山本勘助誕生地(富士宮市)
富士宮市山本の吉野家の山本勘助誕生地
2009年03月31日
山本勘助晴幸の生誕地にはいろいろな説がありますが、駿河を生まれとする説に拠れば、現在の富士宮市山本の吉野家に生れましたとされています。
父を吉野貞幸とい母は大橋氏です。
先祖は吉野冠者源重季で重季の子孫が南朝に仕え八代目の貞倫が山本村に移り多田八幡宮を創建し、貞久は軍学を修め長男貞宗、次男貞幸を設けました。貞宗は子がなく貞幸の一子を養子としました。貞幸は諸国を巡遊して参州牛窪に住し山本氏を称し同地の人大橋入道の女を娶り後に山本に住して一子を源助と名付けました。
後の山本勘助です。源助は牛久保の大林助左衛門の養子となり名を勘助と改めましたが、後に大林氏を去り山本氏に戻り京都に出て専ら文武の両道を学び河内に入り楠公の遺跡を巡るなど軍学、築城の奥義を極めました。
牛久保で軍学兵法を講し四境にその名は聞こえ、武田晴信(信玄)と主従の約を定めました。その後村上義清との戦いなどに活躍しましたが、永禄4(1561)年9月10日川中島の戦いで戦死しました。鉄巖道一禅定門が戒名です。
記念碑は大正13(1924)年静岡県の補助金などもあり,昭和天皇の御成婚を祝して建てられました。
長屋門は吉野家のもので、江戸末期の建築だそうです。個人宅ですが、長屋門周辺に山本勘助についての説明展示がされています。
平成19(2007)年の大河ドラマ「風林火山」第2回「さらば故郷」の「風林火山紀行」で「伝・山本勘助誕生地」として紹介されました。
Photo Canon EOS 30D
H21.3.20
住所: 静岡県富士宮市山本165
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