上平寺城〔桐ヶ城〕(米原市・旧伊吹町)
上平寺城は北近江の戦国大名、京極高清が築いた上平寺館の詰城として築かれました。
伊吹山南山腹にある標高666m程の峰に築かれており、谷を挟んで西側には弥高寺がありました。
京極氏は鎌倉時代、佐々木信綱の四男氏信が愛知川から北の六郡(伊香郡、浅井郡、坂田郡、犬上郡、愛知郡、高島郡)を与えられ京極氏を名乗りました。永正2(1505)年、京極家の内紛を収めた京極高清は、柏原館(米原市清滝)を廃し、美濃国との国境近くの坂田郡上平寺(米原市上平寺)に守護所「京極氏館」を構えるとともに、背後の尾根上に「詰め城」の上平寺城を築城し、館の南側に家臣や町人が住む守護町「上平寺」を造りました。
大永3(1523)年、京極高清を補佐する重臣上坂氏に対する不満から、浅見氏、浅井氏らの家臣がクーデターを起こし、上平寺館は焼失しました。
上平寺城は北国脇往還を抑える要地にあることから、高清築城以前にも砦あるいは寺院遺構があったと考えられています。
上平寺城は、東山道(中山道)と北国脇往還を見下ろすことができ、北近江と濃尾平野を一望できる絶好の拠点であったことから、近江と美濃の「境目の城」として機能していくことになります。
特に、元亀元(1570)年、浅井長政は織田信長の侵攻に備えるために、朝倉氏の築城技術を導入して大規模な改築を行っています。しかし、城番であった堀秀村と樋口三郎兵衛らが信長に内応してしまったために、上平寺城は戦わずして開城となり、以後廃城になったと考えられます。
現在見られる遺構はこの時のもので、尾根を断ち切る巨大な堀切や、放射状に堀を巡らす畝状竪堀により周囲を守り、尾根上に土塁で囲んだ曲輪を排する典型的な中世の山城です。
平成15(2003)年、京極氏遺跡(京極氏城館跡 弥高寺跡)は国の史跡に指定されました。
上平寺館の伊吹神社の鳥居の左手から登城口の案内があります。主郭部まではだいたい50分~1時間程度です。土塁や堀切などを見ることができます。
Photo Canon EOS 30D
H19.7.27
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