丸子城(静岡市駿河区)
駿府の今川館の西の守りを固めていた丸子城
2009年04月22日
丸子城は応永年間(1394~1428)、駿河守護今川氏の被官であった斎藤安元によって築城されました。文明8(1476)年、今川義忠が遠江で戦死すると、義忠の跡目相続をめぐり、嫡子龍王丸(後の氏親)と、小鹿新五郎範満との間で内紛が起き、龍王丸生母の北川殿は、兄で当時今川氏に食客として仕えていた伊勢新九郎盛時(長氏、北条早雲)の手引きで龍王丸とともに丸子の館で暮らしました。長享元(1487)年新九郎は駿府館を急襲し範満を討ちとり、龍王丸は正式に家督を相続し氏親と名乗りました。駿府の今川館に移った氏親は駿府館の支城として整備しました。
永禄11(1568)年、駿河に侵攻した武田信玄は西駿河に残る今川方諸城に対処するため、重臣山県昌景を丸子城に駐屯させました。。
元亀元(1570)年、駿河全域を手にした信玄は、丸子城に諸賀兵部大輔・関甚五兵衛を在番として置き、天正6(1578)年頃、城将は屋代勝永に代わりました。
天正9(1581)年、武田方の拠点高天神城落城を前に、武田勢は徳川軍に丸子城を明け渡して退去しました。
家康は松平備後守を駐留させましたが、天正18(1590)年、家康の関東への転封とともに廃城となりました。
城跡は、西側の誓願寺から登りました。東側からも登ることが出来ます。
北側の曲輪を主郭部としたのが今川氏の時代で、後に武田氏の時代には南側の曲輪を主郭部としました。土塁や堀が見事に残り、中世の城郭の雰囲気を今に伝えています。
Photo Canon EOS 30D
H21.3.21
住所: 静岡市駿河区丸子
関連リンク
タグ
地図
関連情報