしたが、ダートで道も荒れているので、今回はレンタカーを使っていることもあり、入口に車を駐め歩いて登りました。それほどの距離ではないので、壮大な山城ですが、あまり疲労は感じませんでした。遺構は比較的よく残っていると思います。
Photo Canon EOS 30D
H19.6.27
住所: 〒969-1651 福島県伊達郡桑折町万正寺本丸
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