大蛇の岩窟〔石田三成の隠岩窟〕(長浜市・旧木之本町)
関ヶ原の戦いの後、石田三成が匿われた大蛇の岩窟
2008年12月01日
大蛇の岩窟(おろち、おとちのがんくつ)は石田三成の隠岩窟ともいわれています。関ヶ原の戦いに敗れた石田三成は母の出身地である古橋村の法華寺の塔頭三珠院に身を寄せました。しかし、村人達の噂になってしまったため、村の百姓与次郎大夫がこの岩窟に匿ったと伝えられています。
しかし、三成を探索していた近江出身の東軍の武将、田中吉政の追っ手がこの地に迫ったため、村の者に迷惑をかけることを恐れた三成が与次郎大夫にこれまでのことを感謝すると共に、訴人するように説得し、捕縛されたと伝えられています。(諸説有り)
己髙閣、世代閣のあるあたりから己高山登山ルートに向かいます。途中で左手の谷筋にそれ、かなりの距離を歩くと、大蛇の岩窟と石灰工場についての説明看板があります。ここから左手の山側を登っていきます。かなり急なルートで、獣道のような道です。案内のロープなど、何もないので結構不安になります。
「洞窟」を想像していましたが、どちらかというと、石穴のように地面の下側に石穴がある感じです。少し崩落しているようで、かなり狭くなっているそうです。写真下は岩窟の中から見た写真です。空と紅葉がきれいでしたが、三成はどんな思いで外の風景を見ていたのでしょうか?
平成18(2006)年の大河ドラマ「功名が辻」第45回「三成死すとも」でも紹介さました。
Photo Canon EOS 30D
H20.11.23
住所: 滋賀県伊香郡木之本町古橋
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